太田述正コラム#6507(2013.10.12)
<バングラデシュ虐殺事件と米国(その3)>(2014.1.27公開)

 --ニクソン/キッシンジャーの人物像--

 「ニクソンにとっては、インド人は、「あてにならない(slippery)不実な(treacherous)人々」だった。
 キッシンジャー・・彼は、冷血なリアルポリティーク(realpolitik)の実践者であって自分の思い通りにならないと怒る人物であるとされている・・にとっては、インド人は、「複雑な難しい心(convoluted minds)」を持った「横柄にして傲慢(insufferably arrogant)」な人々だった。
 ある時、テープに向かって、ニクソンは、「インド人には必要だ・・彼らが本当に必要なのは・・」と言明した時にキッシンジャーが遮った。「彼らはひどくいやな奴ら(bastards)だ」と。
 それから大統領は、彼の考え<の吐露>を「大飢饉(a mass famine)」だ、で締め括った。
 ニクソンは、具体的な(particular)敵意(animus)・・それは相互的なものだった・・をインドの建国者にしてその最初の首相で偉大な政治家のジャワハルラル・ネール(Jawaharlal Nehru)の娘たる首相のインディラ・ガンディー(Indira Gandhi)に対して抱いていた。」(A)

 「<この二人のインドとパキスタンに対する思いは、>部分的には個人的なものだった。
 ニクソンには殆んど友人がいなかったが、著しくパキスタンの軍事支配者のヤヒア・カーンが好きだった。
 <カーン>は、どら声のうすのろの<イスラム教徒のくせに>ウィスキー飲みの大将だった。
 ニクソンは、このパキスタン人を好意的にアブラハム・リンカーンに準えた。
 それとは対照的に、彼は、インドの甘言を弄する(wheedling)文民政治家達を軽蔑していた。
 とりわけその中で<インディラ・>ガンディーを嫌っており、内輪では、しばしば彼女のことを「売女(bitch)」とか「魔女」とか呼んでいた。」(F)

 「仮にバス氏が冒涜の廉で<ニクソンとキッシンジャー>を告発することに乗り出したのだとしたら、彼には確かに説得力がある。
 彼が、彼らは言葉が無神経でポリティカルコレクトネスに悖ると非難するのはもっともだ。
 というのも、ニクソンはベンガル人達を「茶色のこん畜生の(goddamned)イスラム教徒達」と片付けたり、「インドに必要なのは飢饉だ」と示唆したりしたのだから・・。
 結局は、米国は<バングラデシュに>かなりの難民救済支援を提供したし、ニクソンは、攻囲されたベンガル人達の境遇に対して、彼のリベラルな後継者達がルワンダ人達、そしてついでに言えばシリア人達、の境遇を気にしたのに勝るとも劣らず気にしたのだが・・。・・・
 「インドとソ連が談合して我々の友人を強姦している」というのがキッシンジャーによる本件の形容だった。・・・
 以上の諸動機のリストに、我々は、ニクソンとキッシンジャー氏が単純で鈍感(stolid)でおバカでさえあったパキスタンの将軍達と交渉することに心地よさを感じていた、という二人の感情を付け加えることができる。
 この二人は、インディラ・ガンディーを始めとする、インドの、議論好きで移り気で(argumentative, volatile)、彼らの見解によれば、虚言を弄する(duplicitous)政治的指導者達と交渉することには明確に心地悪さを感じていた。
 『ブラッド電信』の群を抜いて面白い個所群は、ニクソンとキッシンジャーの間のガンディー夫人に関する<言葉のやりとりの>切れ端・・「魔女」「売女」等々・・、及び、彼女の1971年11月の米大統領執務室への訪問・・その間中、この二人の指導者達の(バス氏の文言によれば)「相互嫌悪(loathing)」がありありと分かった・・の詳細だ。」(D)

 「ニクソンとキッシンジャーは、冷戦の諸計算を超えるものに従事していた、とバスは記す。
 この二人はインドの人々が嫌いだった。
 現場の外交官達・・とりわけ、(件の電信の主の)東パキスタンのダッカ総領事のアーチャー・ブラッド(Archer Blood)<(注5)>、及び駐インド大使のケネス・キーティング(Kenneth Keating)<(注6)>が米国が肩入れした(backed)「ジェノサイド」に抗議したした時、彼らは「狂っている(maniac)」、そして「裏切り者だ」と嘲られた。」(H)

 (注5)1923〜2004年。ヴァージニア大卒、ジョージ・ワシントン大修士。先の大戦で海軍で北太平洋で従軍、1947年に米国務省入り。1982年退官。
http://en.wikipedia.org/wiki/Archer_Blood
 (注6)1900〜75年。ロチェスター大卒、ハーヴァード・ロースクール卒。弁護士になってから第一次世界大戦には軍曹として、先の大戦には最終的に准将に昇任する形で従軍。戦後は米下院及び上院の共和党議員。その後駐インド大使、駐イスラエル大使(在任中死亡)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kenneth_Keating

 「インド人達に悲鳴を上げ(squeal)させておけ…私は、インド人達に小便をひっかけるPR計画を作成して欲しい。」とニクソンは言ったと伝えられている。・・・
 キッシンジャーの話となると、バスは声を失い(withering)、殆んど自嘲的(mocking)になる。
 疑いもなく頭が良いキッシンジャーは、間違った人々に賭け、結論に飛びつき、彼の世界観と整合的でないと現実を拒否するといった類の、追従的(obsequious)で殆んど愚鈍(obuse)な人物に見える。」(G)

 「バス氏は、キッシンジャー氏が、東パキスタンの分離が不可避になるにつれて、恐らくは仕事のし過ぎからか過ちを犯す頻度が増えていくのを描写する。
 キッシンジャー氏は、この紛争を、(第二次世界大戦勃発との関連で)「我々のラインラント(our Rhineland)」と呼び、インドが「パキスタンを強姦する」だろうと警告した、と紹介されている。」(F)

→ニクソンが、大統領執務室での会話を全て録音させていたということ自体に改めて驚かされますが、録音させていることを知っていて、なおかつ、こんなまさに「人種差別的」な言辞を常続的に弄することを躊躇しなかったニクソンと(録音されていることを知っていた可能性がある)キッシンジャーにはもっと驚かされます。
 二人のこの露悪趣味は、精神障害の域に達しています。(太田)

(続く)