太田述正コラム#6795(2014.3.5)
<江戸時代における外国人の日本論(その10)>(2014.6.20公開)

 今度は、エドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse。1838〜1925年)です。
 モースは、「<米国>の動物学者。標本採集に来日し、請われて東京大学のお雇い教授を2年務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した。大森貝塚を発掘した。日本に初めて、ダーウィンの進化論を体系的に紹介した。・・・<彼は、>1871年、大学卒の学歴が無いにもかかわらず、31歳でボードイン大学(Bowdoin College)教授に就任し<た>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%B9
という人物です。
 以下は、彼の上梓した、『日本その日その日(Japan Day by Day)』・・「1913年、75歳になったモースが、30年以上前の日記(明治10〜12、15〜16年)とスケッチをもとに執筆し、1917年に刊行された日本滞在記」・・
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-08-14-1
からです。

 「外国人は、日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のことに気がつき始める。即ち彼は、日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於て道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。
 衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。」
http://www.kunidukuri-hitodukuri.jp/book/06/0601.html

→またもや、日本の広狭の人間主義への讃嘆です。
 富者は奢らず、貧者は貧なれども鈍ならず、その志高し、といったところですね。(太田)

 「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい・・・
 外国人の筆者が一人残らず一致することがある。それは、日本が子どもたちの天国だということである。・・・
 この国の子どもたちは親切に取り扱われるばかりではなく、他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持ち、その自由を乱用することはより少なく、気持ちのよい経験の、より多くの変化を持っている。・・・
 世界中で両親を敬愛し、老年者を尊敬すること、日本の子どもに如くものはない。汝の父と母とを敬愛せよ・・・これは日本人に深くしみ込んだ特性である。・・・

→人間主義的環境の下、日本の子供達は、誰に教えられることもなく、自分達自身で規範意識を身に付ける、ということをモースは巧まずして言っているわけです。(太田)

 日本人のきれい好きなことは、常に外国人が口にしている。日本人は、家に入るのに、足袋以外は履いていない。木製の履物なり、わらの草履なりを、文字通り踏み外してから入る。
 最下級の子どもたちは家の前で遊ぶが、それにしても地面でじかに遊ぶことはせず、大人がむしろを敷いてやる。」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-744.html

→日本人が、身体を清潔に保つことは、精神を高潔にすることにつながっている、と私は思います。(太田)

 また、以下は、モースが1886年(明治19年)に上梓した本『日本の住まいとその周辺(Japanese Homes and their Surroundings)』からです。

 「<欧米の>文筆家たちは「日本の住居にはプライバシーが欠けている」と述べている。
 しかし彼らは、プライバシーは野蛮で不作法な人々の間でのみ必要なことを忘れている。
 日本人は、こういった野蛮な人々の非常に少ない国民である。
 これに対し、いわゆる文明化された民族、とりわけイギリス人やアメリカ人の社会の大半は、このような野蛮な人々の集まりなのである。」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-744.html 上掲

→モースは、日本文明こそ人類の最高位の文明である、と言っているのです。
 日本人から見れば、他のあらゆる文明の民は野蛮人である、と。(太田)

 次に、アレクサンダー・F・V・ヒューブナー(Joseph Alexander, Freiherr von Hubner。1811〜92年)(注10)
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/1137922.html
です。
 彼は、「1844年ライプツィヒ駐オーストリア総領事を振り出しに、1851〜1859までナポレオン三世治下のパリでオーストリア大使を務め、1865〜1867のローマ教皇庁駐在オーストリア大使を最後に外交官生活を引退。・・・駐仏公使時代にはクリミア戦争を終結するパリ条約(1856)にオーストリア全権として署名。警察大臣も1859年につとめている。ヴァチカン文書館所蔵の外交書簡をもとに「シクストゥス五世伝」八折判三巻の著作(1870、仏オ伊三国で同時刊行)もある。」という人物です。

 (注10)日本滞在中はFreiherr(男爵)、しかし後にGraf(伯爵)になったと考えられる。(http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/1137922.html 前掲から推測)

 彼の『オーストリア外交官の明治維新―世界周遊記 日本篇』は、「1871年5月14日アイルランドのクィーンズタウンから・・・リバプール、ニューヨーク、ワシントン、シカゴ、ソルトレイク、サンフランシスコ、横浜(1871(明治4)年7月24日)、長崎(10月2日発)、上海、北京、天津、香港、広東、マカオ、マルセイユ(1872年1月10日)」という世界一周旅行について記した 「世界周遊記<」の>第2部日本編の全訳<です>。
 <その>底本は第6版Prpmenade autour du Moude 1871 par M.le Baron de Hubner 2vols.・・・初版は1873年刊・・・フランス語原稿は初版刊行の1873年から1877年までに六度版を重ねたことからも明らかなように、当時の<欧州>の読書界で洛陽の紙価を高らかしめた書物で」した。
 「<ちなみに、>ヒューブナーは・・・三条実実、岩倉具視、大久保利通、徳川慶喜に直に会ってい<ますし、>また明治天皇との会見も・・・実現<しています>。」
http://blog.goo.ne.jp/k-74/e/f78976cf00a3c86ab0e3b20fe2f75732

下掲は、この本からです。

 「この国においては、ヨーロッパのいかなる国よりも、芸術の享受・趣味が下層階級にまで行きわたっているのだ。ヨーロッパ人にとっては、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ。・・・
 他の国では、自己の仕事の削減と他人の仕事増は大歓迎。しかし、これでは争いになるから、綿密な契約を作る、しかしトラブルは絶えないだろう。
 日本だけである、ニコニコ笑って自分の方がきつく厳しい思いをあえて選択するのは。どちらの精神の方が、戦争と平和という観点からも貴重であるか、明白の事であろうと思う。
http://erdrick.web.fc2.com/

→その経歴が物語っているところの、ヒューブナーのような超一流の人物は、わずか2ヵ月ちょっとの滞在で、滞在先の本質を見抜くことができる、ということが分かります。
 日本人は、富者も貧者もおしなべて、芸術と共に人間主義的に生きている平和愛好者である、というのですから、まことにもって正鵠を射ていますね。(太田)

(続く)