太田述正コラム#6725(2014.1.29)
<2014.1.25福岡オフ会次第(その4)/個人の出現(その2)>(2014.5.16公開)

         --2014.1.25福岡オフ会次第(その4)--

A:朝鮮戦争勃発時以降、米国は日本を「独立」させようとしてきた、とのことだが、現在でもそれは変わっていないのか。
O:つい最近までは、「独立」した日本が反米側に与することはありえないと踏んでいた米側において、その確信が揺るぎ始めている可能性は排除できない。
 日本を「独立」させることに米国の指導層の一部が躊躇を覚えても不思議ではない状況が初めて現出しつつあるのではないか、ということだ。

B:太田さんが再就職もせず、また、あれだけの分量のコラムを毎日書いているのは、驚異だ。
O:自分にとって楽しいことをやっているだけのことであり、全く疲れないが、その副産物をコラムの形で皆さんにもご披露している、というわけだ。
 大学等に再就職しない理由は既にコラムに書いているのでここでは繰り返さないが、私に金銭欲がないわけではない。
 しかし、現在連載中の「『「里山資本主義」のススメ』を読む」シリーズの中でも言及したところの、必要最低程度の生活水準を確保できている現在・・グランドピアノや蔵書類が収まるスペースと年金収入等、ただし、コラム完全無料化に踏み切るのはまだ不安が残る・・、それ以上の収入は不要、というだけのことだ。
 大学の私の同期生達は、例えば、役人になった連中は、再就職を重ねることで、年金額は鰻上りになっている・・私の年金額を聞くと、余りにも低い、計算違いじゃないか、と驚く・・し、退職金も何度ももらっているが、その上、私以外は、同期生達全員が利殖に血道を上げている。
 彼ら、何でそんなに余分なカネが欲しいのかと思うな。
 それよりも、利殖にはゲームの要素があるので、まあ、暇つぶしにはなっているとは思うが、そのことを含め、彼らが、自分達の知的能力の何分の1しか使わない余生を送っているのは、全くもってもったいない限りだと思う。
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 ラリー・サイデントップは、14世紀における2つのキリスト教修道院会(monastic order)の間の闘いを描写する。
 ドミニコ会(Dominicans)<(注2)>とフランシスコ会(Franciscans)<(注3)>は、托鉢団、すなわち、基本的に、カトリック教会に対する増大する不満に応えるべく、貧者の間で説教をするために修道院の慰安を放棄した托鉢僧集団、だった。

 (注2)「1206年に聖ドミニコ(ドミニクス・デ・グスマン)により立てられ・・・たカトリックの修道会。・・・ドミニコ会における神学研究の伝統はアルベルトゥス・マグヌスとその弟子トマス・アクィナスを生み出すことで頂点に達した。・・・1600年、教皇クレメンス8世はそれまでイエズス会のみに認可されていた日本での宣教活動を正式にすべての修道会に認めた。・・・1612年に江戸幕府によってキリスト教禁制が公布されると、宣教師の活動は困難になったが、・・・各地で潜伏しながら信徒たちの世話を続けた。・・・<やがて>殉教するものが相次<ぎ、>・・・ドミニコ会員たちは日本から姿を消したが、彼ら・・・の信仰は隠れキリシタンの間に受け継がれることになる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B3%E4%BC%9A
 (注3)「13世紀のイタリアで、アッシジのフランチェスコによってはじめられたカトリック教会の修道会・・・。・・・フランシスコ会の修道士から生まれた中世の神学者・スコラ哲学者に、ボナヴェントゥラ(1221年?-1274年)、ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(1266年?-1308年)、オッカムのウィリアム(1285年-1347年)らがいる。・・・フランシスコ会の基本理念は、貧しいイエス・キリストの生涯を範として、その福音を使徒と同様忠実に生き、・・・人びとに「神の国」と改悛(悔い改め)を説くことにあった。かれらは粗衣に裸足で宣教しながら各地をめぐり、とくに会として個人として一切の所有権を放棄し、貧しいなかで手仕事により生計を立て、不足する部分については他者の喜捨にたよった。・・・その戒律はベネディクト会のもの(服従、清貧、童貞)と大きな点で相違はなかったが、ただし、これを文字通りに、また、徹底的に実行した・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E4%BC%9A
 「ベネディクト会(・・・Benedictine Order)は、・・・カトリック教会最古の修道会。529年にヌルシアのベネディクトゥスがローマ・ナポリ間のモンテ・カッシーノに創建した。その戒律は「服従」「清貧」「童貞(純潔)」であった。・・・ベネディクトゥスが修道院の生活の規範とした戒律(「聖ベネディクトの戒律」)は、12世紀に至るまで西方教会唯一の修道会規であり、フランシスコ会・ドミニコ会以後の多くの修道会の会憲・会則のモデルとなった。・・・北海道北斗市のトラピスト修道院<は、ベネディクト会の分派の>戒律シトー会(トラピスト会)・・・に属する」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E4%BC%9A

 この二つの集団の間の闘争の核心には、サイデントップの諸示唆によれば、意思(will)と理性(reason)との間の関係についての対照的な説明が存した。
 ドミニコ会が異端と非正統(heterodoxy)と闘うべく、理性と「正しい(correct)」教義の役割を強調したのに対し、フランシスコ会は信仰の「文言」よりも「精神(spirit)」を強調しつつ、道徳的平等性と人間の作因(さいん=agency)に光を照射した。
 ドミニコ会は、(恐らくは最高の神学者たる)トマス・アクィナスから深い影響を受け、アリストテレス的諸観念のキリスト教思想への再導入の駆動力となった。
 <他方、>フランシスコ会員達は、アリストテレスの理論から大量に借用することは、道徳的経験、人間の動機付けの複雑性、及び意思の「恩寵(grace)」への依存性、という諸事実を超えて理性を高みに置いてしまうのではないか、と心配した。
 個人<なるもの>の発明について考える一つの姿勢は、フランシスコ会の精神を知の歴史(intellectual history)とキリスト教の伝統の両者において復活しようとする試みである、と捉えるものだ。
 サイデントップは、欧米のリベラリズムの物語を、それをキリスト教的なプロジェクトとして確立するためだけでなく、それをフランシスコ会の信仰、政治、及び人性観で満たすためにも書き換えている。
 リベラリズムについてのこれまでの見方は、それが近代の子供であって、主として宗教への反対からルネッサンスと啓蒙時代を通じて発展した、というものだ。
 サイデントップは、それとは反対に、リベラリズムは「キリスト教の子供」である、と執拗に主張する。
 個人なるリベラル概念はキリスト教の神学者達によって発明された、と。
 そして、世俗主義は、「キリスト教」による、この世界に対する最高の贈り物である、と。
 サイデントップは、『個人の発明』をリベラル的な伝統の発展に関する世俗的諸説明への挑戦である、と見ているのだ。
 それは、多くのキリスト教的諸説明に対する挑戦でもある。
 <これに対し、>カトリシズムに影響を受けた歴史家達や哲学者達、とりわけ、アラスデア・マッキンタイア(Alasdair MacIntyr)<(コラム#6447)>やチャールズ・テイラー(Charles Taylor)<(注4)>のようなトマス主義(Tomist)<(注5)>哲学は、欧米の知的な伝統の発展をサイデントップとは異なった形で見ている。

 (注4)1931年〜。「カナダの政治哲学者。・・・カナダの名門マギル大学を卒業(歴史専攻)、同年オックスフォード大学のローズ奨学生・・・となり、哲学、政治学および経済学を研究、1961年に哲学博士となった。」その後、マギル大、モントリオール大、米ノースウエスタン大で教鞭を執る。「1964年に、認知心理学の方法論を批判して、自然科学的方法論で人間を理解することは出来ないということを主張した博士論文を・・・出版。そのほぼ10年後(1975年)に大著『ヘーゲル』を公刊。 ・・・一方で・・・現象学系の哲学にも造詣が深く、さらに・・・1989年に出版した主著『自我の源泉』では、西欧美術史の知識を発揮して、西欧近代に誕生した「自己」の形成を記述するという大事業を完遂した。・・・2007年9月には、西欧社会における世俗化と宗教の関係について、・・・大著『世俗化の時代』を公刊。さらに英米系の分析哲学、言語哲学の分野でも・・・論考を発表しており、現在は・・・認識論に関する著書を準備中・・・。言論人としても・・・80年代には、主に英米圏で行なわれたリベラル・コミュニタリアン論争、90年代には多文化主義を巡る世界的な論争を主導した。また、人権の普遍性と西欧的偏向を巡る議論、非西欧社会における民主主義の問題にも積極的に取り組<んでいる。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC
 (注5)「トマス・アクィナスの思想ないし教説を奉じる学派をいう。・・・トマス派とヨハネス・ドゥンス・スコトゥスを奉じるスコトゥス派は対立して長らく論争を繰り広げたが、やがてオッカム派の唯名論が台頭すると、スコラ学は崩壊した。16世紀になると、スペインのサラマンカ大学を中心にドミニコ会士のフランシスコ・デ・ビトリアらの研究をきっかけに復興の兆しを見せ、[ドミニコ会の]ドミンゴ・バニェスは、イエズス会のルイス・デ・モリナと神の「恩寵」(gratia)と人間の自由意思をめぐる関係についての「恩寵論争」(恩恵論争)を行なった。やがてイエズス会士のフランシスコ・スアレスの手によって大きな発展を見て、トマスの学説を中心に総合的に体系化し、神学・哲学・法学にわたって大きな影響を与えた。彼らは「後期スコラ学」あるいはサラマンカ学派と称された。<そして、>・・・宗教改革に対する「反対改革」の流れの中で、トマスを再評価する動きが大きくなっていった。・・・近代哲学が発展をみると、トミズムはまたもや衰退し、18世紀には急激に衰えた。19世紀末になると、新トマス主義と呼ばれる復興運動が起・・・った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%8B%E3%82%A7%E3%82%B9 ([]内)
 「新トマス主義(・・・Neo-Thomism )は、19世紀後半にローマ教皇レオ13世の回勅『天使的博士・聖トマスアクィナスの精神に基づくキリスト教的哲学の復興』(エテルニ・パトリス)をきっかけに起きた、トマス・アクィナスの神学・哲学を現代に復活させる思想ないし運動をいう。・・・カトリック信仰を前提とし、哲学を神学の下位におき、法と民主主義を遵守して生活することを旨とする。・・・日本では、<いずれもカトリック教徒たる>遠藤周作、田中耕太郎、星野英一らが影響を受けている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 この文脈の中では、『個人の発明』は、どちらかと言えば、知の歴史のプロテスタント的見方なのだ。

(続く)