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太田述正コラム#6634(2013.12.15)
<皆さんとディスカッション(続x2113)>

<太田>(ツイッターより)

 ルーマニアのTVで、ホロコーストを奨励するかのような反ユダヤ的クリスマスソング映像が放映されて、大騒ぎになっている。
http://www.spiegel.de/international/europe/romania-anti-semitic-christmas-song-causes-uproar-a-938703.html
http://www.youtube.com/watch?v=x4usAZAvpjs
 分かり易い英語のテロップが付けられているユーチューブ映像をぜひご覧あれ。

<やへがき やくも>

≫日本舞踊はどうして静的で、かつ男女差がないのか≪(コラム#6626。太田)

 舞踊と一口に言っても、「舞ひ」は静的で様式的、「踊り」は動的で非様式的だと本で読んだ記憶があり、日本舞踊をひとくくりにして「静的で、かつ男女差がない」とすることはできないのではないかと思ってしらべた。

 「〈舞踊〉という語はまわるという意味の〈舞(まい)〉とおどり上がるという意味の〈踊り〉という語を合成したもので,1904年坪内逍遥が《新楽劇論》中で用いたのが最初」
http://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%9E%E8%B8%8A?dic=sekaidaihyakka 「日本舞踊とは - コトバンク」

 「舞は静的で、内へ内へとためた表現をします。個人芸として、抽象的なたたずまいの中に、豊かな内面性を持つことを重視しています」
 「踊りは動的で、外へ外へと押し出す表現をします。その身体のありかたは、舞の緊張感に満ちた様式から開放され、華やかな集団的熱狂性を特色とします」
http://www.kamigatamaitomonokai.org/mainokkr/body.html#kaisetu 「舞の心 珠玉のことば集」上方舞友の会

 「舞いは一人からはじまる芸能です。複数で舞う舞いもありますが、一人で舞うことはまったく自然であり、むしろ基本的なかたちといえます。しかし、踊りはふつう一人でははじまりません。複数の人・集団で踊るのが日本の踊りの基本形です」
 「舞を舞う人として思い浮かぶのは、巫女のような宗教者や、専業の芸能者のような人たちです」
 「踊りは集団の芸能ですから、たくさんの人に参加してもらう必要があるわけです。盆踊りの場合、この傾向は特に強く、素人でもよそ者でも誰でも参加できる「門戸の広さ」が大きな特徴となっています」
http://www.bonodori.net/sekai/SHIKUMI6.HTML 「盆踊りの知識:枠組みについて6」湘南盆踊り研究会

 こんな感じなんだけど、とりわけ目を引いたのは柴田勝征教授 (福岡大学理学部) のエッセイ。 NHK テレビの古典芸能番組で専門家のこんな解説があったと。

 「『踊り』と『舞い』の違いは、しばしば縄文式土器と弥生式土器の違いに例えられます。『踊り』は自由奔放な動きを重視し、『舞い』は symmmetry などの秩序だった形式美を重んじる、という特徴があるからです」
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/1998_7j.html#97go 「「舞い」と「踊り」はどう違う?」

 「舞ひと踊り」の相違が「弥生式土器と縄文式土器」の相違に比するものなら、「日本舞踊」を「弥生モードと縄文モード」で語れるかもしれん。

<太田>

 私は鑑賞用の舞踊(ダンス)を問題にしているのであって、参加型の舞踊まで幅を広げたご指摘は、いささか的外れではないでしょうか。
 なお、以下から、舞の方が踊りよりも歴史が古い、或いはそこまでは言えないとしても、舞も踊りと古さにおいて遜色がないことが分かります。
 つまり、舞は(或いは舞も)縄文時代に起源を有する、と考えられるところです。
 ですから、柴田センセの説は説得力がないと思います。

 「舞<は、>荘重な歌や音楽に合わせて、摺り足や静かな動作で舞台を廻るもの<で>貴族的・・・踊り<は、>軽快な歌や音楽に合わせて、足を踏み鳴らして拍子を取りながら、動きのあるな手振り身振りでうねり回るもの<で>庶民的」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%9E%E8%B8%8A
 「明治以前は・・・舞は・・・踊りとは、はっきりと区別されていたが、ダンスの和訳として舞踊という言葉ができ区別が意識されなくなった。・・・
 舞は・・・古典的な神楽に、大陸からの渡来芸が加わったものとされ、民衆の中から生まれた踊りに較べて専門的技能を要する」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9E
 「一般に、「かぐら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされる。神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされる。古事記・日本書紀の岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%A5%BD

 弥生土器と縄文土器については、改めて取り上げましょう。

<fhs/9U3E>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

≫あんまりにも大変そうで途中であきらめ≪(コラム#6632。太田)

 ここの所が良く解らないです。
 インクカートリッジの取り替えなら1分とかからない事ですし、何か予定外のトラブルがあったって事なのかな?

→既存のカートリッジをこじあけて換えインクを自分で流し込むスタイルでした。(太田)

 それはともかく。

≫人生は計算通りには進行しないんだわねえ。≪(同上)

 太田さんほどの人でもそんな事があるのかと驚きつつもホッコリしてしまいました

<XU672wWI>(同上)

 いや、この人、「計算」度外視の人生だから。
 本来業務を放棄した防衛庁に入ったことがケチの付き初めで、「計算」高く振舞って本来業務を放棄する、なんてことを放棄した結果、窓際行き。
 大人しく天下りしときゃいいのに、何を血迷ったか負けると分かっている選挙に出馬、落選。
 以後、再就職を蹴って「独立」のために執筆活動に入る。
 他人だから応援できるが、身内だったら絶対付いて行けんわ・・

<UTjqty.g>(同上)

 コラム#6355、6520を読んでみて。
 外務省にいたら太田さんここにはいないよ。
 防衛庁で間違ってなかったよ。

<Fhpj8jrI>(同上)

 太田さんは機嫌が悪いと読者か一般日本人を罵倒する癖があるからね。
 「日本の俳優は演技がヘタ」って言うのも、日本人罵倒の一つ。
 根源にあるのは旧防衛庁で閑職に追いやられた事、選挙で落選した事、日本独立が実現しない事、評論家としてメディアの評価が低い事等。
 太田さんのサイトなんだから罵詈雑言だろうが何でも言ってもいいでしょ。

<v/WRRDPo>(同上)

 今まで、2ch的掲示板での雑談や自分の周りを見る限り日本人俳優の演技を総体的に上手いって言う人を見たことがないんだけど、首をひねりつつ、グーグル先生に「邦画 演技 上手い」で聞いてみたら、まさに邦画を貶める意見が結構引っ掛かるんだよな。
 「邦画 演技 下手」で検索するとフルボッコで、ポジティブな意見なんて引っ掛かからないのにさ。
 おそらく、日本人の一般人の多くは、太田さんの意見の方に同意するんじゃないか?
 グーグル先生から言わせれば邦画の演技を上手いと思ってる人が少ないんじゃない?
 どうワード検索したら、邦画の演技を絶賛するような検索結果になるのか知りたいぜ。

<太田>

 本日は、新宿で開かれた忘年会に出てから、西口の郵便局でクリスマスカードを出し、年賀状を買ってきた。
 役所を退職してから(業者が山のように提供してくれていた)カレンダーや手帳を自分で買わなければならなくなって現在に至っているが、カレンダーは日付だけの安いカレンダーで我慢して来たけど、来年用には初めて写真入りのカレンダーを買ってあったところ、この郵便局で景品に(二月ずつのものであったけれど、)ポストの入った光景の写真付きのカレンダーをくれたのでにっこり。(小さな貯金箱もくれた。)
 それからヨドバシカメラに立ち寄り、医者から健康管理のために必要ですと言われていたところの、ヘルスメーターを買った。更には五反田駅前の洋服の青山でセール品のシャツを何着か買って帰宅した。
 パソコンを付けたら、2ちゃんの「たった一人の反乱」が満杯になったのか、消えていてびっくりしたなあ。


 それでは、その他の記事の紹介です。

 「アングロサクソン・欧州文明対置論」シリーズ(コラム#6583以下。未公開)で取り上げたところの、対置論に立脚しつつ米国をアングロサクソン文明の国だとするハンナンの本に対する批判的書評が出ていた。↓

 <米独立革命にはフランス啓蒙思想の影響もあった、と。(私見じゃ、これは米国文明のキメラ性(アングロサクソン文明+欧州文明)の証左の一つなんだわさ。(太田))↓>
 ・・・Hannan・・・argues that the American War of Independence was in fact an “Anglosphere civil war” – with the American revolutionaries drawing heavily upon English political ideas and traditions dating back to the Magna Carta. The evidence that Hannan marshals is interesting. But so are the omissions. The crucial influence of the French enlightenment – Montesquieu in particular – on the American revolutionaries is barely acknowledged. Benjamin Franklin’s friendship with Voltaire is never alluded to.
 <そして、フランス啓蒙思想はイギリス政治思想の強い影響を受けていたとも。だから、アングロサクソンと欧州は同一文明に属するんだとよ。(うそこけ!フランス啓蒙思想は仰ぎ見る先進国イギリスの政治思想の生噛りの翻案に過ぎないの。(太田))↓
 It is true that thinkers such as Voltaire and Montesquieu were themselves impressed by English political thinking. But that merely underlines something that Hannan is keen to deny: the existence of a common western tradition of thinking about political freedom that has drawn deeply on contributions from continental Europe.・・・
http://www.ft.com/intl/cms/s/2/e203b8c4-60ca-11e3-b7f1-00144feabdc0.html#axzz2nUqCA5k8

 スコットランドとイギリスとは文化的に異なると指摘し、スコットランド独立をある意味後押しするコラムだ。↓

 <スコットランドの長老派(=カルヴィン派)は道徳主義的であり、光(正義)と影(非正義)を峻別するところ、それを象徴的に描いたのが『ジキルとハイド』やJames Hoggの'The Private Memoirs and Confessions of a Justified Sinner'だってさ。(後者は知らなかったなあ。エジンバラとグラスゴーの対立もその一環なんだってんだが、これもイマイチよー分からんねえ。(太田))↓>
 ・・・The Presbyterian spirit was a spur to individuals to be seen, and to see themselves, as moral actors; the other side, as Fry writes, was an unforgiving righteousness in pursuit of one’s ends. This divide between the light and dark of the Scots nature, most popularly fictionalised in Robert Louis Stevenson’s Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde, more mysteriously treated in James Hogg’s The Private Memoirs and Confessions of a Justified Sinner, runs through many of the country’s fables and follies – among the latter being the longstanding and largely farcical enmity between the capital and the former industrial powerhouse of Glasgow.・・・
http://www.ft.com/intl/cms/s/2/bb629c1c-610b-11e3-b7f1-00144feabdc0.html#axzz2nUqCA5k8

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