太田述正コラム#6739(2014.2.5)
<個人の出現(その6)>(2014.5.23公開)

 サイデントップは、このような、不平等と階統制の用語は古の物の考え方の残滓である、とみなしている。
 しかし、前近代におけるキリスト教世界は、古代世界がそうであったのと完全に同じ程度に階統制と不平等と抱き合わせになっていた(bound together)。
 アウグスティヌスの<抱いていた>ような諸観念はキリスト教にとって極めて中心的であったので、サイデントップのように、軽くこれらの諸観念を片付けることは、キリスト教の伝統の歴史を甚だしく歪曲するものだ。
 この文脈においては、サイデントップの諸十字軍についての議論は衝撃的だ。
 彼は、それらを、欧州的アイデンティティの創造の、そしてキリスト教の普遍化プロジェクトの一部であるところの、決定的瞬間であるとみなしている。
 しかし、奇怪なことに、彼は、それらの悪しき破壊的影響、とりわけキリスト教徒以外<の人々>に係る新しいヴィジョンを固め、イスラム教を極悪非道視したことに果たしたそれらの役割、を無視している。
 彼は、1054年のナルボンヌ(Narbonne)教会会議(Church Council)<(注14)>における、「封建欧州全域を蔽いつつあった新しい雰囲気」の表現たる、「いかなるキリスト教徒も他のキリスト教徒を殺してはならない」という声明を紹介する。

 (注14)南仏の地中海から8kmに位置する町。5世紀に西ゴート領、8世紀にサラセン帝国領、次いでフランク帝国領となった歴史を持つ。現在のフランス領域における最初のユダヤ人居住地(5世紀)として知られる。
http://www.encyclopedia.com/article-1G2-2587514533/narbonne.html
 しかし、1054年のナルボンヌ教会会議については、少し調べたが分からなかった。

 しかし、彼は、諸十字軍が、西方教会と東方諸教会との仲違いを深刻化させ、例えば、十字軍によるコンスタンティノープル略奪<(注15)>をもたらした、という事実を無視している。

 (注15)「第4回十字軍(・・・1202年〜1204年)は、インノケンティウス3世によって呼びかけられ、フランスの諸侯とヴェネツィアを中心として行われた十字軍。結果的にキリスト教国の東ローマ帝国を攻略し、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル・現イスタンブル)を陥落させ、略奪・殺戮の限りを尽くしたため、最も悪名の高い十字軍とも呼ばれる。東ローマ帝国を一旦滅亡させたために、十字軍の当初の目的とは逆にこの地域のキリスト教国家の力を削ぎ、後のオスマン帝国による東ヨーロッパの大部分の支配の伏線のひとつとなった。通常は1453年のコンスタンティノープル陥落をもって東ローマ帝国が滅亡したとされるが、この第4回十字軍で東ローマは実質的に滅亡したと見る歴史家もいる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC4%E5%9B%9E%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D

 これは、全くもって説明のできない沈黙だ。
 サイデントップは、平等性の近代的諸観念の特異性についても無視している。
 キリスト教的平等性は、宗教的信条に結び付けられていたが故に制限されていた。
 そのため、非キリスト教徒達は<キリスト教徒達と>平等なのか、いや、そもそも<彼らは>心(soul)を持っているのか、という、長きにわたる気難しい(fractious)諸議論がなされることになった。
 16世紀と17世紀における、神が定めた秩序という信条の破砕(crumbling)が、平等主義の新しい、急進的で包摂的な形態の発展を助けた。
 神をお払い箱にしたことで、<ようやく、>歴史家のジョナサン・イスラエル(Jonathan Israel)<(コラム#6449)>が述べたように、道徳性を「全諸辺境、階級的諸障壁や諸水平線全体に広がる、一般化された急進的平等主義」に立脚させること以外の「意味ある代替案」がなくなったのだ。
 この新しい平等主義者達は、キリスト教思想の急進的諸要素を利用した<ことは確かだ>。
 しかし、彼らは平等の意味そのものを変貌させたのだ。

 同様の諸問題が、サイデントップの作因と意思についての議論においてもみられる。
 キリスト教の伝統が個人と個人の作因という新しい諸概念を発展させたことは事実だ。
 しかし、キリスト教の伝統の中の「意思」は、堕落(Fall)と原罪(Original Sin)・・全人間は知識の木の果実を食べるというアダムとイヴの神への不服従によって穢れているという信条・・という文脈の中でのみ理解することができるのだ。・・・

(続く)