太田述正コラム#6298(2013.6.29)
<パナイ号事件(その23)>(2013.10.14公開)

 「1938年における海軍臨時軍事費、とりわけ航空兵力予算の大幅増額、海軍兵学校の生徒の激増、飛行機搭乗員養成員の急増、これらはすべて、海軍が、想定敵国であるアメリカとの航空兵力決戦に備えて、いっきょに軍備拡充をはかろうとした証左である。・・・

→何度も指摘したように、これは、史実のプロパガンダ的歪曲以外の何物でもありません。
 軍事力増強を行いつつあった赤露に対する抑止を続けつつ、蒋介石政権を打倒し、親日政権を支那で樹立するためだけでも、(米英が同政権支持を続ける限り、なおさら、)日本はより大きな軍事力が必要でしたし、その場合、航空兵力に重点志向するのも、当時の最新の軍事動向からして、当然のことだったからです。
 (ただし、戦艦建造費にまで予算を割きすぎ、陸軍に十分な予算を充当できなかったことは問題でした。)(太田)

 ローズベルト大統領は、・・・1939年の予算に(当初の計画から二隻増やして)四隻の最新鋭戦艦の建造を決意するにいたった。・・・しかし、1938年1月の議会は、四隻の最新鋭戦艦の建造に十分必要な予算の計上<を>否決した。・・・

→これも繰り返しですが、いかに、当時の米国で孤立主義的傾向が強かったかを改めて裏付ける挿話です。(太田)

 1月10日、ローズベルト大統領は、アメリカ艦隊の主力部隊を大西洋から太平洋に移動させる命令を下した。・・・
 1938年2月14日、イギリス海軍がシンガポールで大海軍基地の開港式を挙行したとき、アメリカは巡洋艦を派遣して、英米海軍提携のデモ<ン>ストレーションを行ったが、日本海軍は招待からはずされていた。・・・

→しかし、ローズベルト政権は、世論の意向に逆らって、日本との軍事衝突が起こるような布石を次々に打って行ったというわけです。
 しかも、水心有れば魚心で、その方向にローズベルト政権を誘ったのは、既にシンガポールの海軍基地建設に着手することで、日本との敵対政策を鮮明に打ち出していた英国でした。
 我々は、このような英国の動きが、結局は大英帝国の早期瓦解につながった自殺的愚行であったことを知っています。(太田)

 1937年11月に日・独・伊三国防共協定が結ばれ、いわゆるベルリン--ローマ--東京枢軸が結成されたが、パナイ号撃沈は、世界ファシズム連合を形成した日本が、世界最強の民主主義国家アメリカに敵対行動をとった最初の事件であると、アメリカ政府と国民には理解された。パナイ号撃沈事件の背後には、世界におけるファシズム陣営対民主主義陣営の対立という構図も意識されていた。・・・

→これは、日本が赤露及び容共ファシスト蒋介石政権との対決政策を推進していた成熟した自由民主主義国家であったことを無視した紋切型謬見です。
 成熟した自由民主主義国家であった英米は、赤露から地理的に遠く離れていたこともあり、赤露に対する警戒感が十分ではなく、とりわけ米国は赤露音痴に近い状態にありました。
 イタリアとドイツのファシズムは、自由民主主義が未成熟であった両国の共産主義へのヒステリー的対応、という側面がありましたが、英米同様の成熟した自由民主主義国家であった日本は、地理的に英米よりはるかに赤露に近く、しかし英米よりは赤露に地理的に近かったものの、日本と違って接壌関係にはなかった伊独両国とは異なり、日本は、赤露と、朝鮮半島と樺太で接壌しており、また、米国と並ぶ主要市場であった支那に赤露勢力が浸透しつつあったこともあって、当時の数少ない成熟した民主主義国家群の中で、正しくも、最も先鋭的な危機意識を持って、殆んどただ一国、一貫して対赤露抑止戦略を追求し続けていたわけです。
 その日本がドイツと組んだのは、単にドイツが敵の敵であったからであり、それに加えて、ドイツに蒋介石政権支援を止めさせる狙いがあったからに他なりません。
 (イタリアは、日独にとっては金魚の糞のようなものであったと言えるでしょう。)
 この日本の戦略を的確に理解していたのが法王庁であったわけであり、ファシズム(とりわけナチスドイツ)と赤露双方を仇敵としていた法王庁が、日支戦争で(、日本が仇敵の一方たるナチスドイツと組むに至っていたにもかかわらず、)日本の支持を続け、また、日米戦争の回避に尽力したのはそのためであったことを、もう一度思い出してください。(太田)

 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告する(1939年7月26日)以前に、アメリカの世論は、74パーセントが中国に同情をしめし、66パーセントが日本商品のボイコットに賛成、72パーセントが武器・軍需品の対日禁輸を支持するようになっていた。・・・

→繰り返しますが、米国の世論の背景には人種主義があったこと、また、蒋介石政権支持、日本には敵対とは言っても、米国の世論としては、日本との戦争の意思は皆無であったことを忘れないでください。(太田)

 「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力がなかったことである。・・・その・・・日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。・・・

→国内の分裂やリーダーシップの欠如は、むしろ成熟した自由民主主義国家であることの証左なのであって、米国は、例えば政権と世論との深刻な乖離・対立を抱え、英国は、例えばカナダや豪州と本国との間に深刻な乖離・対立を抱えていたことくらいは、太田コラムの読者であれば、先刻ご承知でしょう。
 また、笠原が象徴天皇であることに徹していた昭和天皇を批判するのは、当時の日本が英国よりも自由民主主義度において進んでいた面があることが彼には全く見えていない、ということでしょうね。(太田) 

 石油、屑鉄<は>もちろん、飛行機や飛行機エンジンもふくめて、軍需資源、機材のアメリカ依存を深めながら、海軍軍備拡張の緊急性を国民に宣伝、予算と資材獲得のために「南進政策」を強行し、アメリカとの戦争危機を醸成していく海軍。
 そして、・・・航空用ガソリンの対日禁輸と石油・屑鉄の対日輸出規制(1940年7月)、さらに対日石油輸出の完全禁止(1941年8月)と致命的な制裁をうけた海軍は、アメリカに代わる石油・軍需資源の供給地をもとめて東南アジアの軍事占領を決定、<更には、>・・・死中に活を求め、真珠湾攻撃を敢行したのである。」(300、302〜306、308、309〜311)

→笠原は、米国「との戦争危機を醸成」と扇動的な表現を使っていますが、肝心の米国の世論に日本と戦争する気が皆無であった以上は、そんな危機は醸成されるはずがなかったわけです。
 むしろ、海軍が陸軍に同調することなく(対米開戦に反対することなく)、「真珠湾攻撃を敢行した」(対米開戦をした)ことによって、初めて「戦争危機」が(一挙に)「醸成」されたのです。(太田)

 「1955年年頭、村山富市首相は侵略戦争反省と謝罪の国会決議を実現させるという所信表明をおこなった。これに反対して、与党自民党議員の過半が同国会決議阻止の議員連盟を結成、・・・6月9日の国会で自民・社会・さきがけの与党三党で採択された「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」は、日本の侵略戦争を直接に反省しないものとなった。・・・
 私が深刻な衝撃を受けたのは、村山内閣が政策方針で提起した侵略戦争反省と謝罪の決議を、形式的には議会制民主主義の手続きをとおして、国民の側がその実現を妨げ、骨抜きにしたことであった。政府ではなく、国民の動向が国の政策を誤らせることがあるという事実を知った。このことは、戦争政策と国民の関係を考えるとき、一方的に戦争に動員され、犠牲となった国民という単純な構図ではなく、国民の側に戦争政策に便乗、加担し、戦争拡大になだれ込んでいった側面があったことの責任も問われなければならない、という本書の問題意識になった。
 私がアメリカに滞在していた間も、広島・長崎への原爆投下の是非をめぐる熱い論議が展開されていた。論争は、スミソニアン国立航空宇宙博物館で企画していた広島原爆投下に関する展示が、同年1月に中止に決定したことをきっかけに続けられていた。・・・数量的には原爆投下肯定派が多かったが、それでもこうした議論が国民規模で展開できるアメリカ国民のほうが、意思表明もせず、意見ももたず大勢に順応しがちな日本国民よりは、民主主義的に成熟していると感じた。それでも、私が良く聞いたり、目にした言葉は「Remember Pearl Harbor!」であり、戦争中、日本人を軽蔑をこめて呼称した「ジャップ Jap」という言葉であった。・・・
 アメリカの知人の一人が私にこう言った。
 「原爆投下を肯定しているアメリカ人の多くも、内心は原爆被害の悲惨さに心を痛めている。しかし、それを表明しないのは、アメリカに戦争を仕掛け、中国やアジアを侵略した日本の政府と国民がまだ正式に反省と謝罪をしていないのに、アメリカから先に原爆投下は誤りであったとは言えないからだ。・・・
 本書で明らかにしたとおり、日本国民が予期しない長期日中全面戦争に動員されていった(国民の側の)要因は、日本国民が、世界の動きに無知であったこと、侵略戦争を不法とした時代の流れを認識する力がなかったこと、アメリカ政府・国民の動き、中国政府・民衆の動きを知らず、理解しなかったことである。」(336〜338)

→本シリーズの冒頭で既に引用した部分を含め、この本の末尾の部分から長々と引用したのは、既に十分過ぎるほど行った笠原批判を繰り返すのが目的ではないのであって、いかに戦前の日本の世論が米国の世論に比べてまっとうかつ健全であったか、そして、戦後の(日本全体を家畜化し政治や社会科学において無能化したところの、)吉田ドクトリン/対米属国化にもかかわらず、依然、日本の世論が世界覇権国たる宗主国米国の(笠原の「知人の一人」を含むところの)世論に比べてまっとうかつ健全であり続けているかを皆さんに肌で感じていただき、日本の将来に希望をつないでいただくためです。
 それにしても、単純な誤爆であると思っていたパナイ号事件が、実は日本の先の大戦史の全体像を把握するための最善の手がかりを提供する事件であったことを知ることができた現在、この事件から、信じ難いほど歪曲された全体像をその中で描いているとはいえ、笠原がこの本を書いてくれたことに、私として、感謝の意を表しておきたいと思います。(太田)

(完)