太田述正コラム#6316(2013.7.8)
<日進月歩の人間科学(続x32)(その2)>(2013.10.23公開)

 チヴァースが読み取ったことに内在する不整合(discord)は、テリ・フィッシャー(Terri Fisher)の研究結果と一致(converge)している。           
 彼は、オハイオ州立大学の心理学者であって、200人の女性と男性の学部学生達に自慰とポルノの使用に係る質問表に答えるよう求めた。
 被験者達は、小集団に分けられ、三つの異なった状況下で回答を記入させられた。
 回答を終えたら、開け放たれたドアの外で待っていて被験者達が作業をしているのを見守ることができた同僚学生達に手渡す、或いは、自分の回答が回答者不詳のままにされることをはっきり保証される、はたまた、手、二の腕、そして首にインチキな電極をテープで貼り付けられ、ニセモノのポリグラフを取り付けられる、という<三つだ。>。
<さて、>男性の回答は、この三つの状況下で、それぞれほぼ同じだった。
 しかし、女性に関しては、状況<の違い>は決定的に重要だった。
 最初の状況下の集団中の多くの女性は、自慰したことがないし、ポルノは一切見ようとしたことがない、と述べた。
 厳格に不詳性が確保されるものと聞かされた女性は、然り、ともっと多くが答えた。
 そして、ウソ発見器につながれていると思わされた女性は、男性とほぼ同様の回答をしたのだ。・・・
 
 新たな実験において、チヴァースは、ポルノ的録音テープを異性愛者たる女性被験者達に流した。
 一つには、彼女は、語られた諸物語の場合には、<被験者達の>血流、つまりは精神に対して<映像の場合とは>異なった効果を与えるかどうかを知りたかったのだ。
 被験者達が聞かされた諸場面は、男性がらみなのか女性がらみなのかの点で様々であっただけでなく、そのシナリオが被験者の知らない誰かについてであるか、被験者の友人についてであるか、それとも被験者の長期の愛人として知られている人物についてであるか、という点においても様々だった。
 今回もまた、乖離(gap)は劇的なものだった。
 被験者は、女性が出演している場面に比べて、男性が出演している場面の場合に、はるかに強く感じる(turned)という報告をした。
 <ところが、>プレチスモグラフは、それと全く矛盾し<た結果を指し示し>た。
 しかし、今回、チヴァースの関心を引いたのは別のことだった。
 性器の血管は、ポルノ的挿話<に登場する人物>が女性の友人達であった場合は脈動こそしたけれど、その脈動は、<挿話が>見知らぬ女性であった場合には、その2倍も強力だったのだ。
 <また、>男性の友人の場合はぴくりとも動かず(deadening)、性器の<血>脈動は殆んど平坦になった。
 <ところが、>男性の知らない人の場合は8倍もの血液が流れたのだ。
 <それなのに、>チヴァースの被験者達は、<挿話に登場するのが>見知らぬ者の場合には最も<性的に>亢進しなかった、と主張した。
 プレチスモグラフはその正反対のことを語っていた<というのに・・>。
 見知らぬ者との性交は、血流に嵐をもたらしていた、というわけだ。
 このような結果は、女性の性欲(female sexuality)は、感情的繋がり(emotional connection)、確立した親しさ(established intimacy)、或いは安全感(feelings of safety)によって亢進(thrive)する、という社会的憶測(assumption)とは何とも収まり具合が悪かった。
 それどころか、<女性の>エロティックな意思(might)なるものは、何かしら斬新なもの(raw)を最も歓迎する(run best)、という代物だったのだから・・。

→ここで注意すべきは、女性は強姦されそうになった場合、自分ではそれに全く気付かないものの、性器は血脈動(充血)を始めるけれど、それは、膣壁を濡らすことによって、強姦された時の受傷を防ぐための条件反射に過ぎない、とされてきた(典拠省略)ところ、以上の実験結果は、この俗説もまた、否定するものであることです。
 なぜなら、以上の実験結果は、映像または音声がフィクションであること、かつまた、挿話が男性と「自分以外の」女性との性交である、という二重の意味で、自分が和姦する可能性も強姦される可能性もゼロである、という状況下で得られたものなのですからね。
 要するに、主観的にはその正反対なのだけれど、客観的には、女性は(見知らぬ男性との性交の極限型(理念型?)であるところの、見知らぬ男性に)強姦された場合に最も性的に亢進する、という古来からの男性の「妄想」は、実は、紛れもない事実であった、ということになります。
 そして、強姦された女性が往々にしてPTDSに罹るのは、この主観(心)と客観(肉体)の極端な乖離が心を深く傷つけるからだ、ということになりそうです。
 このあたりのことは、慰安婦「問題」が何故問題たりうるのか、とも関わってきます。(太田)

 霊長目学者にして人類学の教授であるサラ・ブラッファー・ハルディ(Sarah Blaffer Hrdy)は、その進化的な理由らしきものをあげた。
 彼女の考えは、女性は<男性に比して>性欲的(libidinous)な性ではなく、より単婚制に適した性であると執拗に主張して来た進化心理学者達に挑戦するものだった。・・・
 猿やバブーンのようなタイプにおける雌の乱交性(promiscuity)は、一つには障壁(shield)として進化したものである、とアルディは信じている。
 父性を分からなくさせるためだ、というのだ。
 雄が、どの赤ん坊が自分のか確信が持てなければ、その赤ん坊をより殺さないようになるだろう、と。
 この理論と並行して、彼女は、オルガスムを中心題目とするある観念を提示した。
 人間の女性、及び仮にそれが存在するとすれば、動物の雌、の絶頂は、多くの進化心理学者によって、生物学的には意味のない、<子孫の>再生産には効果がない、副産物であると見做されてきた。

→言うまでもないことですが、男性のオルガスムは射精の手段であるけれど、以前にも触れたことがあるように、女性のオルガスムは受精に何のプラスにもなっていません。(太田)

 しかし、ハルディは、女性のオルガスムは、我々の祖先の間では極め付きに意味のある(relevant)ものであった可能性がある、と信じている。
 それは、女性が放蕩者であることを確かなものにする進化的方法であり、彼女達は、一回戦の性交から次の性交へ、また、しばしば一人の番相手から別の番相手へと効率的に移動し、そして一つの出会いによる性的亢進(turn-on)から次の性的刺激へと移行し、<再び>絶頂を目指すためのものなのだ。
 複数回のオルガスムの可能性が女性の放蕩者的諸動機を増進させる(compound)、と。
 雌の動物がその快楽に駆動された行動から得る優位は、若干の霊長目の種における幼児殺しの予防から、より多様な精子をかき集めることで<異なった雄の精子同士に受精競争させることにより(太田)、>より高い、遺伝的適合性(genetic compatibility)の確率を得たり、妊娠の確率を得たり、健康な子孫を生み育てる確率を得たりすることに至るまで、多岐にわたっている、とハルディは主張するのだ。」(A)

→思わず膝を叩きたくなりますね。
 どうして、何の生物学的意味もないのに、女性は、男性に比べてはるかに深い(とされている)オルガスムを与えられ、しかも、男性と違って、女性は短時間に何度でもオルガスムに達するようにつくられているのか。
 そして、以前に援用した学説が指摘するように、女性は(男性と違って)性技や性交の際によがり声を出してまでして他の異性を引き寄せようとするところ、それはどうしてなのか。
 これらの疑問が全てがほぼ解明されようとする時代に我々は生きているって、何という感動でしょうか。(太田)

(続く)