太田述正コラム#6709(2014.1.21)
<『「里山資本主義」のススメ』を読む(その4)>(2014.5.8公開)

 「「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。・・・
 また里山資本主義は、マネー資本主義の評価指標、たとえばGDPや経済成長率を、必ずしも大きくするものではない。それどころかまじめに追求していくと、これらの指標を縮小させる可能性もある。しかしそれは、「簿外資産の活用による金銭換算できない活動が見えないところで盛んになって、お金に換算できない幸せを増やす。ついでに、お金で回る経済システム全体の安定性も見えないところで高まっている」という話にほかならない。・・・
 オーストリアで木質バイオマスエネルギーが急速に普及しているのは、ペレットにできる製材屑が豊富にあるためだ。つまり、集成材による建築が急速に広まっているからこそ、地下資源から地上資源(=木)へのエネルギーのシフトも実現できている。・・・
 石灰石鉱山の多い日本では、セメントが唯一自給できる鉱物資源であるということ、鉄鉱石は自給できないにもかかわらず世界有数の製鉄国であるということも、法制度の壁以上に集成材建築の普及を妨げている要因であるかもしれない。とりわけ建築に使う鋼材は、電炉会社が国内で発生する廃材をリサイクルして製造しているため、その利用はある意味ではエコフレンドリーでもある。それに加えて欧米では余り見られない「新建材」<(注5)>の開発が進められてきたことも、木材を使わない森林国・ニッポンの今を形作ってきた。つまり、これから日本で集成材の利用を増やして木くずを生み、木質バイオマスエネルギーを普及させて自然エネルギーの自給率を高めることは、日本経済の安定性を高めることは間違いないのだが、多くの産業の既得権を侵害することでもあるのだ。

 (注5)「新建材についての厳密な定義はないが,通常の概念では比較的最近になって使用されだした建築材料(略称して建材という)の総称として用いられる。この中には在来の建材として使用されてきたものに対する代替材料としての新建材もあるし,今までにまったく使用されることのなかった材料としての新建材もある。前者の例としては木製サッシュに代わるアルミサッシュ,木ずりに代わる石こうボードなど,後者の例としては軽量気泡コンクリート(ALC),シーリング材(目地まわりに充てんする合成樹脂や合成ゴムのペースト状材料。」
http://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E5%BB%BA%E6%9D%90

→案の定、自民党族議員と各省庁との癒着による既得権益擁護が、この分野での縄文モード化の妨げになっている、というわけです。
 なお、新建材が「欧米では余り見られない」については、もっと具体的な話を知りたかったところです。(太田)

 だが、既得権がよってたかって政策を骨抜きにしてしまうのはこの分野だけの話ではなく、国全体としての方向転換は一朝一夕には行かないだろう。だからこそ、市町村単位、県単位、地方単位での取り組みを先行させることが、事態の改善につながっていく。・・・
 日本では、国にできないことを先に地方からやってしまうことが、コトを動かす秘訣なのだ。・・・

→地方分権の話も、自民党の政権復帰以来、どこかに消えてしまっていますね。(太田)

 里山資本主義の根底に、マネー資本主義の根幹に逆らうような原理が流れていること。これが政府内の経済運営関係者に、なんとも言えない違和感を覚えさせ<ているようにも思う。>・・・
 <また、>日本人は、内田樹(たつる)<(注6)>いうところの「辺境民」であるせいなのか、海外から輸入された単一の原理にかぶれやすい。・・・

 (注6)1950年〜。日比谷高退校、「大学入学資格検定を経て1969年、東京大学入試中止の年に京都大学法学部の入学試験に失敗。1年間の浪人生活を経て、1970年に東京大学文科III類入学し、1975年文学部仏文科を卒業。」都立大修士。「哲学研究者、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。・・・護憲派であり、共著『9条どうでしょう?』で独自の護憲論を展開した。・・・一貫して、自身の経験とレヴィナスの思想をもとにマルクス主義批判(マルクス批判ではない)、学生運動批判、フェミニズム主義批判(フェミニズム批判ではない)を行なっている。・・・現代日本人を理解するテキストとして、中国の大学では、ルース・ベネディクト著『菊と刀』とともに『日本辺境論』が親しまれているという。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E6%A8%B9

 飛鳥時代の律令制度、奈良時代の仏教、建武の新政のバックにあった朱子学、明治の文明開化、昭和初期の軍国主義、終戦後のマルクス主義に、石油ショック以降のケインズ経済学。いずれもその当時の国内のトレンド? を短い期間ではあるが一色に染め上げた。平成になってのマネタリスト経済学・・・の隆盛をみると、どうもまた同じことが繰り返されているように感じる。
 落ち着いて歴史を眺めると、一瞬極端に高まる外来の極論への熱狂は、いずれは現実を突きつけられて幻滅に変わり、輸入原理はその後時間をかけて日本流に変容していくのが常だ。律令の枠外に武士が生まれて実権を握り、奈良の大仏から500年を経て鎌倉仏教が勃興し、江戸時代に武士道や商人道と融合した和製儒学が発達したように、あるいは資本家層を支持基盤として自民党長期政権が、マルクス主義者のお株を奪って国民の福利厚生充実と地域間格差是正を掲げたように。大戦時の軍事のごとく、明治の導入当時の合理主義を失い、鵯越的な奇襲攻撃志向と、現場の兵士に死の覚悟を強いる精神主義と、中枢幹部の傷の舐め合いが主導原理となってしまって滅びてしまったという、日本化による失敗例もあるけれど。

→ここは、藻谷の執筆部分ですが、私の縄文モード/弥生モード循環論で説明した方がすっきりすると思います。
 (なお、「海外から輸入された単一の原理にかぶれやすい」は内田の考えなのか藻谷の考えなのか知りませんが、その時点の(日本から見ての)最先進国の文物を取捨選択して取り入れた後、修正を施していくのが日本の弥生モードの特徴であり、これを「単一の原理にかぶれやすい」と捉えるのは違和感があります。)
 但し、「昭和初期の軍国主義」、「大戦時の軍事のごとく・・・日本化による失敗例もあるけれど」は全くの誤りです。
 「軍国主義」などなく、ただ、「有事」があっただけですし、「失敗」どころか、先の大戦で日本は戦争目的を達したとも言えるのですからね。(太田)

 しかしながら、小泉改革の頃から隆盛になり始めたマネタリスト経済学は、まだむき出しの輸入原理のままだ。・・・
 <しかし、これについても、>里山資本主義の内包するマネー資本主義へのアンチテーゼが、・・・変容を促す力の一つとして作用することは間違いない。」(121〜122、136〜141)

→私は江戸時代の政治経済体制も、その工業化以降における再編とも言うべき現在の日本型政治経済体制も、それがボトムアップ体制であるという点で一種の無政府主義(アナキズム)であるという認識であり、その限りにおいて日本人、とりわけその指導層がマネタリスト経済学に親和感を覚えている、という以上のものではない、と考えています。
 いかにマネタリスト経済学が浸透していないかは、同経済学を信奉するみんなの党の伸び悩みに端的に現われています。(太田)

(続く)