太田述正コラム#6697(2014.1.15)
<デール・カーネギーの生涯と主張(その3)>(2014.5.2公開)

  ウ 成功

 「カーネギーの名声は、『人を動かす』<(1937年)(注1)(前出)>が上梓された1936年に頂点に達した。

 (注1)内容
・人を動かす三原則
批判も非難もしない。苦情も言わない。
率直で、誠実な評価を与える。
強い欲求を起こさせる。

・人に好かれる六原則
誠実な関心を寄せる。
笑顔で接する。
名前は、当人にとって、最も快い、最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない。
聞き手にまわる。
相手の関心を見抜いて話題にする。
重要感を与える - 誠意を込めて。

・人を説得する十二原則
議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける。
相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。
自分の誤りをただちにこころよく認める。
おだやかに話す。
相手が即座に'イエス'と答える問題を選ぶ。
相手にしゃべらせる。
相手に思いつかせる。
人の身になる。
相手の考えや希望に対して同情を持つ。
人の美しい心情に呼びかける。
演出を考える。
対抗意識を刺激する。

・人を変える九原則
まずほめる。
遠まわしに注意を与える。
まず自分の誤りを話した後、相手に注意を与える。
命令をせず、意見を求める。
顔を立てる。
わずかなことでも、すべて、惜しみなく、心からほめる。
期待をかける。
激励して、能力に自信を持たせる。
喜んで協力させる。

・付録
幸福な家庭を作る七原則
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99

 当時、余りにも多くの米国人達が一心不乱に自分達の境遇を改善する方法を見つけようとしていた。
 『風と共に去りぬ』とともに、それは、不況期における大ヒット作であり、忘れ去られることはないまま、実に75年経って、どちらの本もまだ版を重ねている。」(B)

 「彼は、俳優としての人生に憧れたが、マンハッタンの小さなYMCAで、人前で話すための夜の諸教室で教える仕事に落ち着いた。
 彼の、人より抜きんでるための諸秘訣は、人間のやる気(motivation)と無意識に関する新しい心理学の諸理論を普及させた。
 人々を取り扱うに際して、カーネギーは、「我々は論理の生き物を取り扱ってはいない。我々は感情の生き物を取り扱っている」と述べたものだ。・・・
 第二次世界大戦が終わると、米国は繁栄の新しい時代に入った。
 しかし、物質的な優位は個人的充足感をもたらしはしなかった。
 再び、カーネギーは、時代精神(Zeitgeist)をもう一つの大ヒット作である『道は開ける(How to Stop Worrying and Start Living)』 (1948)<(注2)>で利用した。
 急ごしらえの散文でもって、彼は、抜きんでる方法とは、その瞬間を掴み、「死んだ過去」と「生まれていない未来」を逃してやることだ、と執拗に主張した。

 (注2)内容
・悩みに関する基本事項
今日、一日の区切りで生きよ
悩みを解決するための魔術的公式
悩みがもたらす副作用
・悩みを分析する基礎技術
悩みの分析と解消法
仕事の悩みを半減させる方法
・悩みの習慣を早期に断とう
心の中から悩みを追い出すには
カブト虫に打ち倒されるな
多くの悩みを締め出すには
避けられない運命には調子を合わせよう
オガクズを挽こうとするな
・平和と幸福をもたらす精神状態を養う方法
生活を転換させる指針
仕返しは高くつく
恩知らずを気にしない方法
百万ドルか、手持ちの財産か?
自己を知り、自己に徹しよう
レモンを手に入れたらレモネードをつくれ
二週間でうつ病をなおすには
・悩みを完全に克服する方法
私の両親はいかにして悩みを克服したか
・批判を気にしない方法
死んだ犬を蹴飛ばすものはいない
非難に傷つかないためには
私の犯した愚かな行為
・疲労と悩みを予防し心身を充実させる方法
活動時間を一時間ふやすには
疲れの原因とその対策
疲労を忘れ、若さを保つ方法
疲労と悩みを予防する四つの習慣
疲労や悩みの原因となる倦怠を追い払うには
不眠症で悩まないために
・適職を見つけて成功する方法
一生の決断をするとき
・経済的な悩みを軽減するには
「あらゆる悩みの70パーセント……」
・私はいかにして悩みを克服したか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E3%81%AF%E9%96%8B%E3%81%91%E3%82%8B

 読者達は、意味ある仕事を追求し他人達を満足させるべく試みるよう背中を押された。
 「自分が他人達のために良くあれば、それは自分自身に対して最も良いことなのだ」と。」(D)

→「日本語版の発売も<原著が出版された年である>1937年」であったこと、「日本国内で430万部、世界で1500万部以上を売り上げている」こと、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99 前掲
(つまり、読者の3分の1弱が日本人であること、)は、日本では、『人を動かす』が、ノウハウ本というよりは、日本人の常識的な他人との接し方、すなわち人間主義的な接し方、と同じものを米国人が勧めた本である、と受け止められたからではないか、というのが私の仮説です。
 『道は開ける』の方は、「悟」ることの勧めであり、これまた、日本では、日本人の常識的な煩悩克服法を米国人が勧めた本であると受け止められ、だからこそ、「日本国内だけで200万部以上を売り上げ」た
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E3%81%AF%E9%96%8B%E3%81%91%E3%82%8B
と考えられるのです。(残念ながら、世界でどれだけ売れたかは分かりませんでした。)(太田)
 
  エ 私生活

 カーネギーの私生活は、その太って健康そうな公的イメージが示唆するかもしれないものよりもはるかに捻じ曲がっていた。
 彼は彼の最初の妻と離婚し、既婚女性との情事で私生児たる娘をもうけ(彼は認知しないままこの子を支え続けた)、56歳の時に23歳年下の女性と再婚した。
 1961年に<彼女との間で>もう一人の娘が生まれた時、カーネギーは熱狂的な父親になった。
 しかし、それは長くは続かなかった。
 アルツハイマー病に罹り・・当時は、動脈硬化と診断された・・、彼は1955年に66歳で亡くなった。」(B)

 「彼は、1920年代半ばに、離婚した女性と結婚し、1932年に彼女と離婚した。
 彼は、1930年代に既婚女性と関係を持ち、彼を「デール叔父さん」と呼んだところの、彼の実の娘であったかなかったか定かではない、彼女の娘と、生涯にわたって絆を維持した。
 すっと後に、彼は、はるかに若い女性であったドロシー(Dorothy)と結婚し、一人の子供をもうけた。
 ドロシーは、家族ビジネスになっていたもの<(カーネギーの事業)>を引き継ぐことになる。」(E)

→このような私生活上の悩み、就中愛欲に基づく悩みに苛まれていたからこそ、カーネギーは、(彼が仏教的なものに接したのかどうかは詳らかにしませんが、)悟りという悩み克服法に到達したのではないでしょうか。(太田)

(続く)