太田述正コラム#6461(2013.9.19)
<啓蒙主義と人間主義(その9)>(2014.1.4公開)

 中世において、欧州中で出現したところの、我々の世界を一変(transform)させた<啓蒙主義者なる>個人主義者達は、は、どちらかと言うと発作的(fitful)であった16世紀が過ぎると、いや増しの自信を抱いて行った。
 モンテスキューが観察したように、欧州の諸君主制は、ローマ共和国、とその他の場所において一般に行われていた専制主義(despotism)、のどちらとも極めて異なっていた。
 「<世界の>全ての民族(nation)は、智慧が何たるかを自分達だけが知っていると確信していて、他の全ての民族の愚行(folly)を軽蔑している」、とパグデン氏が非常に尊敬する啓蒙主義人物群の一人であるエルヴェシウス(Helvetius)<(注37)>は語ったものだ。

 (注37)Claude-Adrien Helvetius。1715〜71年。「フランスの哲学者、[知識人]。・・・
 認識論の分野ではコンディヤックの感覚論を唯物論に結びつけ、人間精神の活動のすべてを「身体的感性 sensibilite physique」に還元できるとした。人間の欲望・情熱・社交性・思想・判断・意思表示・行動の基盤は<身体的感性>である<とし、>人間を感覚・感性に支配された一個の機械であるとする点で、エルヴェシウスはラ・メトリやドルバック<(前出)>のような唯物論者と一致する。
 社会道徳の分野では、公共にとっての利益が善の基準であると考え、ベンサムの功利主義やウィリアム・ゴドウィンに影響を与えている。徳はエルヴェシウスにとって、他者を考慮する政治的な感情・行動である。
 では個人的利益を追求するように見える物理的感覚から公共の利益への志向はどのように導き出されるのか。エルヴェシウスは、「将来の予想や期待」「教育」によって道徳的感情を涵養しうると答えることでこの疑問を解決しようとした。」
 [英国の哲学者のアイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)は、エルヴェシウスを、ヘーゲル、フィヒテ(Fichte)、ルソー、サン・シモン、及びメーストル(Maistre)とともに、自由の6人の敵であるとした。]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B9
http://en.wikipedia.org/wiki/Claude_Adrien_Helv%C3%A9tius ([]内)
 「バーリン・・・は、・・・当時ロシア帝国の支配下だったラトビア・リガ出身のユダヤ人。・・・自由という概念を積極的自由(positive liberty)と消極的自由(negative liberty)に分け<たことで知られる。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3
 ラ・メトリー(Julien Offray de La Mettrie。1709〜51年)が「著した『人間機械論』は、霊魂の存在を否定し、・・・機械論的な生命観を提唱し・・・、足は歩く筋肉であり、脳髄は考える筋肉であるとした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
 ウィリアム・ゴドウィン(William Godwin。1756〜1836年)は、「イギリスの政治評論家・著作家。無政府主義の先駆者。妻は女権論者のメアリ・ウルストンクラフト。2人の間に生まれた娘は、小説『フランケンシュタイン』の作者で詩人シェリーの妻であるメアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン(メアリ・シェリー)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3
 ジョゼフ・マリー・ド・メーストル伯爵(Joseph-Marie, Comte de Maistre。1753〜1821年)は、「<イタリアの>サヴォワ<と>フランスのカトリック思想家、外交官、王党派、保守主義者、権威主義者、反革命家。・・・彼は徹底した反合理主義、反啓蒙主義者であり、・・・社会の紐帯を非合理的な偏見や迷信、権威に帰し<、合理主義的な>啓蒙主義はあらゆる社会的紐帯を破壊する危険な思想であると考えた・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB

 ところが、<(ローマ共和国や専制国を含む)世界の中で、例外的に、>自由な欧州だけにおいては、旅行記や他の諸文化における諸生活を調査すること、それと同時に我々自身のそれを批判すること、への情熱を見出すことができる。
 <すなわち、>エルヴェシウスの島国根性(insularity)と思考閉鎖性(close-mindedness)という大まかな主張にぴったりあてはまる(illustrate)のが<欧州>以外のすべての文化であったまさにその時、欧州人達は、好奇心のある、外を向いた(outward-looking)詮索好きな(inquisitive)人々だったのだ。
 <モンテスキューの>『ペルシャ人の手紙(Persian Letters)』<(注38)>は、1721年のフランスでベストセラーになった。

 (注38)「モンテスキューの書簡体小説。1721年刊。ペルシアの高官ユスベクは政治的亡命を余儀なくされ,友人リカと故国を離れ,ヨーロッパに来て,フランスに滞在する。2人が友人や召使と交換する手紙を通して,18世紀初頭,すなわちルイ14世の晩年から摂政時代のフランスと<欧州>の社会状況が,慣習によって曇らされていない異文化圏からの来訪者という観点から批判・風刺される。その対象はパリのコーヒー店,市民の物見高さといった風俗から,ナントの王令廃止,ルイ14世の死,経済政策,奴隷制などの政治論議,さらには教皇権,宗教裁判,神学論争などの宗教問題と多岐にわたり,軽妙な筆致で論じられる。」
http://kotobank.jp/word/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99

 欧州以外で、果たして、『フランス人の手紙』という本を書いた者がいただろうか。

→この書評子の無知蒙昧ぶりには驚きます。
 「好奇心のある、外を向いた詮索好きな人々」なんてどこにでもいました。
 現在のモロッコ生まれのアラブ人、イブン・バットゥータ(Ibn Battuta。1304〜68年)は、1325〜54年の間に、「エジプトを経てマッカ(メッカ)を巡礼し、さらにイラン、シリア、アナトリア半島、黒海、キプチャク・ハン国、中央アジア、インド、スマトラ、ジャワを経て中国に達し、泉州・大都を訪問し・・・1349年故郷に帰還したのちも、さらにアンダルシア(イベリア半島)とサハラを旅し<て、>・・・1355年に旅行記『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』・・・を完成」させています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%82%BF
 また、日本について言えば、新井白石(1657〜1725年)が1715年頃の著書の『西洋紀聞』で、諸外国の歴史・地理・風俗やキリスト教の大意と、それに対する批判などを記していま
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%BA%95%E7%99%BD%E7%9F%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E7%B4%80%E8%81%9E
すし、最上徳内(1754〜1836年)は、時には自発的に、蝦夷や千島列島、樺太の探検を行い、『蝦夷草紙』やアイヌの生活を記した『渡島筆記』などを著しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E4%B8%8A%E5%BE%B3%E5%86%85 
 「自己・・・批判」精神だって諸所で見出すことができます。
 例えば、日本では、渡辺崋山(1793〜1841年)は、1837年に執筆し、蛮社の獄後、筆写されて広く読まれた『慎機論』を著し、「西洋の各国は<支那>以上に発達し、新興国<米国>は<欧州>のどの国よりも強大になっている。西洋と行き来しないのは日本だけである。」等と記しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E5%B4%8B%E5%B1%B1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%8E%E6%A9%9F%E8%AB%96 (太田)

 <ところが、>パグデン氏は、我々に、一度も会ったことがない遠く離れた人々に対して利他主義的にふるまうことを教えてくれたのは、啓蒙された人々<、すなわち啓蒙主義者>であった、と考えているのだ。
 彼は、カリタス<(注39)>がキリスト教の徳であることは認めるけれど、それに続いて、キリスト教徒達は、カリタスを単に神の自分達への信認(credit)を増大させるために実行しているだけである、と我々に厳かに説明する。

 (注39)「愛,神愛,愛徳などと訳す。〈神は愛である〉という信仰宣言のなかにキリスト教のすべてがふくまれているともいえるが,その〈愛〉(ギリシア語でアガペーagapē)のラテン語訳がカリタスである。したがって,カリタスはイエス・キリストの十字架において啓示された,人間に注がれる神の愛,およびそれにこたえて人間が神と隣人に示す愛を意味する。」
http://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%82%B9

→パグデン自身も自覚していないと推察されますが、キリスト教の利他主義と日本及びイギリス特有の人間主義・・イギリスの場合は人間主義的要素と言った方がいいかもしれません・・とは似ても似つかぬものであることに、この書評子は全く気付いていません。(太田)

 同じ頁で、観劇に行くパリっ子達はフェードル(Phaedra)<(注40)>の運命に涙するが、パグデン氏の紹介する、「アフリカ人奴隷達の窮状には一顧だに与えたことがない」というディドロの苦情について学ぶ。

 (注40)フェードルは、「フランスの劇作家、ジャン・ラシーヌ作の悲劇。・・・ギリシア神話から題材を得ている。・・・フェードル(パイドラ)は、夫テゼー(テセウス)の留守中に、義理の息子イポリート(ヒッポリュトス)に恋をしてしまう、という話である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB

 <しかし、>パグデン氏は、ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce)<(コラム#1707、4831)>と彼のキリスト教徒たる支持者達が奴隷貿易を消滅させたことを記すのを忘れている。

→奴隷貿易廃止論の3人の中心人物中、ウィルバーフォース
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Wilberforce
とトーマス・クラークソン
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Clarkson
こそ熱心なキリスト教徒でしたが、チャールズ・ミドルトン
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Middleton,_1st_Baron_Barham
はそうではなさそうですし、「1791年4月、ウィルバーフォースは、奴隷貿易廃止のための最初の議案を<下院に>提出した。この議案は88対163の票決によりあっさりと否決された」とは言っても、最初からかなりの賛成議員がいたわけですし、その16年後の「1807年・・・2月・・・法案は283対16で可決され、奴隷貿易法は1807年3月に国王の裁可を受け成立」するまでに、熱心なキリスト教徒たる下院議員が増えたということもなさそうです。
 そして、まだウィルバーフォース存命中の1833年に、奴隷制そのものが廃止されます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B9
 これは、英国よりもはるかに熱心なキリスト教徒たる国民や議員が多かったはずの米国に先んじること、実に約30年です。(リンカーンによる奴隷解放宣言は1862年。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%AE%A3%E8%A8%80
 結局、英国が奴隷制廃止において、欧米世界の中で実質最も早かったのは、キリスト教と言うよりは、その人間主義的要素による、と言うべきでしょう。(太田)

 それが現実についての真実であるかどうかに関わりなく、キリスト教が、かくも力のある、優しくて感じが良い(gentle and decent)(、そして哲学的に活気がある(lively))文明を創造するにあたって中心的役割を果たしてきた以上、我々の問題は、<この文明>に加わろうと欲する人々をどう受け入れる(=accommodateする)か<だけ>なのだ。
 <キリスト教の聖書に記されているところの、>「行け、そして再び罪を犯すな」は、<イスラム教のように>罪人を斬首したり、石打の刑に処したりするよりはるかに進んでいるし、<現代のように>カウンセリングを行ったり向精神性の薬物を投与したりすることよりも、同様、恐らく進んでいるのだ。・・・
 我々の寛容的開放性(tolerant openness)の若干を、啓蒙主義の著述家達に負っていることは確かだが、我々は、彼らに、人間の生活に介入する(meddle with)悪夢的情熱及びユートピア諸社会を創造しようとする試みについても負っている。
 <啓蒙主義が持たない>キリスト教の便益の一つは、それが、政治というものを、神と創造に関する若干の大きな物語の枠内で不完全な人々によって実行される危うい活動と解釈するところにある。」(I)

→既にキリスト教の内在的病理性について知っているところの我々からすれば、憐憫の情すら湧く謬論です。(太田)

(続く)