太田述正コラム#6469(2013.9.23)
<英国の植民地統治(その3)>(2014.1.8公開)

 「メインは、インド人はいわゆるアーリア人種の諸分枝だが、血縁(kinship)に立脚した「自然諸集団」から個人へ、そして「慣習法から市民法(civil law)へ」進歩することができなかった、という意見を陳述した。
 すなわち、彼らは、アイルランド人のように、ローマ帝国から裨益することができなかったのだ、と。」(A)

→ここは、メインが(忖度するに自覚しつつ、あえて)間違っています。
 ブリテン諸島中、現在のイギリスのみがローマ帝国の支配下に入った歴史があることは事実ですが、ローマ帝国のイギリス放棄とアングロサクソンのイギリス「侵攻」の間には時間があり、この間にローマ文明の影響は、ローマ法を含め、イギリスでは失われ、その後、イギリスは、アングロサクソン文化を、その判例法(後にコモンロー)体系を含め、継受したからです。(コラム#省略)
 つまり、メインは、あえて、コモンロー法系と市民法(大陸法)系とを区別せず、両者を広義の市民法として一括りにして論じた、ということです。
 ただし、メインが言うように、かつてのアイルランドの諸法系は、この広義の市民法系には属していなかった、という意味では、当時のインドの諸法系と同じです。
 すなわち、アイルランドには、「現代の法制度のような法体系はまったく存在しなかった。<その>いわゆるブレホン法(文字に記録されて現存している)は、数世紀かけて少しずつできあがった現代の判例法とも異なるし、立法府によって完成された法体系でもない。ブレホン法は、「研究」によって作られた理想像としての法である。習慣や伝統を条文化するように支配者に求められた場合を想定して法律家が一般の慣行を法制化したものである。言いかえると現存するブレホン法は中央の政権から生まれたものではなく、法律学校から生まれたものである。その多くの条文は施行不可能である。<また、>当時の慣行を文字に記録したとはいえ、慣行は地域によって非常に大きく異なっていたというのが実情である。」『アイルランド―歴史と風土 (岩波文庫)』(下掲から孫引き) (太田)
http://nememori.info/21

 「<大英帝国以外でメインと類似した理論を構築したのが、>蘭領東インドがその熟考の対象であったところの、クリスチャーン・スヌーク・ヒュルグロニエ(Christiaan Snouck Hurgronje)<(注4)>だった。

 (注4)1857〜1936年。オランダの東洋学者。蘭領東インド総督の原住民問題顧問を務める。ライデン大卒、同大博士。アラビア語に堪能でイスラム教へ改宗。
http://en.wikipedia.org/wiki/Christiaan_Snouck_Hurgronje

 ・・・土着民なるものは、植民国家による創造物だった。
 すなわち、「<土着民の住む地は>植民地にされ、土着民は標本化(pin down)され、地方化(localize)され、追放人(びと)として文明の外に投げ捨てられ、慣習に閉じ込められ、次いで、植民地の産品と定義された」と。
 マムダニは、更に、明確に区別される政治的アイデンティティ群として<宗主国の本国からやってきた>入植者(settler)と土着民が、そして土着民群は部族ごとに、いかに区分されたか、の暴露を続ける。・・・
 メインの本には二分法群が書いてある。
 西<(欧米)>は文明化していて進歩的(progressive)であるのに対して東は伝統主義的で静的(static)である、と。
 <また、ある土着民の>親睦会(social)が欧米における社会の本性(nature)と動態(dynamics)を理解する特権的理論的場(arena)となれば、この特権は、<この親睦会が代表する>非欧米の<特定の>文化の領域(domain)<全体>に与えられた、と。
 <更に、>東では貴族は宗教的存在となり、欧米では市民的ないし政治的存在となった、と。
 <そして、更に、>メインから見れば、インドにおける慣習法は、小百姓とその作物のように土地に根差す傾向があったのに対し、欧米における市民法は全球的に旅をすることができた、と。」(C)
 マムダニは、<メインによる>これらの二分法群を追うことによって、過去、及び未来の諸可能性、に係る歴史と法の観念を形成する。
 仮に過去の生産物が歴史執筆の対象であったとすれば、未来を確保することは立法の領域に属した、と。
 植民地たるアフリカの文脈の中では、人種と部族の人類学的分別は植民地的諸定義とガバナンスの一つの観念を供給した、と。
 同様、政策としての分割統治は、定義統治なる観念によって置き換えられることになった、と」(C)

 「仮に入植者が近代的であるとすれば、土着民はそうでない。
 仮に歴史が入植者を定義するとすれば、地理が土着民を定義する。
 仮に立法(legislation)と処罰(sanction)が近代政治社会を定義するとすれば、習慣的遵守(habitual observance)が土着民の政治社会を定義する。・・・
 これらの諸観念は、メインの著作のうち、良く知られているところの、1871年の諸講義の集積たる『東西における農村諸社会(Village Communities in the East and West)』と、1861年に出版された『古代法』等、において示されたものだ。・・・
 マムダニは、メインの理論の趣旨は、「二種類の法の間の二元性(duality)なのである、つまり、欧米の法は文化から解放され(culture-free)、それ以外の地の法は文化に緊縛され(culture-bound)ているところ、この法的二元性に立脚した、進歩的(progressive)な社会と停滞的(stationary)な社会という二種類の社会」があるということである、とここで主張する。
 <そして、>この観念が、<英領インド当局が打ち出した>1858年の「不干渉教義(doctrine of non-interference)」と諸保護領(protectorate)の体制(dispensation)に反映されるに至ったのだ。
 すなわち、大英帝国権力は、宗教、諸境界、諸法、諸制度、そして市民権等、事実上生活の全側面について、何が「慣習的」で何が「市民的」であるかを定義し区分(delimit)する大権(prerogative)を保有する、とされたのだ。」(D)

(続く)