太田述正コラム#6589(2013.11.22)
<アングロサクソン・欧州文明対置論(その4)>(2014.3.9公開)

 (5)起源

 <一体、英語圏の文明が生まれた背景は何だったのだろうか。>

 --地政学的説明

 「トックヴィルやモンテスキュー<等の欧州人達>は、英語をしゃべる人々が当然のこととして享受していた自由を地理に結び付けていた。
 北アメリカを除けば、英語圏の大部分は列島の延長だった。
 英国、アイルランド、豪州、ニュージーランド、香港、シンガポール、より民主主義的なカリブ海諸国<がそうだ。>
 北アメリカは、文字通りには孤立していないけれど、ジェファーソンが彼の1801年の<大統領>就任演説で述べたように、「幸せにも(kindly)自然と広大な大洋によって<その他の地域から>分け隔てられており」、これらのどれよりも地政学的には遠く離れていた(remote)。
 孤立していたことは、平時に常備軍の必要がなかったことを意味した。
 それはまた、政府が国内での抑圧のためのメカニズムを持たないことを意味した。
 統治者達が、何か、通常は収入、を欲した場合、彼らは、人々の代表者達を集会に召集することによって慇懃に(nicely)要求しなければならなかった。
 世界の最も古い諸議会・・イギリス、アイスランド、フェロー諸島(Faroes)<(注9)>、マン島(Isle of Man)<(コラム#6347)の諸議会>・・が島々の上にあったことは偶然の一致ではない。」(D)

 (注9)「スコットランドのシェトランド諸島およびノルウェー西海岸とアイスランドの間にある北大西洋の諸島。デンマークの自治領でありデンマーク本土、グリーンランドと共にデンマーク王国を構成する。面積は1398.85km2、人口は48,219人(2006年1月)。・・・1948年には国防と外交の一部を除く権限を持つ自治政府が成立した。・・・デンマーク本国は1973年にECに加盟したが、フェロー諸島は・・・現在もEUには加盟していない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%BC%E8%AB%B8%E5%B3%B6
 
→「島」であることは、日本とも共通しており、私自身も指摘したことがあるはずです(コラム#省略)が、もう一つ地政学的に重要なのは豊かさ(コラム#54)です。
 豊かであれば、地域内での犯罪も少なく、他地域から富を強奪する必要もなく、軍や警察、ひいては統治機構の簡素化が可能であり、統治のための経費を確保するために重税を課す必要もないことから、強圧的、専制的でない統治が可能になります。
 イギリスは、台風や地震がなく、高緯度の割にはメキシコ暖流に洗われているので、気候が温暖で海の幸にも恵まれ、放っておいても牧草が育ち、しかも雑草が生えないので牧畜に適している、等の理由から、最初から極めて豊かな場所でした。
 日本も、状況は異なれども、イギリス同様、世界では稀な、最初から豊かな場所でした。(太田)

 --文化的説明(コモンロー)--

 「第2代米大統領のジョン・アダムス(John Adams)<(コラム #91、503、504、518、896、1630、2079、2890、2897、3327、3329、3423、3654、3706、3802、4049、4303、4308、6263)>は、今日、殆んどこのクラブの名誉会員であるところの、オランダと北欧諸国に更にイスラエルを加えた、英語をしゃべる諸国の大部分、すなわち英語圏における、美しい変則的(anomalous)な法体系を、自由の究極の保証人と同定したが、それは誇張ではなかった。

→イスラエルは英委任統治領であったパレスティナの大部分を継承していることから、旧宗主国の英国からコモンロー体系を継受しており、
http://en.wikipedia.org/wiki/Israeli_law
イスラエルをコモンロー国とするのは中らずと雖も遠からずでしょう。
 (なお、イスラエルに憲法がないのも、イギリスに倣ったということなのかもしれません。)
 オランダは、1806年にナポレオンによって征服されて大陸法を押し付けられるまでは、判例法を主、ローマ法を従とする法体系であった
http://en.wikipedia.org/wiki/Law_of_the_Netherlands
ことは確かですが、コモンロー国とするのは相当無理があります。
 また、北欧諸国(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、アイスランド)は、かつてはローマ法よりもゲルマン法の影響の方を強く受けていました。
http://kiracomparativelaw.wikispaces.com/Nordic+Law
 ここでのゲルマン法とは、専門家(lawspeakers)口伝の先例を法とした古代ゲルマン法(Ancient Germanic law)を指しており、イギリス(アングロサクソン)のコモンローは、この古代ゲルマン法の分枝であることは確かですが、
http://en.wikipedia.org/wiki/Early_Germanic_Law
http://en.wikipedia.org/wiki/Medieval_Scandinavian_laws
北欧諸国をコモンロー諸国とするのも、相当無理があります。(太田)

 「自由、不可譲で敗北させることができない諸人権、人間の本性の名誉と尊厳、[公衆(public)の偉大さ(grandeur)と栄光、]そして普遍的である諸個人の幸福、の参照先として、人間の芸術(art)の極めて傑出した記念碑であるイギリスのコモンローに勝るものはなかった。」・・・
 何よりも、自由は、外国の観察者達が驚嘆するしかないところの何物か、すなわち、コモンローの奇跡、と結び付けられていた。
 諸法は、抽象的に書き下されてから特定の紛争に適用されたのではなく、諸法は、珊瑚礁のように、ケースごとに構築されたのだ。
 諸法は国家からではなく、人々からやってきたのだ。
 コモンローは、政府の道具ではなく、自由の同盟者だったのだ。」(D)([]内はA)

 「(ジョン・アダムス:1763年。)」(A)

→ここはハンナンの言う通りであり、アングロサクソン文明とコモンローが切っても切り離せない関係にあることは、かねてから私も力説するところ(コラム#90)です。
 私は、コモンローの形成と発展は、古代ゲルマン諸部族共通の個人主義に根差す、大量の法的紛争に対処するために裁判官相当者の裁定を標準化することが至上命題となったことと表裏の関係にあった、と考えています。
 他方、人間主義の日本の場合は、そもそも紛争になる前にその大部分が当事者間(人間(じんかん))で回避され、紛争になっても、仲介者による人間的解決ができなかった時にのみ例外的に公的な法的紛争になる結果、数が少ない法的紛争において、裁判官相当者に、先例に拘束されない大幅な裁量権を与える、という贅沢が許されたことから、コモンロー的なものが形成されなかった、と私は考えています。
 (この話は、機会があれば、より踏み込んだ形で取り上げたい、と思います。)(太田)

(続く)