太田述正コラム#6803(2014.3.9)
<江戸時代における外国人の日本論(その14)>(2014.6.24公開)

5 番外編

 (1)序

 以下の人選や言は、特に断っていない限り、前出の
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/sb.cgi?eid=403&more=3 
に拠っているところ、ブログ主の「くっくり」さんに篤く御礼を申し上げておきたいと思います。

 (2)構造主義の観点からの日本論

 クロード・レヴィ=ストロース(Claude Levi-Strauss。1908〜2009年)は、「両親ともアルザス出身のユダヤ人の家系であり、・・・ ソルボンヌ大学を卒業し法学の学士号を取得するかたわら、哲学を学び、アグレガシオン(哲学教授資格試験)に合格する。・・・彼の問題意識はサルトルの実存主義という主体偏重を批判し、西洋社会における、西洋中心主義に対する批判的意識から出発している。前者に対しては、主体ではなく、主体間の構造こそが重要だと主張し(主体が使う言語は共同体社会によって生み出された構造主義的なものなので、絶対的な主体ではありえない)、後者に対しては、どのような民族においてもその民族独自の構造を持つもので、西洋側の構造でその他の構造に対して優劣をつけることなど無意味だと主張した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%EF%BC%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9
という人物です。
 1993年4月14〜15日のNHK「ETV特集」での彼の言か、死後に出版された『月の向こう側 日本について(L'autre face de la lune. Ecrits sur le Japon) 』(2011年)あたりが典拠なのでしょうが、彼は日本について、以下のように述べています。

 「民俗学者、文化人類学者として私が非常に素晴らしいと思うのは、日本が、最も近代的な面においても、最も遠い過去との絆を持続し続けていることができるということです。
 私たち(西欧人)も自分たちの根があることは知っているのですが、それを取り戻すのが大変難しいのです。もはや乗り越えることのできない溝があるのです。
 その溝を隔てて失った根を眺めているのです。だが、日本には、一種の連続性という絆があり、それは、おそらく、永遠ではないとしても、今なお存続しているのです。」
http://www.kunidukuri-hitodukuri.jp/book/06/0601.html

→私は、彼の『悲しき熱帯(Tristes tropiques)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%8D%E7%86%B1%E5%B8%AF_(%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9)
の抄訳を読んだことがありますが、内容はすっかり忘れてしまっています。
 さて、上掲の彼の言については、彼が、日本民族は、独自の構造を持っておらず、諸民族共通の根、たる構造を維持している、と主張しているのか、はたまた、諸民族共通の根、すなわち無構造時代のままである、と主張しているのかは定かではありません。。
 私の説であるところの、江戸時代とも共通した、昭和期以降の日本のエージェンシー関係の重層構造は日本民族独自の構造ではないか、と指摘する人がいるかもしれませんが、私は、人間主義を、agentという欧米用語を用いて言い換えたに過ぎないのであって、エージェントを変えることは自由なのですから、要は、日本民族独自の構造に相当するものは存在しない、というのが私の考えです。
 狩猟採集社会において人間は全て基本的に人間主義者であったが故に、社会に基本的に構造(しがらみ)などなかったところ、農業/遊牧社会の時代になってから、ほぼ日本だけを除き、全世界において、各民族独自の構造・・例えば部族制や奴隷制(ないしカースト制)や封建制や個人主義(個人主義もそのコインの裏面が資本主義であることからも分かるように構造です)・・が生まれた、と私は思うのです。
 そのように、人々が構造(しがらみ)から解放されている、という意味においても、私は日本文明の至上性を主張しているのです。
 ストロースは、欧米人、すなわち、日本人以外、で初めて、僭越ながら、私の考えに近接したか、私の考えと同じ考えに到達した、珍しい碩学である、と言えそうです。(太田) 

 (3)外国人の先の大戦時の日本兵評

 チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh。1902〜74年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
(コラム#486、2902、2906、4828、6204、6206、6208、6210、6212、6214、6216、6269、6291、6492、6500)については、改めて説明を要しないでしょう。


 以下は、『リンドバーグ第二次大戦日記(The Wartime Journals of Charles A. Lindbergh)』(1970年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Lindbergh
の1944年7月13日付の記述からです。

 「話が日本軍とわが軍が犯す残虐行為に及んだ。わが軍の一部兵士が日本人捕虜を拷問し、日本軍に劣らぬ残虐な蛮行をやっていることも容認された。
 わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。
 われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが、太平洋における戦争をこの眼で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う。
 事実、この点に関するわれわれの成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。」

→日本軍兵士が米軍等の兵士を「動物以下に取り扱」ったことなどありえないことですし、リンドバーグは沖縄戦を見聞していないために米軍兵士による沖縄住民への蛮行について記していないことも残念ですが、(私が、ローズベルト同様、全く評価していない人物ではあるけれど、)リンドバーグのような著名米国人が、米兵が少なくとも日本兵並に残虐であったことを証言してくれていることは、有り難いことです。(太田)

 次に、アンドレ・マルロー(Andre Malraux。1901〜76年)(コラム#6421、6779)です。
 彼は、大学には行っていない。「<インドシナを2度訪問した後、作家活動を始め、>1934年には上海における共産主義政権の崩壊を描いた『人間の条件』を書いて1933年にはゴンクール賞を受賞している。・・・1936年スペイン内戦が起こると義勇兵として共和国派に参加し、空軍パイロットとしてマドリッド攻防戦で二度負傷し・・・この経験をもとに1938年『希望』を出版した。・・・第二次世界大戦<中には>・・・レジスタンス運動に身を投じた。・・・<更に、>自由フランス軍のアルザス・ロレーヌ旅団司令官となり、ストラスブール防衛戦やシュトゥットガルト攻略戦に参加した。・・・<戦後、2度情報相を務めた後、>1960年から1969年にかけて文化相に在任した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC
という人物です。

 以下は、会報「特攻」第8号からであり、「元リヨン大学客員教授で特別操縦見習士官だった長塚隆二氏が、<1974>年夏にパリ南方郊外にアンドレ・マルロー氏を訪れ、「特攻隊員に対する戦前・戦後の急激な評価の変化、その純粋な心を傷つける輩の態度に憤りを感じている」と話したことに対する、アンドレ・マルロー氏の言葉」です。

 「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。ス夕−リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特別特攻隊員たちはファナチックだったろうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。
 戦後にフランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、私はそのことをとくに陛下に申し上げておいた。
 フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなにすくない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつもいってやる。《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》と。私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである。」

→アジア通で歴戦の勇士であると同時に欧州の20世紀の文化人を代表する1人であるマルローによる特攻評は秀逸です。
 また、彼が、明らかに米国を暴漢に準えていることも痛快です。(太田)

(続く)