太田述正コラム#6491(2013.10.4)
<アブラハム系宗教非存在論(その3)>(2014.1.19公開)

 --イスラム教--

 「ユダヤ教徒達とは違って、イスラム教徒達はアブラハムを自分達の祖先とは見ない。
 そうではなくて、彼は預言者なのだ。
 彼はその信仰(faith)によってではなく、彼が、その諸行為・・(イサクではなく)イシュマエルを犠牲に供しようとしたこと、カナンへ移住したこと、そして、彼の自身による割礼・・を通じて神の意思に服従している(submit to)ことを証明したことによって、尊敬されているのだ。
 これらが、彼を、神の意思に服従しているところの、名誉ある人物、ハニフ(hanif)<(注9)>、最初のイスラム教徒、熱狂的一神教徒(monotheist)にしたのだ。」(D)

 (注9)前イスラム期(Pre-Islamic period)、すなわち無知の時代(Age of Ignorance)における、偶像崇拝を拒否して神に服従する純粋な一神教徒。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hanif
 前イスラム期/無知の時代とは、コーランがムハンマドに啓示される前の時代の意。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jahiliya

 「イスラム教徒達にとって、アブラハムの子孫であることに大した意義はなかった。
 というのも、アブラハムは信仰(believing)コミュニティの父というよりは、「アダムから始まり、全預言者中最も偉大なムハンマドによって頂点に達するところの預言者達の連鎖の一結節」だからだ。」(B)

 「コーランにおいては、神が一人の息子を選びもう一人の息子は選ばなかったという主題は全く欠落している。
 更に、コーランは、ユダヤ教とキリスト教が自分達と同程度にアブラハム的であることを否定する。
 「預言者[ムハンマド]と信者達と共に、アブラハムに従った人々こそ、最もアブラハムにとって価値ある存在であることは間違いない」と。」(A)

 「イスラム教は厳格なる(sternly)一神教的宗教だ。
 それは、「アラー以外に神はない」と主張する。
 だから驚くことではないが、コーランでは、イエスを神ではなく預言者とみなす。<(注10)>

 (注10)「イスラム教の預言者<として、>・・・<コーラン>には25名が記されているが、中でもノア(ヌーフ)、アブラハム(イブラーヒーム)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマド・・・を「五大預言者」として位置づける。そして<コーラン>を伝えたムハンマドを最後の、最終の預言者としている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99%E3%81%AE%E9%A0%90%E8%A8%80%E8%80%85
 2000年超多くのユダヤ教徒が疑ってきたのと同様、イスラム教徒もキリスト教が一神教であるとの主張を極めて疑っている。
 (もっとも、法的諸目的から、・・・ユダヤ教は、この主張を尊重しているが・・。)
 イスラム教の抵抗が極めて強固であることから、コーランからの引用がエルサレムのアル=アクサー・モスク(Al Aqsa Mosque)<(注11)>に掲げられている。

 (注11)「アル=アクサー・モスク(アラビア語・・・ al-Masjid al-Aqsa<(アル=マスジド・アル=アクサー) >)は・・・「遠隔のモスク」の意味で・・・エルサレム旧市街の「神殿の丘」あるいは「ハラム・シャリーフ」(al-Haram al-Sharif・・・)と呼ばれる聖域の南に・・・<コーラン>17章1節の預言者ムハンマドがミウラージュの奇跡において天馬ブラークに跨がり昇天したのを記念するためにつくられた。705年から709年にかけてウマイヤ朝の[<第5代カリフ(後出)の息子であるところの>第6代カリフである]ワリード1世によって建設された。・・・銀のドームとも呼ばれる。・・・カアバ<建造>以前<には>イスラム教の最高聖地だった。最初キブラはここの方向に定められた。このモスクのキブラの壁面はハラム・シャリーフの南側の境壁に一致している。近接して、真北130mほどのところ、ハラム・シャリーフの中央に岩のドームがある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%891%E4%B8%96 ([]内)
 「カアバ・・・とは、メッカ(マッカ)のマスジド・ハラームの中心部にある建造物で、イスラーム教(イスラーム)における最高の聖地とみなされている聖殿である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A2%E3%83%90
 「キブラ・・・とは、<イスラム教徒>が1日5回サラート(礼拝)を行う方向である。現在のイスラム教では、メッカのマスジド・ハラームにあるカアバの方向である。・・・イスラム教の礼拝堂であるモスクには、マスジド・ハラームを例外として必ずキブラを示す壁の窪み・ミフラーブがある。イスラム教の黎明期には、キブラはエルサレムのアル<=アクサ<−・>モスクの方向へ定められていたが、624年をもって現在と同じカアバの方向へ変更された。・・・<なお、>宇宙空間でのキブラは宇宙飛行士に任せる<こととされた。>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%96%E3%83%A9 
 「岩のドーム・・・は、・・・<ムハンマドの生地メッカの>カアバ、<ムハンマドの死地メディナの>預言者のモスクに次ぐイスラム教の第3の聖地であり、「神殿の丘」と呼ばれる聖域<の一画にあ>る。現在はイスラム教徒の管理下にあるが、南西の壁の外側の一部だけが「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の管理下にある。・・・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な関わりを持つ聖なる岩(Foundation Stone)を祀・・・る・・・記念堂であり、・・・建設に際して<アル=アクサー・モスクに>刻まれた総延長240mに及ぶ碑文では、イエスの神性を否定・・・<し>ている。・・・ウマイヤ朝第5代カリフであるアブドゥルマリク<によって>・・・<イスラム教徒にとっては>預言者ムハンマドが夜の旅(イスラー)に旅立ち、また、<ユダヤ教徒にとっては>アブラハムが息子イサクを犠牲に捧げようとした(イサクの燔祭)・・・またダビデ王<が>この岩の上に契約の箱を納め、ソロモン王<が>エルサレム神殿を建設した・・・場所と信じられている<ところの、>「聖なる岩」を取り囲むように建設され、692年に完成した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0
 「預言者のモスク・・・は、サウジアラビアの<メディナ(マディーナ)>にあ<り>・・・、イスラム教の第2の聖地。預言者ムハンマドの霊廟でもある。・・・622年のムハンマドらイスラム共同体の<メディナへの>ヒジュラにより<同地に>建てられた最初のモスク[(メッカのものに次ぐ史上2番目のモスク)]であり、ムハンマドの住居であり、イスラム共同体の本部たる所であった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%90%E8%A8%80%E8%80%85%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF
http://en.wikipedia.org/wiki/Al-Masjid_an-Nabawi ([]内)
 「ヒジュラ(・・・ Hijra)は、・・・622年前後に、ムハンマドとその信者達がメッカでの布教を諦め、<他の場所>へと移住したことを指す。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A9
 嘆きの壁とは、「<BC>20年、ヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された<エルサレム>神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分であり、・・・70年にユダヤ人による反乱(ユダヤ戦争)があり、ティトゥス率いるローマ軍により鎮圧され<た>際、エルサレムは炎上し、神殿は破壊され西壁のみが残った・・・。・・・ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。・・・現在広く使われている Wailing Wall の名称は1917年にイギリス人によってつけられたとされ、これは19世紀の<欧州>の旅行者が、この壁を「ユダヤ人が嘆く場所」(・・・wailing place of the Jews・・・)と呼んだことに由来する。・・・「嘆き」とは、神殿の破壊を嘆き悲しむために、残された城壁に集まるユダヤ人の習慣を表現している。なおイスラム教の預言者ムハンマドが、彼を乗せて天に昇った動物「ブラーク」をこの壁につないでおいたという伝説があり、1920年代に壁の所属をめぐってアラブ人とユダヤ人の間の緊張が高まった際、アラブ人はこの壁を al-Buraq と呼んだ。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%86%E3%81%8D%E3%81%AE%E5%A3%81

 神は「子をもうけることはなく、子たることもない」と。
 この一文は、イエスが神の子であり、実に、イエスと神は同等(equal)である、とのキリスト教の諸主張を拒否している。
 これらはキリスト教の中心的教義(tenet)群なのだが・・。」(D)

(続く)