太田述正コラム#7066(2014.7.19)
<皆さんとディスカッション(続x2329)/セミナー2:イギリスとヨーロッパの違い>

<太田>(ツイッターより)

 ウ政府が、マレーシア機撃墜後の反乱部隊のコサックと露将校達とされる二人との交信記録を公表。
http://www.bbc.com/news/world-asia-28362872
http://news.livedoor.com/article/detail/9057002/
 和訳された後者に収録されていない最後の部分が興味深い。
 反乱部隊は地域上空を旅客機が通ることを露当局から全く知らされていない。
 交信相手が露将校達であることを「証明」できたとすればなおさらだが、露の責任は重大であり、EUも米国に足並みを揃えて対露経済制裁の飛躍的強化に踏み切るだろう。
 これで、完全にウ紛争は峠を越した。クリミアで満足しなかったプーチンのアホたれめ。

<V2HYFm1w>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

 日本と欧米では、仕事に要求される完璧さが違うのでは?
 日本ではスーパーやコンビニのレジ、会社の事務仕事でさえ完璧にこなさなくてはならない。
 日本のマクドやキヨスクで働くアルバイトの女性たちは海外から見ると魔術師のようだと。
 海外は何事もアバウト。
 注文間違いも後で訂正すれば問題無し。
 日本の完璧主義が横行する職場から家庭に非難するのは理解できるのでは。

<2Sjd0x8A>(同上)

≫≫「家庭内で」なんて感じで、言い回しを変えないでよww≪(コラム#7044。2Sjd0x8A)
 意味合いとしては変わらないと思うけど?≪コラム#7064。AF.I7u.U)

 「意味合いとしては変わらな」くても、ニュアンスがかなり変わるから止めてね

≫提供された情報を読むに、昔は搾取は無かったけど最近になって搾取が行われるようになった。それは最近になって専業主婦という存在が発明されたからだよね? その専業主婦の活動拠点は家の中な訳で、専業主婦による搾取が行われているなら家の中でない? 専業主婦による搾取というのは旦那の稼ぎを毟っている事をいっているのだろうし・・・多分だけど。≪(同上)

 (「発明」は誤りだが、それはどうでもいいので置くとして、)「専業主婦による搾取が行われている」のは「<家庭>の中」だが、「旦那」が稼いでくるのは外だよ。
 だから、「家庭内で旦那が搾取されている」という言い回しではニュアンスが変わるんだ。
 繰り返しになるが、あなたが誰のどの意見に異論なり疑問なりがあるのか、整理してね。
 (今回のあなたが提示した典拠から、どういう誤解をしているか大体想像できる。)

<太田>

 本日の記事の紹介は、月曜になります。
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          --セミナー2:イギリスとヨーロッパの違い--

IIの補足

 集団的自衛権問題が喧しいことにも鑑み、前回の復習を、この問題を理解するために参考になる部分を中心に、やや膨らませる形で行うことにしたい。

・「ロシア(当時はソ連)や中国や北朝鮮は潜在敵国だが、ソ連を含め、軍事能力的には(核を除けば)脅威ではない。」について
 以下は、全て核を除いた議論。
 冷戦時代のソ連の脅威論はウソだった。(コラム#30、58)
 中国も、現状においては、日本の軍事的脅威ではない。(コラム#3202、5194、5195、6862)

・「横井小楠の言」について

 戦前と戦後の長さはほぼ同じ。(コラム#4303)
 戦後が一つの時代だったとすれば、戦前だって一つの時代。
 その時代を貫いていたのが横井小楠コンセンサス。
 そのことを、その時代の重要人物5名(初期3名と末期2名)の言で裏付けよう。
 その前に、横井小楠の言そのものを振り返りたい。

 伊藤博文(1841〜1909年):(コラム#4772以下4792に至るシリーズに後で直接当たっていただきたい。)

 山縣有朋(1838〜1922年):「我邦の利害尤緊切なる者朝鮮国の中立是なり。・・・然るに朝鮮の独立は西伯利鉄道成るを告るの日と倶に薄氷の運に迫らんとす。朝鮮にして其独立を有つこと能はず、折げて安南<(ベトナム)>緬甸<(ビルマ)・・・>の続とならば、東洋の上流は既に他人の占むる所となり、而して直接に其危険を受る者は日清両国とし、我が対馬諸島の主権線は頭上に刃を掛くるの勢を被らんとす。」『外交政略論』(1890.3)(コラム#6733)

 中江兆民(1847〜1901年):「暴政府の下に居り暴官吏の制を受け束縛の苦到らざる所無<き西欧の民に比べ、1881年の>吾邦の如きは即ち然らず。<何となれば、>国会未だ設けず憲法未だ立たずと雖も然れども天子の聖明なると宰相の賢智なるとを以て・・・・詔を下して将さに立憲の制に楯(ただし、木篇ではなく行人篇)はんと欲せんとする意を宣し<たり>・・・
 嗚呼人民たる者能く政権を民有すること一に英国の如くなることを得ば此れも亦恨無きに非ずや・・・
 我日本国民自由の権を亢張し延ゐて東方諸国に及ばんと欲す・・・
 我土に非ざる国土にしても苟も他国の攻略する所と為るときは、直に我国土を割取られたると一般の患害を生ずること有り。・・・・朝鮮と満州の問題は慎重中幾分の果断を加味するを要す」(石田雄『明治政治思想史研究』未来社1954年301、305、308頁より孫引き。)(コラム#1610)

 近衛文麿(1891〜1945年):「抗日の激するところ、いまや国を挙げて赤化勢力の奴隷たらんとする現状に立ちいたった。ことここにいたっては、ただに日本の安全の見地からのみに止まらず、広くは正義人道のため、特に東洋百年の大計のためにこれに一大鉄槌を加えて直ちに抗日勢力のよってもって立つ根源を破壊し、徹底的実物教訓によりてその戦意を喪失せしめ、しかる後において支那の健全分子に活路をあたえ、これと手を握って俯仰天地に愧じざる東洋平和の恒久的組織を確立するの必要に迫られてきた。・・・
 この日本国民の歴史的大事業を、我らの時代において解決するということは、むしろ今日生をうけたる我ら同時代国民の光栄であり、我々は喜んでこの任務を遂行すべきであると思う。」(首相として行った「時局に処する国民の覚悟」演説(1937.9.11))(コラム#6272)

 東條英機(1884〜1948年):「終戦後、僅か三年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯 (か) くの如くである。今後の事を考えれば、実に憂慮にたえぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上もないではないか。・・・
 今次戦争の指導者たる米英側の指導者は大きな失敗を犯した。第一に日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。 第二には満州を赤化の根拠地たらしめた。第三は朝鮮を二分して東亜紛争の因たらしめた。米英の指導者は之を救済する責任を負うて居る。・・・
 今回の戦争に因 (よ) りて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら幸いである。」(遺書(1948))(コラム#6352)

 要するに、アジア侵略史観はもとより、アジア解放史観(林房雄『大東亜戦争肯定論』から始まる)も間違い。
 自衛権(個別的自衛権・集団的自衛権)を発動した(=自存自衛のための)戦い。
 ただし、それは、マッカーサーが1951.5.3米議会証言で述べた意味での自存自衛ではない。
 「・・・彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。」
http://www.chukai.ne.jp/~masago/macar.html
 この議会証言で述べた、下掲のもう一つの方の意味。
 「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」(同上)

(アジア侵略史観に関する参考)対華21カ条要求(1915.1.18)
 その中で日本の支那侵略意図を示すものとされているのが、「政治経済軍事顧問として有力な日本人を雇用すること」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E8%8F%AF21%E3%82%AB%E6%9D%A1%E8%A6%81%E6%B1%82
という条項だ。
 しかし、これは、全くもって適切な要求だった。
 後に日本が撤回した「中華民国」へのこの要求は、30年後の1945年に至って、ようやく実現(白団)するも、「中華民国」は1949年に事実上滅びることになる。
 しかし、おかげで、「中華民国」は台湾で完全滅亡を免れて現在に至っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%9B%A3 及びコラム#7030
 ちなみに、1952年の反英エジプト革命
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%AB
から実に62年後に、元英首相のブレアがエジプトの事実上の経済顧問に就任している。
http://www.theguardian.com/politics/2014/jul/02/tony-blair-advise-egypt-president-sisi-economic-reform

 ただし、日中戦争の間、日本軍が、ソ連軍と同様に捕虜虐待/殺害を組織的に行ったほか、大部分の他国軍と同様に婦女暴行を多発させたこと・・だからこそ、慰安所を設置した・・、かつまた、ゲリラと戦った他国軍同様、八路軍活動地域を中心に民間人殺害を相当規模行ったのは事実。(コラム#2544、2902)

 ちなみに、同じ民間人殺害でも、作戦上の必要性からではなく、民間人殺害それ自体を目的に行われたのが、米軍による日本の都市焼夷弾攻撃であり、原爆投下だ。(コラム#819〜、830〜)

 ここで、簡単に、集団的自衛権問題を説明しておきたい。

III イギリスとヨーロッパの違い

1 アングロサクソン文明対欧州文明

 何のために、こんな話をするかと言うと、横井小楠コンセンサスに集約されているところの、近現代日本における、与国と敵国の仕分けの拠ってきたるゆえんを理解するため。
 結論を先に言えば、アングロサクソン文明系諸国が与国、欧州文明系諸国が敵国、ということなのだが、どうしてそうなのか、ということ。
 (アメリカの位置づけは微妙なのだが、それは、次回に説明。)
  
 まず、押えるべきは、イギリスは欧州とは異なった文明に属するということであり、前者のアングロサクソン文明と後者の欧州文明の違いは、(古代ローマ文明を継受しなかったところの)個人を重視し、個人によって構成される社会と、(古代ローマ文明を継受したところの)全体を重視し、階級によって構成される社会の違いである、ということ。
 当然、前者は自由主義的であるのに対し、後者は専制主義的ないし全体主義的。
 アングロサクソン社会がゲルマン人由来の個人主義(コラム#88、89)社会であることは、本来的に階級の不存在(コラム#92)を意味するところ、それは、その社会が、(島国ゆえに)安全で、また、豊かであった(コラム#54)からこそ成り立ちえたのであり、それは、アングロサクソン人の生業が戦争(下出)という階級原理に立脚した全体主義的でありかつ生死をかけた営みであったからこそ、それ以外の時間、つまり、平時には、その反動でのんびりとバラバラに過ごそうとしたことに由来。
 だから、彼らは、平時には反勤勉主義(反産業主義)(コラム#81)なのだが、平時を楽しく過ごしながら戦争に備えるためにスポーツも愛好(コラム#27)。
 他方、欧州は、ゲルマン人がローマ帝国西部を占領してローマ人を支配して始まったという経緯から、その支配層は、常に、(被搾取者たる)被支配層の叛乱のほか、(自然障壁がないために)戦争にも備えなければならず、彼らは、余儀なく、有事の階級原理や全体主義、更には勤勉主義、を平時においても維持。
 さて、アングロサクソン社会が個人主義社会であるということは、昔から、財産は、生産手段たる土地を含め、個人が基本的に自由に処分できたということであり、これは、アングロサクソン社会が元から資本主義社会であったことを意味。
 他方、欧州社会は、ゲルマン人たる支配層が、旧ローマ人たる被支配層・・その大部分は農民・・に農地の処分権を与えず、農奴として土地に縛り付けて彼らから搾取した上、彼らに様々な役務を行わせる、という封建社会という形で出発。
 個人主義/自由主義/資本主義社会は本来的に政府介入を嫌うところ、アングロサクソン社会は欧州社会に比べて、叛乱も戦争も少なく、相対的に安全だったので、政府は最初から中央集権的ではあったものの、小さいまま推移。
 他方、欧州では、政府は、軍事費を調達するために社会に積極的に介入(社会から収奪)しなければならなかったところ、分権的な封建社会を克服するための中央集権化を進めれば進めるほど大きな政府になって行った。すなわち、欧州は、最初から、社会主義的であり、重商主義的。(コラム#802、3148、5662)
 以上とも関連し、アングロサクソン社会では一貫して議会主権(コラム#91、5009、5053)であり、生業たる戦争の際の最高司令官である国王は議会が選び、戦争のための経費も議会が国王に与えたのに対し、欧州社会は君主主権で出発。なお、欧州では、後に君主主権が観念上は人民主権によって代替。
 また、アングロサクソン人は、個人主義者であって、権威や権力を好まぬ、いわば庶民感覚を抱いていることもあって、その思考法は試行錯誤を旨とする経験論的なものであるのに対して、欧州の被支配層は、ゲルマン人に支配されて以来、権威や権力に服従することに慣らされ、支配層に迎合的であることもあって、エリートたる支配層を含め、欧州人の思考法は、公理から出発した理論構築を旨とする合理論的なもの。(コラム#46)
 近代科学は、このアングロサクソンの経験論的思考からグロステスト等によって生誕。(コラム#46)
 更にまた、アングロサクソン人は、自然宗教的な宗教感情を抱いている(ペラギウス派(下出))こともあり、欧州人が好きであるところの、カトリック教義を典型とするイデオロギー的なもの(政治的宗教(コラム#1161、3676〜))を嫌悪。
 法についても、アングロサクソン社会は、陪審制度を通じていわばアマが形成した判例法の社会であるのに対し、欧州は、ローマ法の伝統の下でプロである司法行政官が作った制定法の社会。(コラム#90)

 人間主義の日本文明が欧州文明よりもアングロサクソン文明に親和的であることは、以上からだけでも明白。

 このように、アングロサクソン文明と欧州文明とを対蹠的なものとする見方は、横井小楠を嚆矢として、戦前の日本の政治家の間では常識に近かったというのに、戦前戦後を通して日本の知識人の間では、私の知る限り、中江兆民以外は皆無。
 もっとも、欧州文明の知識人の間でも、かかる見方を表明する者は殆んど皆無だし、アングロサクソン文明の知識人の間でも極めて少ない。
 (その極めて少ない中の一人を、「アングロサクソン・欧州文明対置論」シリーズ(コラム#6583、6585、6587、6589、6591、6593、6595、6597)で紹介。)
 しかし、表明しないだけで、知識人も大衆も、ホンネでは当然視。
 この対蹠性を知らないと、最近の動きだけでも、英国がEUから脱退しかけていることや、その英国からスコットランド・・欧州文明に属する・・が分離しようとしていることが理解不可能。

 では、最後に、この対蹠的であるところの、アングロサクソン文明と欧州文明が、それぞれどのように成立したのか・・既に処々で若干言及したが・・を振り返っておきたい。

2 アングロサクソン文明の成立

 アングロサクソン文明は成立するまでが極めて複雑かつユニークだが、成立してからは殆んど変わっていない、いわば、不変の文明。
 もっとも、成立するまでは極めて複雑かつユニークなのだが、人種的には、成立するまでも含め極めて単純。要するにイギリス人は・・そして、ウェールズ人、スコットランド人、アイルランド人も・・バスク人。
 ちなみに、イグナチオ・デ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル、シモン・ボリーバル、モーリス・ラヴェル、チェ・ゲバラはバスク人。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%AF%E4%BA%BA
 ただし、バスク人とは言っても、恐らくはピレネー地方から(当時は陸続きであったとはいえ、)はるばるブリテン諸島の地まで移住した、とりわけ進取の気性に富んだ人々。
 このバスク人は、人種的にも言語的にも、他の欧州原住民達とは大きく異なっており、このことから来るユニークさの意識をイギリス人も継承しているように思われる。(コラム#379)
 そのはるか後、ごく少数のケルト人がブリテン諸島に渡来したが、ここで原住民(バスク人)は、言語を含め、そのケルト人の文化を継受し、ケルト人になり切ってしまう。
 その文化は人間主義的な側面があったと私は見ている。
 自然崇拝に重点を置く多神教であったことや、女性の地位が高く性的にも奔放だったこと
http://en.wikipedia.org/wiki/Celts
がその根拠だ。
 ところが、今度は、5世紀に少数のゲルマン人たるアングロサクソン人(アングル人、ジュート人、サクソン人)がグレートブリテン島に侵入し、イギリスに定着すると、ブリテン諸島中の大ブリテン島中のイギリスの原住民(ケルト化したバスク人)はゲルマン文化を継受し、ゲルマン人になり切ってしまう。
 その文化は、個人主義で戦争が生業であり(拙著『防衛庁再生宣言』139頁、コラム#41、61、72、81(のQ&A)、82、125、307、399、426、489、616、726、852、857、1427、1815、2210、2271、2334、2352、3513、5009)、また、陪審制や戦士たる成人男性によって構成される集会で戦争指導者を選ぶ慣習を伴っていた。
 (ケルト化時代とゲルマン化時代の間に、ゲルマン人かケルト人か決着の付いていない、ベルガエ人の言語をイギリスのケルト化した原住民が採用し、また、その後、ローマがイギリスとウェールズを征服している。ベルガエ人の言語はゲルマン化した後の原住民に引き継がれたが、ローマ文化は、ゲルマン化したところの、イギリスの原住民には引き継がれなかった。(ゲルマン化しなかったところの、ウェールズの原住民には引き継がれた部分がある。))

 なお、人間主義的要素は、キリスト教が伝わってからも、イギリスまたはスコットランド出身のペラギウス(コラム#461)の教義、ゲルマン化してからもアルフレッド大王(コラム#3954)の事績、から失われなかったことが分かる。
 アングロサクソンの個人主義が人間主義によって補完されていることを明らかにしたのが、スコットランド人のアダム・スミス。(コラム#2562、3756、4174、6200)

3 欧州文明の成立

 欧州文明の方は、大元の成立の仕方は単純なのだが、(不変の文明たるアングロサクソン文明とは違って、)それから、どんどん変わっていくやっかいな文明。
 これは、直近にして最も縁の深いアングロサクソン文明の影響を、同文明が一方的に受け続けたため。
 そこで、これは私だけだが、広義の欧州文明を、プロト欧州文明と狭義の欧州文明に分け、更に、後者の前段に「過渡期」を設定することにした。
 そうなると、欧州文明の成立は、事実上、大中小の3回もあることになる。
 さて、欧州文明は、ローマ文明(ローマ法、キリスト教、等)を継受していることから、その成立については、少なくとも古代ローマの中期くらいまで遡って考察する必要がある。
 ローマ中期には、ローマ社会は、少数の市民と多数の非市民・奴隷から構成されていた。
 奴隷の主たる供給源は、ローマとの戦争で敗北し征服された人々だったが、市民権が次第に非市民にも広げられて行ったこと、また、市民は奴隷を解放することができたことから、奴隷の中から、非市民へ、更には市民へと「昇格」する者も増えて行った。
 紀元1〜2世紀には、ローマの領域拡大が止まって戦争も少なくなり(パックス・ロマーナ)、奴隷が新たに供給されなくなって奴隷の数が極めて少なくなったこともあり、市民権が、ローマ住民の大部分へと拡大された。しかし、全員が平等になったというわけではなく、ローマ市民は、大きく、少数の支配層(パトロン)と多数の被支配層(クライアント)に分かれたまま推移することになった。
 そこへ、4〜5世紀にゲルマン人が侵攻してきた。
 ゲルマン人は、新たにパトロンの地位に就き、旧ローマ人全体をクライアントへと貶め、(ベルガエ人同様、ゲルマン人かケルト人かはっきりしていない)テュウトニ人の集団的土地所有制度にも影響を受けて、領主と農奴からなる封建社会・・全体主義的な階級社会・・を作り上げ、ローマ法由来の制定法とキリスト教のカトリック教義でもって、旧ローマ人達を拘束し、搾取した。 
 これがプロト欧州文明の成立だ。
 プロト欧州文明は、領主層が、互いに争い、また、被支配層の叛乱に脅かされるという、恒常的に戦争状態に置かれた、分権的な文明だった。
 だから、欧州人は、自分達の社会に比べて、平和で豊かで自由で中央集権的なアングロサクソン文明に憧れ続けることになった。
 その結果、欧州で、まずは、アングロサクソン文明の宗教観を誤解的・歪曲的に継受して16世紀前半に宗教改革・・実は小カトリック教会の乱立・・が起き、更に、(16世紀前半にヘンリー8世がイギリスの教会をカトリック教会から分離させたことを背景として)16世紀後半には英西戦争というアングロサクソン文明対プロト欧州文明戦争が起き、それがイギリス側の実質的勝利に終わったことに衝撃を受けたこともあり、イギリスの中央集権制を誤解的・歪曲的に継受して絶対王政がフランス等で成立した。
 これが、狭義の欧州文明の成立であり、その過渡期の開始だ。
 今度は、第二次英仏百年戦争という第一次アングロサクソン文明対欧州文明戦争が起きるが、今度は明確に欧州側が敗北し、欧州側の盟主格であったフランスは、植民地を殆んど失ってしまう。
 この間、欧州の啓蒙主義者達がアングロサクソン文明の政治経済思想を誤解的・歪曲的に欧州で普及させていたところ、18世紀後半に、米独立革命の影響もあり、啓蒙主義を掲げた市民革命がフランス革命を嚆矢として始まり、(アングロサクソン文明は民主主義嫌いだというのに、)それまでの君主主権が表見的に人民主権で置き換えられ行き、(フランス革命で創り出された)ナショナリズム、(ヒットラーが極端な形で実践した)ファシズム、(マルクスが提唱した共産主義の嫡出子である)スターリニズムという民主主義独裁のイデオロギーに欧州は絡めとられて行くことになる。
 これが、狭義の欧州文明の過渡期の終了だ。
 その後、ナポレオン戦争という、欧州側がナショナリズムを掲げた、第二次アングロサクソン文明対欧州文明戦争に再び欧州側が敗れ、この戦争で引き続き盟主格を務めたフランスは爾後、盟主格の座を永久にドイツに譲ることになり、第一次世界大戦/第二次世界大戦という、欧州側がマクロ的にはファシズムを掲げた、第三次アングロサクソン文明対欧州文明戦争で三度欧州側が敗れ、欧州文明は解体的大打撃を受け、欧州が欧州文明の生み出したマルクス主義の嫡子たるスターリニズムを掲げた、欧州文明の外延のロシアに東部を占領されるという異常な東西冷戦時代を経て、欧州は、現在、プロト欧州文明に回帰しつつある。
 
 (以下、「欧州文明の成立」と「欧州文明の成立(続)」の両シリーズがまだ公開されていないことから、最適とは言えないが、もっぱら、日本語ウィキペディアを参考として掲げた。)
 
 ローマ中期(奴隷制)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%83%A0
 ローマ末期(パトロン・クライアント制)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9
 封建時代(封建制/農奴制)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E5%BB%BA%E5%88%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%A5%B4%E5%88%B6
 アングロサクソン文明との対決時代(絶対王政)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E6%94%BF
 アングロサクソン文明の模倣時代(ナショナリズム、ファシズム、スターリニズム)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0 (ナショナリズム)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0 (ファシズム)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%BA%E3%83%A0 (ナチズム)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0 (スターリニズム)
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 一人題名のない音楽会です
 John Ogdonの14回目です。

01. Balakirev. Tyrolean Dance(注) 佳曲。

(注)解説類を発見できず。

02. Balakirev. Islamey - Oriental Fantasy(注) 名曲。

(注)1869年作曲。「第1主題は、カバルディノ・バルカル自治共和国の「レズギンカ」の一種である。・・・第2主題は、・・・起源はタタール人の恋歌であった。・・・《イスラメイ》はバラキレフの死後まもなく、門弟セルゲイ・リャプノフによって管弦楽曲として編曲された。またイタリアの作曲家アルフレード・カゼッラによる管弦楽編曲版も存在する。・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%82%A4
< セルゲイ・リャプノフによる管弦曲版。指揮:Igor Golovschin オケ:Russian Symphony Orchestra
https://www.youtube.com/watch?v=0DaF-rq06Oc >

03. Liszt. Valses oubliees, S215 - No. 2(コラム#6968、7038と同じ) まあまあの曲。
04-06. Debussy. Etudes - Nos. 1, 2 & 5(注) いずれも、まあまあの曲。

(注)1915年作曲。「ショパンの追憶に」とされている。1:五本の指のための練習曲、チェルニー氏による、2:三度のための練習曲、5:オクターヴのための練習曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%B4%E7%BF%92%E6%9B%B2_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)

07. Busoni. Sonatina No. 6, Chamber Fantasy on Carmen (1920)(コラム#6940と同じ) 佳曲。
https://www.youtube.com/watch?v=3i7rkuv-aIQ

(続く)
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太田述正コラム#7067(2014.7.19)
<米独立革命とキリスト教(その2)>

→非公開

太田述正コラム#7068(2014.7.20)
<2014.7.20関西オフ会次第>

→非公開