太田述正コラム#6715(2014.1.24)
<『「里山資本主義」のススメ』を読む(その7)>(2014.5.11公開)

 「「域際収支」・・・を都道府県別に示したグラフ<が>ある。域際収支とは、商品やサービスを地域外に売って得た金額と、逆に外から購入した金額の差を示した数字。国で言うところの貿易黒字なのか、貿易赤字なのかを、都道府県別で示しているのである。
 一目瞭然である。東京や大阪など、大都市圏が軒並みプラスなのに対し、高知や奈良など農漁村を多く抱える県は、流出額が巨大である。こうした地域がなぜ貧しいのか。それは、働いても、働いても、お金が地域の外に出て行ってしまうからである。
 かつてそれを穴埋めするために考え出されたのが、公共事業や工場の誘致、それに補助金といった再分配の仕組みだった。何十年と、莫大なお金を地方に投入してなんとか底上げしてきたが、結局は、一部は地方の人々の収入につながっているものの、それらのお金も最終的に都会へと流れ込むだけだった。しかも、長期的な景気の低迷で、都市部も地方にそれだけのお金を流し込む余裕がなくなり、そうした仕組み自体が限界にきている。地域の衰退は止められないのだろうか、
 そうではない、・・・域際収支が最下位の高知県を品目別にどれが赤字でどれが黒字かをみ<てみると、>・・・農漁業などの一次産業は盛んなのに、それを加工した二次産品は外から買っているのである。これが、県全体の赤字額を押し上げている。
 里山資本主義は、こうした赤字部門の産業を育てることによって、外に出て行くお金を減らし、地元で回すことができる経済モデルであることを示してきた。・・・
 <更に>よく見ると、林業は黒字なのに、それをベースとした製材業は赤字になっていることが分かる。こうした状況を改善しつつ、エネルギー部門の圧倒的な赤字を少しでも解消しようという動きが、知事の肝いりで始まっている。・・・
 真庭モデル導入の地に決まったのが、高知県東北端、四国山地のど真ん中に位置する大豊町。・・・社会学者の大野晃<(注11)>氏が、日本で最初の「限界集落」<(注12)>として挙げたのが、この大豊町だ。・・・

 (注11)1940年〜。信州大農卒、宇都宮大修士、法政大博士課程単位取得退学。高知大、北見工業大、長野臺、旭川大で教鞭を執る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E6%99%83
 (注12)「過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落を指す・・・このような状態となった集落では集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。・・・大野晃が、高知大学人文学部教授時代の1991年・・・に最初に提唱した概念である。・・・2000年・・・の時点で「限界自治体」となっているのは高知県長岡郡の大豊町のみであるが、・・・2010年の国勢調査によれば、限界自治体の数は11町村にまで増大している。・・・過疎地以外でも、限界集落と同様の現象が見られるといった新たな問題も出現している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%90%E7%95%8C%E9%9B%86%E8%90%BD

 2013年4月、ここに大規模な製材所が建設された。・・・
 合わせて、木くずを利用した発電所も建設する。・・・
 人類社会学が専門の広井良典<(注13)>・千葉大学教授は、人類は「懐かしい未来」に向かっているのではないかと指摘した。・・・

 (注13)1961年〜。東大教養卒、東大修士、厚生省入省、MIT留学、その後千葉大助教授、教授。「専攻は公共政策、科学哲学。社会保障、医療、環境、地域等に関する政策研究から、ケア、死生観、時間、コミュニティ等の主題をめぐる哲学的考察まで、幅広い活動を行っている。環境・福祉・経済を統合した「定常型社会=持続可能な福祉社会」を提唱。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%A3%E4%BA%95%E8%89%AF%E5%85%B8

 「懐かしい未来」とは、スウェーデンの女性環境活動家である、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ<(注14)>氏の言葉だ。グローバリゼーションの波が押し寄せるインド・ヒマラヤのラダック<(注15)>という秘境の村に入り込み、営々と営まれている伝統的な暮らしを目の当たりにし、21世紀はこうした価値観こそが、途上国だけでなく、先進国においても大切なのではないかと感じ、この言葉を紡ぎ出した・・・。広井教授は里山の革命家たち・・・庄原の和田さんや真庭の中島さん、周防大島の人たち・・・と語りながら、この言葉を思い出したのだ。」(175〜181)

 (注14)Helena Norberg-Hodge(1946年〜)。スウェーデン、ドイツ、オーストリア、英国、米国で教育を受ける。ロンドン大学とMITで言語学について博士課程レベルの勉強を行った。7か国語に流暢。
http://en.wikipedia.org/wiki/Helena_Norberg-Hodge
 「世界中に広がるローカリゼーション運動のパイオニアで、グローバル経済がもたらす文化と農業に与える影響についての研究の第一人者。1975年、インドのラダック地方が観光客に開放された時、最初に入った海外からの訪問者の一人で、言語学者として、ラダック語の英語訳辞典を制作。以来、ラダックの暮らしに魅了され、毎年ラダックで暮らすようになる。そしてラダックで暮らす人々と共に、失われつつある文化や環境を保全するプロジェクトLEDeG ( The Ladakh Ecological Development Group)を開始。この活動が評価され1986年に、もう一つのノーベル賞と知られ、持続可能で公正な地球社会実現のために斬新で重要な貢献をした人々に与えられるライト・ライブリフッド賞を1986年に受賞。・・・著書「ラダック懐かしい未来(Ancient Futures)」は日本語を含む50の言語に翻訳され<た。>」
http://www.shiawaseno.net/prof01
 (注15)面積:86,904 km2、人口:270,126人(2001年)。「住民の大多数はチベット系民族である。・・・ラダックでは仏教(チベット仏教)が支配的である。・・・通常・・・仏教僧院・・・<である>ゴンパには5、6歳から出家し、僧となるための修行を行う。 ゴンパの中には畑や小さな牧場が備わっている所もある。 僧の地位は高く、食べることには困らないが、出身の家の裕福さによって、ゴンパ内での地位も影響を受けるというのが実情である。出家した僧の住居はゴンパの近くに出身の家が負担して用意する事が多い。 ゴンパには僧の他に用務員のような人もおり、僧の身の回りの世話をしている。 僧の妻帯は認められておらず、農業生産性の低いこの地方の人口抑制手段であったとも言われる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF

→ノーバーグ・ホッジの書いた本を読むまでもなく、ラダック社会を理想視する彼女の主張はナンセンスです。
 当然、彼女を持ち上げている広井にも藻谷にも、この点ではペケをつけることになります。
 彼女が初めてラダックを訪れた1975年の時点の同地区は、(その生活水準は相当低かったと思われますが、いずれにせよ、)「持続可能で公正な・・・社会」などではありえなかったはずです。
 というのは、同地区は、高地に所在し、細々とした農業くらいしか産業がなく、かつては、東西南北の交通の要衝であったことを活かしたところの、ゆきかう商人達から徴収する通行税が重要な追加的収入であったのですが、インドが独立し、三方を「敵」である中共とパキスタンに囲まれて往来がなくなり、さりとて、言語・宗教等が全く異なるインドの他の地域に転出することも敷居が高いという、いわば「持続不可能な」状態になったわけです。
 そんなラダック地区を支えたのが、安全保障の観点からインド政府が気前よく奮発した補助金であり、道路等の公共事業であり、また、現地のインド軍や行政機関へのラダック人の雇用だったのです。
 エドワード・サイド(Edward Said)の「オリエンタリズム」的に言えば(注16)、こんな場所を「懐かしい未来」などと理想視するのは、相も変らないところの、欧米人の内心に潜む非欧米人蔑視の裏返しとしての未開社会ユートピア視に過ぎないのです。

 (注16)「自分達が書いた場所や人々を愛し理解していると主張した著述家達も欧州中心主義のプリズムを通じてそれらを見ていたに違いないのであって、彼らはそれらの異国情緒(exoticism)と変わっていること(strangeness)を愛で(fetish)、無意識的にそれらの庇護者となった(patronised)、とエドワード・サイドは主張した。」
http://www.theguardian.com/books/2014/jan/23/british-readers-writers-embrace-colonial-past 

 しかし、それでもなお、ラダック人の間では不満があったと想像されます。
 (冒頭で紹介したミルやケインズの言葉を思い出してください。
 人間は、一定水準の生活水準・・これは時代とともに(お金に換算して、という意味では必ずしもないが、)どんどん上昇して行く・・を達成するまでは満足できない、いや、満足してはならない、のであり、定常型社会(広井)を展望するのは、あくまでもそれからの話であって、当時のラダック社会はそんな域になど到底達していなかったはずだからです。)
 そこで、インド政府は、それまで安全保障上の考慮から入域を禁止していたラダック地区を開放し、トレッキング目的等の観光収入で同地区が潤うよう取り計らった、と考えられるのです。
 その結果、今や、ラダック地区のGNPの半分を観光収益が占めるようになっています。
 そして、これに伴い、同地区で都市への人口の集中が見られるようになって現在に至っているのです。
 果たして、現在でも、ノーバーグ・ホッジのラダック観は変わっていないのでしょうかねえ?
 (以上、事実関係は下掲による。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ladakh )(太田)

(続く)