太田述正コラム#6421(2013.8.30)
<日支戦争をどう見るか(その38)>(2013.12.15公開)

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<脚注:スペイン内戦>

 ここで、日支戦争(1937年7月〜1945年8月(9月))とほぼ同時期のスペイン内戦(1936年7月〜1939年3月)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%86%85%E6%88%A6
を、振り返り、日支戦争と比較してみよう。
 この内戦を、スペインの政府(注71)側は専制主義(tyranny)と民主主義(democracy)の戦い、反政府側は共産主義/アナキズムとキリスト教文明の戦い、と喧伝した。
 国として政府側を事実上支援したのは、ソ連、メキシコ(注72)、フランス(注73)だったのに対し、反政府側を事実上支援したのはドイツ、イタリア、ポルトガル(注74)だった。

 (注71)「スペイン<では、>・・・1936年1月、共和主義左派・社会党・共産党・マルクス主義統一労働者党(POUM)の間で協定が結ばれ、2月の選挙で勝利して、共和主義左派・・・を首班とする人民戦線政府が成立した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%B0%91%E6%88%A6%E7%B7%9A
 (注72)「メキシコ<では>・・・1934年<に大統領になった>ラサロ・カルデナス<が、>・・・農地改革<を行うとともに、>・・・1937年には鉄道の国有化、38年には石油産業の国有化に踏み切<ってい>る。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%8A%E3%82%B9
 (注73)「フランス<では、>・・・社会党と・・・共産党・・・これに・・・[中道の政党である]・・・急進社会党が加わり、1936年4月に行われた議会選挙で人民戦線派が圧勝し、社会党のレオン・ブルムを首班とする人民戦線政府の成立に至<ってい>る。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%B0%91%E6%88%A6%E7%B7%9A
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A5%E9%80%B2%E5%85%9A ([]内)
 (注74)「ポルトガル<では、>・・・1932年に首相に<就任した>・・・アントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザール<が、>・・・1933年には新憲法を制定して、「神、祖国、そして家族」をスローガンに・・・長期にわたるファシズム独裁体制を敷いた。・・・サラザールの政治哲学はカトリックの教義に基づいて<いる。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB
 
 他方、英国と米国は厳正中立を守った。
 さて、反政府側には、アイルランドから600人(数字は概数。以下同じ)の義勇兵が参じたのが大きかったくらいなのに対し、政府側には、フランスから10,000人、ドイツ/オーストリアからの5,000人、イタリアからの3,350人の義勇兵に加えて、それぞれ1000人を超える義勇兵が、ソ連、米国、英国、ポーランド、ユーゴスラヴィア、ハンガリー、そして(拡大英国たる)カナダから参じており、欧米世論は圧倒的に政府側寄りだった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Spanish_Civil_War
 政府側に立って戦った国際旅団に参加した著名人としては、アーネスト・ヘミングウェイ(『誰がために鐘は鳴る』)、アンドレ・マルロー(『希望』)、アンドレ・ジッド、アルベール・カミュ、ジョージ・オーウェル(国際旅団参加を希望していたが最終的にトロツキスト民兵部隊に加わった)(『カタロニア讃歌』)、ハーバート・ジョージ・ウェルズ、ノーマン・エンジェル、シモーヌ・ヴェイユ、ポール・ロブソン、ヴィリー・ブラント、ゲルダ・タロー、ロバート・キャパ、そして日本人のジャック白井らがいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%97%85%E5%9B%A3

 当時の欧米世論の雰囲気をよく伝えているのが、スペイン内戦を英デイリー・テレグラフ紙の特派員として見守った、カトリック教徒たる英国人のヘンリー・バックレー(Henry Buckley)が1940年に出版した本だ。
 この本の中で、彼は、「スターリン的共産主義とファシズムが代理戦争を戦い、<前者と>アナキズム、トロッツキー主義<が組み、後者と>ナショナリズムとカトリック原理主義<が組んだこと>が火に油を注いだ。・・・スペインの反動的なカトリック教会は、<フランコら反政府側を基本的に支持する>陸軍と地主達とともに、民主主義と戦った。・・・英国等の民主主義国家群は、スペインを見捨て(failed)、ヒットラーのひどい野望(ambition)を煽った(fuelled)。」
http://www.theguardian.com/books/2013/aug/25/life-death-spanish-republic-review
(8月27日アクセス)としている。
 すなわち、「スペイン人民戦線内でスターリン主義の立場をとらなかったために、後に共和国政府に粛清されることになる政党「マルクス主義統一労働者党(POUM)」に参加し」て政府側に立って戦ったところの、英国人ジョージ・オーウェル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%97%85%E5%9B%A3
同様、ヘンリー・バックレーも、スペイン内戦をスターリン主義とファシズムの代理戦争である・・私自身も同意見だが・・と彼が正しく捉えていたところのスペイン内戦において、政府側に強いシンパシーを抱いていたことが分かる。
 当時の欧米では、ファシスト国家である独・伊・ポルトガル等は別として、英米を除く自由民主主義的国家の多くが(フランスとスペインのような)人民戦線政権ないし(欧米の外延たるメキシコのような)容共政権であり、英米においてすら、スターリン主義(共産主義)に対する警戒心が著しく低下していた。
 それに対し、アジアにおける唯一の自由民主主義的国家であった日本はスターリン主義(共産主義)に対する強い警戒心を怠らなかったところ、この点で日本は浮き上がった存在と化していた。
 かかる背景の下、欧米では、支那における1937年の国共合作への動き
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%85%B1%E5%90%88%E4%BD%9C
を、(蒋介石政権(=中国国民党政権)がファシスト政権であった上にナチスドイツの支援も当初受けていたというのに、)人民戦線政権形成へ動きと勘違いし、かつまた、遡れば、日本による1931年9月に始まる満州の保護国化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
の目的を誤解していて、それに加えて、日本が1936年11月にファシスト国家たるドイツと防共協定を締結していた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E9%98%B2%E5%85%B1%E5%8D%94%E5%AE%9A
こと等ともあいまって、自由民主主義的日本をファシスト的政権・・軍国主義政権・・視するところの、蒋介石政権寄りの世論が形成されるに至っていた。
 そのような中で1937年7月に勃発したのが日支戦争であり、英米は自由民主主義的日本を支援するどころか、スペイン内戦の時のような厳正中立の立場すらとらず、蒋介石政権/中国国民党/ソ連を積極的に支援し、その結果、日支戦争は必然的に太平洋戦争へとエスカレートした、というわけだ。
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(続く)