太田述正コラム#6793(2014.3.4)
<江戸時代における外国人の日本論(その9)>(2014.6.19公開)

 次は、イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 結婚後はIsabella Bird Bishop夫人。1831〜1904年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89
 彼女の『日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks in Japan)は有名ですが、この本は、「1878年(明治11)6月から9月にかけて東京から北海道(蝦夷地)までの旅行の記録」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A5%A5%E5%9C%B0%E7%B4%80%E8%A1%8C
であり、以下は、それ(の邦訳)からの引用です。

 「上陸して最初に私の受けた印象は、浮浪者がひとりもいないことであった。街頭には、小柄で、醜くしなびて、がにまたで、猫背で、胸は凹み、貧相だが優しそうな顔をした連中がいたが、いずれもみな自分の仕事をもっていた。・・・
 山腹を削って作った沼のわずかな田畑も、日当たりのよい広々とした米沢平野と同じように、すばらしくきれいに整頓してあり、全くよく耕作されており、風土に適した作物を豊富に産出する。これはどこでも同じである。草ぼうぼうの「なまけ者の畑」は、日本には存在しない。・・・
 私の宿料は《伊藤の分も入れて》一日で三シリングもかからない。どこの宿でも、私が気持ちよく泊れるようにと、心から願っている。日本人でさえも大きな街道筋を旅するのに、そこから離れた小さな粗末な部落にしばしば宿泊したことを考慮すると、宿泊の設備は、蚤と悪臭を除けば、驚くべきほど優秀であった。世界中どこへ行っても、同じような田舎では、日本の宿屋に比較できるようなものはあるまいと思われる。・・・
 ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。・・・

→日本人は、勤勉でそれぞれの仕事に誇りを持ち、環境や回りの人々に配意しながら仕事をしているところ、それが反産業主義のイギリスや仕事を苦役視している欧州では稀有なことであるからこそ、バードは感嘆しているわけです。(太田)

 伊藤は私の夕食用に一羽の鶏を買って来た。ところが一時間後にそれを絞め殺そうとしたとき、元の所有者がたいへん悲しげな顔をしてお金を返しに来た。彼女はその鶏を育ててきたので、殺されるのを見るに忍びない、というのである。こんな遠い片田舎の未開の土地で、こういうことがあろうとは。私は直感的に、ここは人情の美しいところであると感じた。・・・
 私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。・・・
 しばらくの間馬をひいて行くと、鹿皮を積んだ駄馬の列を連れて来る二人の日本人に会った。彼らは鞍を元通りに上げてくれたばかりでなく、私がまた馬に乗るとき鐙をおさえてくれ、そして私が立ち去るとき丁寧におじぎをした。このように礼儀正しく心のやさしい人びとに対し、誰でもきっと好感をもつにちがいない。・・・

→動物や子供に対する優しさは、日本人の人間主義の核心ですが、その人間主義は、見ず知らずの人にも向けられる、というわけです。(太田)

 いくつかの理由から、彼らは男の子の方を好むが、それと同じほど女の子もかわいがり愛していることは確かである。子どもたちは、私たちの考えからすれば、あまりにもおとなしく、儀礼的にすぎるが、その顔つきや振舞いは、人に大きな好感をいだかせる。・・・
 世界中で日本ほど、婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。・・・
 ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。・・・

→日本の治安のよさにも触れていますが、イギリスや欧州とは違って、日本が本来的に男女同権の社会であることにバードはびっくりしているのです。

 どこでも警察は人びとに対して非常に親切である。抵抗するようなことがなければ、警官は、静かに言葉少なく話すか、あるいは手を振るだけで充分である。・・・
 警察の話では、港に二万二千人も他所から来ているという。しかも祭りに浮かれている三万二千の人びとに対し、二十五人の警官で充分であった。私はそこを午後三時に去ったが、そのときまでに一人も酒に酔ってるものを見なかったし、またひとつも乱暴な態度や失礼な振舞いを見なかった。私が群集に乱暴に押されることは少しもなかった。どんなに人が混雑しているところでも、彼らは輪を作って、私が息をつける空間を残してくれた。・・・

→日本の治安のよさは、警察の優秀さもさることながら、一般の人々が人間主義者であるからこそ確保されている、ということが示唆されています。(太田)

 彼らは礼儀正しく、やさしくて勤勉で、ひどい罪悪を犯すようなことは全くない。しかし、私が日本人と話をかわしたり、いろいろ多くのものを見た結果として、彼らの基本道徳の水準は非常に低いものであり、生活は誠実でもなければ清純でもない、と判断せざるをえない。・・・
 日本の女性は、自分達だけの集まりをもっている。そこでは人の噂話やむだ話が主な話題で、真に東洋的な無作法な言葉が目立つ。多くの点において、特に表面に現れているものにおいては、日本人は英国人よりも大いにすぐれている。しかし他の多くの点では、日本人は英国人よりはるかに劣っている。このていねいで勤勉で文明化した国民の中に全く溶け込んで生活していると、その風俗習慣を、英国民のように何世紀にもわたってキリスト教に培われた国民の風俗習慣と比較してみることは、日本人に対して大いに不当な扱いをしたことになるということを忘れるようになる。この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように《残念ながら実際にはそうではない!》英国民がますますキリスト教化されんことを神に祈る。・・・」
http://www7.plala.or.jp/juraian/ibird.htm

→一見、支離滅裂な記述であるところ、バードが、(私の言う、自然宗教志向の形だけのキリスト教徒たる典型的イギリス人であったのかどうかは詳らかにしませんが、)欧州人はもとより、イギリス人よりも高い規範意識を身に付けているところの、日本人一般に接し、ひどい劣等感を覚えた挙句、自分達が「高等」宗教たるキリスト教の信徒であることを思い出すことによって、この劣等感を糊塗するとともに、苦しい時の神頼みならぬキリスト頼みをしている、と察してあげるべきでしょう。(太田) 

(続く)