太田述正コラム#6465(2013.9.21)
<英国の植民地統治(その1)>(2014.1.6公開)

1 始めに

 これまで、私は、何度も大英帝国論ないし英植民地統治論を取り上げてきましたが、全般的に、大英帝国は、場当たり的に形成されたこともあって、その植民地統治の態様は、個々の植民地の統治に携わった人々の裁量に任され、従って千差万別であった、というトーンの「論」ばかりであった感があります。
 ところが、マフムード・マムダニ(Mahmood Mamdani)は、新著、『定義統治--政治的アイデンティティとしての土着民(Define and Rule: Native as Political Identity)』の中で、(拡大英国の部分を除き、)大英帝国においては、共通の理論に基づき、同じような態様で植民地統治がなされた、と主張しています。
 そこで、この新著の概要を、書評群・・多くは専門誌電子版に掲載・・をもとにご紹介し、私のコメントを付そうと思い立ちました。

A:http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/SOU-01-020813.html
(8月3日アクセス)
B:http://www.academia.edu/4189451/Book_Review_Mahmood_Mamdani_Define_and_Rule_Native_as_Political_Identity
(9月16日アクセス)
C:http://www.thehindu.com/todays-paper/tp-features/tp-bookreview/definitions-and-divisions/article4236800.ece
D:http://sundayindybooks.blogspot.jp/2013/08/native-label-seed-of-africas-strife.html
E:http://www.lrb.co.uk/v34/n17/mahmood-mamdani/what-is-a-tribe ←4分の1

 なお、マムダニは、次のような人物です。
 「1947年<〜。>ウガンダ・カンパラ生まれのインド系3世のアフリカの文化人類学、政治学者。<現在、米>コロンビア大学<の>人類学部教授、・・・<兼>政治学<科>教授 (1999年〜)、<兼>アフリカ研究所長 (〜2004年) 。ダカールに置かれているアフリカ社会科学研究発展評議会 (CODESRIA) の議長 (1999年〜2002年)。・・・米国の奨学金を受けピッツバーグ大学、タフツ大学フレッチャースクール、ハーバード大学に留学し1974年に博士号取得、イディ・アミン政権時代にインド系移民の追放を受けイギリスに亡命、ダルエスサラーム大学(1973年〜1979年)を経て第二次ミルトン・オボテ政権時にウガンダに帰国しマケレレ大学教員 (1980年〜1993年)として成年識字教育計画に携わり、鉄道労働者の政治活動に関わった。カンパラの基礎研究センターの財務部長(1987年〜1996年)も兼ねた。・・・ケープタウン大学教授(1996年〜1999年)。・・・英語、フランス語、グジャラート語、ヒンディ語、ガンダ語、パンジャブ語、スワヒリ語、ウルドゥ語などを話す。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%95%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%A0%E3%83%80%E3%83%8B
 彼のこのようなバックグラウンドを知っていると、どうして、彼がインドとアフリカの特定の地域をベースとするこのような本を書いたかがよく分かります。

2 英国の植民地統治

 (1)序

「以前の欧州の帝国的諸政府・・その中には「ローマ<共和国やローマ帝国>と19世紀央より前の英国による「直接」統治」が含まれる・・や、フランスによる「同化(assimilation)」政策やその20世紀初における対応物たる「連合(association)」<政策>とは違って、<英国による>間接統治は、「植民地エリート達」を文明化させて<宗主国に>同化させることから、帝国の少数派<たる現地宗主国民>とは異なったところの大衆的属民(mass subjectivity)を定義すること、へと焦点を移した。
 しかしながら、間接統治は、社会的違い<に加えて>、政治的違いを制度化した点で、それは、「近代国家」<における統治>とも区別される。
 なぜなら、近代国家は、<被治者の間での>非政治面での(civil)違い<の存在>を認めつつも、政治的平等を「確保」するからだ。」(A)

 「世界人口の3分の2近くは、形態こそ様々だが、植民地統治を経験した。
 そして、欧州の帝国的印鑑による強烈な諸印字は、アフリカ・アジアの人々の容貌の上に、暗号が解読された姿で、殆んど苦労することなく見出すことができる。
 しかしながら、植民地における至上権の確立は、必ずしも、常に、ローマ帝国がイタリアからそれ以遠へと拡大して行った場合のように、直接的な権威主義的権力の押し付けを通じて行われたわけではない。
 帝国的ローマは徴税と立法とを通じて自らを押し広げて行ったのに対し、後の時代の英国の植民地部隊群は、間接統治と政治、社会両面における違いの制度化、に密かに焦点を当てたのだ。
 <原住民を宗主国民と>類似の存在にするとの(homogenising)衝動、から、定義することと違いを管理することへの没頭、への転換は、直接統治から間接統治への移行において極めてよく証拠付けられている。・・・」(C)

 「この本の中で、マムダニは、(「土着の(native)」や「部族(tribe)」という名札が付けられた)原住民達の諸アイデンティティがいかにイデオロギー的に形成されたか、そして、英国の間接統治の利己的な政治的諸利益に奉仕したところの、インチキな人類学的かつ民族誌的(ethnographic)諸理論に立脚した耐久性ある(enduring)法的かつ文化的力がいかに授けられたか、について論じる。
 この本のタイトル・・「分割統治(divide and rule)」という政治的謳い文句との語呂合わせ・・は、マムダニによる主要な教訓的諸目的の一つを反映している。
 その目的とは、植民者達の諸活動が、いかに、元植民地の世界における各地方特有の社会的不協和音の幾ばくかについて、(少なくとも部分的に)責任があるかを、実際的に証明することだ。」(D)

→ここは重大な点です。
 すなわち、どちらにせよ日本自身には何の責任もないわけですが、先の大戦において日本が「過早に」大英帝国を崩壊させた、と私は指摘してきたところ、ひょっとすると、その逆であり、「過遅に」崩壊させた可能性がある、ということです。(太田)

(続く)