太田述正コラム#6797(2014.3.6)
<江戸時代における外国人の日本論(その11)>(2014.6.21公開)

 今度は、既に登場したニコライ・ドミートリエヴィチ・カサートキン( Иван Дмитриевич Касаткин。1836〜1912年)にもう一度登場してもらいましょう。
 以下は、彼の『ニコライの見た幕末日本』からです。

 「片田舎の農民を訪ねてみるがよい。政府について民衆が持っている考えの健全かつ自主的であることに、諸君は一驚することだろう。……民衆について言うならば、日本の民衆は、ヨーロッパの多くの国に比べてはるかに条件は良く、自分たちに市民的権利があることに気がついてよいはずだった。ところが、これら諸々の事実にもかかわらず、民衆は、自分たちの間に行われていた秩序になおはなはだしく不満であったというのだ!
 商人はあれやこれやの税のことで不満を言い(実際にはその税は決して重くはないのだ)、農民は年貢の取り立てで愚痴を言う。また、誰もかれも役人を軽蔑していて、「連中ときたら、どいつもこいつも袖の下を取る。やつらは碌でなしだ」と言っている。そして民衆はおしなべて、この国の貧しさの責任は政府にあると、口をそろえて非難している。
 そうしたことを聞くのはなかなか興味深いことであった。それでいて、この国には乞食の姿はほとんど見かけないし、どの都市でも、夜毎、歓楽街は楽と踊りで賑わいにあふれている。これが、支配者の前に声なく平伏す東方的隷従だろうか。」

→生涯、ロシアと日本以外を知らなかったニコライに、幕末の日本の庶民の自由闊達さと豊かさを褒めてもらっても、と言いたくなるかもしれませんが、彼が、サンクトペテルブルク神学大学で学んだ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E4%B8%BB%E6%95%99) 前掲
以上は、講義や書籍を通して、当時のロシアならぬ欧州諸国の民衆の状況についても、ある程度正確な知識を持っていたと考えられるので、彼の言っている通り、幕末の日本の庶民は、欧州諸国の庶民よりも恵まれていた、と受け止めたいと思います。(太田)

 次は、ウィリアム・エリオット・グリフィス(William Elliot Griffis。1843〜1928年)です。
 彼は、「<米>ラトガース大学で福井藩からの留学生であった日下部太郎と出会い、親交を結ぶ。その縁により明治4年(1871年)に日本に渡り、福井藩の藩校明新館で同年3月7日から翌年1月20日まで理科(化学と物理)を教えた。・・・
 明治5年(1872年)、・・・大学南校(東京大学の前身)に移り、明治7年(1874年)7月まで物理と化学、精神科学など教えた。
 明治8年(1875年)<米国に>帰国後は牧師となるが、米国社会に日本を紹介する文筆・講演活動を続けた。1876年に<米国>で刊行したThe Mikado's Empire(『ミカドの帝国』あるいは『皇国』と訳される)は、第一部が日本の通史、第二部が滞在記<(『明治日本体験記』)>となっている」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9
という人物です。

 以下は、彼の『明治日本体験記』からです。

 「アジア的生活の研究者は、日本に来ると、他の国に比べて日本の女性の地位に大いに満足する。ここでは女性が、東洋の他の国で観察される地位よりもずっと尊敬と思いやりで遇されているのがわかる。日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている。・・・
 女性が纏足・・・させられることはないし、中・下層階級の女性もアメリカなみにほとんど自由に出歩ける。」

→グリフィスは、明治初期の日本の女性の地位が米国におけるそれに匹敵することを示唆していますが、前にも記したように、実は日本では女性の方が男性より優位にあることまでは彼は見抜くことができなかったようですね。(太田)

 次は、エミール・エティエンヌ・ギメ(Emile Etienne Guimet。1836〜1918年)です。

 彼は、「フランスの実業家。・・・旅行者、美術の鑑定、収集家としても知られる。・・・[世界有数の東洋美術館として知られるパリのギメ博物館の創設者。1876年(明治9年)訪日。]」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A1
という人物です。

 以下は、彼の『1876ボンジュールかながわ フランス人の見た明治初期の神奈川』からです。

 「日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。安楽で静かで幸福な生活、大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな感覚と慎ましやかな物質的満足感に満ちた生活を何と上手に組み立てることを知っているのだろう。」

→ちょっと気の利いた外国人なら、容易に日本の人間主義社会の素晴らしさに気付かされる、ということが分かります。(太田)

 次は、エドウィン・アーノルド(Edwin Arnold。1832〜1904年)です。
 彼は、オックスフォード大卒。「イギリス出身の新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、東洋学者、日本研究家、仏教学者、詩人。・・・ヴィクトリア朝における最高の仏教研究者・東洋学者とされる。『デイリー・テレグラフ』紙編集長、インド国立サンスクリット大学(現・デカン大学)学長、慶應義塾(現・慶應義塾大学)客員講師<などを務める。>・・・化学及び英訳を担当した。滞在中に3番目の妻・黒川玉(Tama Kurokawa)と結婚した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%89
という人物です。

 以下は、彼が来日した1889年(明治22年)に「東京クラブ」で行った講演からです。

 「都会や駅や村や田舎道で、あなたがたの国のふつうの人びとと接してみて、私がどんなに微妙なよろこびを感じたか、とてもうまく言い表せません。どんなところでも、私は、以前知っていたのよりずっと洗練された立ち振舞いを教えられずにはいなかったのです。また、本当の善意からほとばしり、あらゆる道徳訓を超えているあの心のデリカシーに、教えを受けずにはいられませんでした。・・・
 《日本は「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国<です>。》」(《》内はウィキペディア上掲より)

→アーノルドは仏教学者であり、彼の眼には、日本は菩薩
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E8%96%A9
達が過半を占める国、或いは、菩薩達の国土たる浄土
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F
に近い国、と映った、ということでしょう。(太田)

 また、以下は、彼の『ヤポニカ(Japonica)』(1891年)からです。

 「日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、「やかましい」人、すなわち騒々しく無作法だったり、しきりに何か要求するような人物は、男でも女でもきらわれる。すぐかっとなる人、いつもせかせかしている人、ドアをばんと叩きつけたり、罵言を吐いたり、ふんぞり返って歩く人は、最も下層の車夫でさえ、母親の背中でからだをぐらぐらさせていた赤ん坊の頃から古風な礼儀を教わり身につけているこの国では、居場所を見つけることができないのである。・・・
 この国以外世界のどこに、気持よく過すためのこんな共同謀議、人生のつらいことどもを環境の許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとするこんなにも広汎な合意、洗練された振舞いを万人に定着させ受け入れさせるこんなにもみごとな訓令、言葉と行いの粗野な衝動のかくのごとき普遍的な抑制、毎日の生活のこんな絵のような美しさ、生活を飾るものとしての自然へのかくも生き生きとした愛、美しい工芸品へのこのような心からのよろこび、楽しいことを楽しむ上でのかくのごとき率直さ、子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣のかくのごとき普及、異邦人に対するかくも丁寧な態度、自分も楽しみひとも楽しませようとする上でのこのような熱心――この国以外のどこにこのようなものが存在するというのか。・・・
 生きていることをあらゆる者にとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意、社会全体にゆきわたる暗黙の合意は、心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣をも含意している。」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/sb.cgi?eid=403&more=3 ([]内も)

→ここで、アーノルドは、菩薩達が過半を占める国、浄土に近い国である日本を、できる限り詳細かつ具体的に言葉で英語圏の人々に伝えようとし、それに見事に成功しています。
 感動ですね。(太田)

(続く)