太田述正コラム#6439(2013.9.8)
<改めて尖閣問題について(その2)>(2013.12.24公開)

 「尖閣の漢文史料はほとんどみな明国及び清国側の著述である。尖閣は日本と琉球との間の島ではなく、琉球と明清との間の島であった。だから弱小琉球にほとんど記録が無く、明清側の記録ばかりのこったのは仕方ない。
 しかし中身は全く逆である。琉球人が航路上で提供した情報を、明国人及び清国人が記録したのがこれら史料である。土着の案内者と、外から訪れた記録者、アメリカ・インディアンの提供情報を英語で記録したのと似た状況である。
 但し釣魚列島の名は、東アジア共通の漢文名であって、命名者は不明である。アメリカ先住民の土地に英語で命名したのとは異なり、琉球人自身が漢文で命名していた可能性も高い。それが東アジアであたり前なのだ。・・・
 また、<明清側の記録では、チャイナから琉球へ>の渡航では、琉球の船は低速であり、高速の使節船から落後したことが幾度も記録される。造船・操船の技術に劣る琉球人が尖閣を先に見つけた筈がないと、チャイナ側は主張する。確かに日本とチャイナとの間の小国琉球は、ある時期まで技術的に優位ではなかった。しかしそれを以て尖閣が我が物だと言い張るのは、技術的優位の西洋人が、土地を熟知する先住民を軽視するのと同じである。現地の熟知度とは別問題であり、これもまた先住民差別である。
 記録と技術の二つの優位による差別を、日本は世界に知らしめるべきである。」(同上2012.12.1)
 「琉球人の案内で釣魚臺(魚釣島)を記録したのは、明の陳侃著『使琉球録』である。・・・
 <彼>は、福州から出航の前年末、未知の琉球への渡航を畏れていた。そこに琉球の朝貢貿易船が入港したので、情報を得られると喜<び、>・・・次に琉球から迎接船が入港したので、先導してもらえると喜<び、>・・・次に迎接船が羅針盤役らを派遣して陳侃と同船させ、琉球までの操舵を申し出た<と喜んだ。>翌年初夏に出航した使節船は、琉球の役人の操舵のもと、・・・1534年・・・陰暦5月10日に尖閣列島の「釣魚嶼」を通過する。尖閣は最初から琉球王が公式に外国の客を導く航路として記録された。チャイナ側はつねに陳侃が釣魚嶼を記録したことだけを強調して、琉球人が針路を司ったことを無視しつづけている。」(同上2013.6.16)

→本質的な話ではなく状況証拠的な話でしかないとはいえ、いしゐ氏のおっしゃる通りである、と言いたいのは山々ですが、第三者を納得させるのは必ずしも容易ではないでしょうね。(太田)

3 その他の古文書上の尖閣諸島

 (1)蕭崇業著『使琉球録』(1579年)(中野氏といしゐ氏の指摘)

 中野美代子氏(中国文学者。前出)は、次のように論じています。

 「<中国は、>1960年代末までは、まったく関心のなかった釣魚島など、わが尖閣諸島の存在に、70年代以降にわかに目を向けはじめ、それを「中国固有の領土」とする文献的な傍証の探索にやっきになりはじめたのだが、それが明朝の琉球王朝への冊封使の記録だけだとは、まことにお粗末である。たとえば、・・・1579<年>の・・・『使琉球録』は、・・・<日本人による>訳注本<によれば、>・・・福建を出航したかれらの船は、「平嘉山(台湾北端の基隆港外の彭佳嶼か?)と釣魚嶼をよぎり、黄毛嶼(正しくは黄尾嶼)をよぎり、赤嶼をよぎり、次々とめまぐるしく島影が過ぎていった」とだけ見える、たんなる通過点にすぎない。・・・
 たんなる洋上のランドマークが、「固有の領土」の証拠たりえないこと、だれの目にもあきらかである。また、「固有の領土」なら当然のこと記載されているはずの『明史』や『清史稿』の地理志にも、その名は見えない。のみならず、後者の巻一八「台湾」には、台湾の「北界」は「基隆域海」とあり、これはおそらく基隆のすぐ北の海に散らばる北彭湖嶼(現彭佳嶼)などをふくむと思われるが、そのはるか東方の洋上に点在する「固有の領土」は、一顧だにされていないのである。」(學士會会報前掲11〜12頁)

 いしゐのぞむ氏は、次のように論じています。

 「蕭崇業『使琉球録』に曰く、
「彼の國の夷船、●(サンズイ篇に卂(太田))期なるを以て、宜しく境上に候うべし。乃ち戊寅(西暦1578)年、獨り爽(たが)いて至らず」
と。●(しん)とは季節風である。年末の季節風に乗って琉球船が福建に来航し、翌年使節船が出航するまで「境上」で伺候するのが通例だったという意である。福建海岸の国境から琉球航路への出航を待つのだから、尖閣は必然的に境外である。」(同上2013.6.18)

→つまり、明の時代においては、中野氏は、明にとって尖閣列島は航海の際のランドマークに過ぎなかったと指摘し、いしゐ氏は、尖閣列島が自国の国境外であることを明自身が認めていたと指摘しているわけです。
 私も、まさに、その通りだと思います。(太田)

(続く)