太田述正コラム#6427(2013.9.2)
<日支戦争をどう見るか(その40)>(2013.12.18公開)

 (4)日本の敗戦がただちにもたらしたもの--中共地獄の成立

一、序

 日支戦争・太平洋戦争において、米国が日本を敗北させた結果、どんなに恐ろしいことが起こったかについては、「脚注:米国が太平洋戦争以降に直接的間接的にアジアにもたらした死」で、その全体像を明らかにしたところですが、太平洋戦争の終戦直後に起こったのは、国共内戦であり、中共の成立でした。
 この時期に焦点をあてた新著、『解放の悲劇--支那革命史1945〜57年(The Tragedy of Liberation: A History of the Chinese Revolution 1945-57)』が、フランク・ディコッター(Frank Dikotter('o'にウムラウトが付く))(コラム#4236、5941)によって上梓されたので、書評群をもとに、この本の概要をご紹介しておきたいと思います。
 なお、この本は、ディコッターの前著(コラム#4236)より前の時代を扱っているわけです。
 日本人の手によって、彼の前著や今回の新著のような本が書かれていないことは、日本の戦後の現代史学者の怠慢としか言いようがありません。

α:http://www.ft.com/intl/cms/s/2/b1e371bc-0e3f-11e3-bfc8-00144feabdc0.html#axzz2dWSLeZRF
(8月31日アクセス。以下同じ)
β:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/book-review-the-tragedy-of-liberation-a-history-of-the-chinese-revolution-19451957-by-frank-diktter-8791947.html
γ:http://www.theguardian.com/books/2013/aug/30/tragedy-liberation-frank-dikotter-review ←Rana Mitter(前出(コラム#6340、42、44、46、48、50、52、54、59)、コラム#6398)による書評
Δ:http://www.standard.co.uk/arts/book/a-vivid-account-of-the-chinese-revolution-8779234.html ←KWASI KWARTENG(コラム#5300、02、04、06、08、10、12、14、18、20、22、28、34、48、50、52)による書評

 なお、ディコッターは、香港大学で教鞭を執っているオランダ人歴史学者です。(α)
 彼は、オランダ語のほか、ロシア語、漢語、に通じており、著作は英語で書いている、という人物です。(Δ)

二、中共地獄の成立

 (一)これまでの見方 

 「若干の歴史書では、1949〜57年の期間、毛沢東主義の支那は、「黄金時代」・・或いは、それ以降に起こったことと比較して、少なくとも金ぴかの時代・・の達成に最も近付いた、という考察を行ってきた。
 彼らは、<支那が>侵攻と内戦で深く傷ついた1世紀の後、コンセンサスによる指導と中央集権化された国家・・それは経済の再建と再工業化を成し遂げ、支那が、朝鮮半島で米軍と戦って膠着状態に持ち込むことによって「立ち上がる」ことを可能にした・・を1950年代初期に創造した功績を中国共産党に帰した。
 「毛沢東が1956年に亡くなっていたならば、彼の諸業績は不滅のものとなっていたことだろう」と毛の同僚達のうちの一人は、この主席の崩御の後に推測した。」(α)

 「最も鍵となる問題は、史料源だった。
 解放の後、大部分の外国人は支那から追放され、残った英語圏の評論家達は、<支那内での>諸出来事についての知識が良く言っても限られていたところの、新体制によって育まれた、数少ない「外国の友人達」だけだった。・・・
 1〜2名の1949年以前の観察者達は、中国共産党の諸方法が、革命がピクニックではないことを極めて明確に示していたにもかかわらず、<共産党>弁護者達は、より文明的であった共産党幹部達が農民による搾取者への復讐を止めなかった<だけのことだ>、と我々に信じ込ませてきた。」(β)

 「地方における支那革命の最も強力な叙述の一つは、長年にわたって、米国の社会学者のウィリアム・ヒントン(William Hinton)<(注75)>の回顧録である『翻身(Fanshen)』(1966年)であり続けた。

 (注75)William Howard Hinton(1919〜2004年)。米国の農民・著述家で共産主義者。ハーヴァード大を経てコーネル大(農学専攻)卒。
http://en.wikipedia.org/wiki/William_H._Hinton
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3

 ヒントンは、自らの観察に基づき、1949年以降の<支那の>社会的遷移について、それを乱雑で何が起きるのか分からないようなもの、と評価しつつ、それを究極的には前向きに評価した。
 <こうして、>『翻身』は、欧米の支那理解の画期的著作(landmark)となった。」(γ)

 (二)ディコッターの見方

 <しかし、>「サミュエル・ジョンソン賞を受賞した、彼の『毛沢東の大飢饉(Mao’s Great Famine)』の前日譚である、この『解放の悲劇』の中で、フランク・ディコッターは、説得力ある形で人民共和国初期に対するこのバラ色の評価を粉砕する。
 「誰にも責任を負わず全員をコントロールすることを追求する一党<独裁>国家」を毛沢東が彼の副官達と創造したことを描写する際に、「暴力が革命だった」と彼は述べる。
 1945年から57年の間の支那の共産主義についてのディコッターの説明の中から、1958〜62年のひどい飢饉と1966年に始まった文化大革命における悪しき諸パージは、起こるべくして起こった激動(cataclysm)であった<ことが読み取れる>。
 この後の二つの出来事を可能としたところの、国家が承認した(The state-sanctioned)蛮行と狂信的干渉は、既にはっきりと<その時に>見えていたのだ。」(α)

 (続く)