太田述正コラム#6220(2013.5.21)
<中共の資本主義化の軌跡(その7)>(2013.9.5公開)

 (3)トウ小平による革命の後半(トウ小平)

 「我々の話の第二部は、1992年のトウ小平の南巡(southern tour)後に始まった。
 それまでの10年において、限界諸革命が中共に市場を再びもたらしたが、地域間競争がそれからの10年の主要な改変力となり、世紀末には中共を市場経済へと転じさせた。
 地域間競争は新しいことではなかった。
 それは、改革の最初の10年にも存在はしていた。
 しかし、当時は、それは省の境界に交易関所をつくらせ、中共経済をばらばらにしてしまった。
 中共は、1992年に価格改革、1994年に租税改革、そして1990年代央に国有諸企業の民営化を開始した。
 これらの改革諸措置は、単一の国家市場の興隆に道を開き、地域間競争を改変的力へと転じることによって、全ての経済アクター達に市場規律を課すことができた。
 ここで、我々の説明は、黄亜生(Huang Yasheng)<(注15)(コラム#3994、3996、3998、4000、4161)>が、彼の本である『支那の顔をした資本主義(Capitalism with Chinese Characteristics)』で呈示した説明とは異なってくる。

 (注15)北京生まれで米国に帰化。ハーヴァード大卒、同大ジョン・F・ケネディ・スクール博士。ハーヴァード大ビジネススクール准教授等を経て現在MITのビジネススクール(MIT Sloan School of Management)の国際経営学の教授。
http://en.wikipedia.org/wiki/Yasheng_Huang

 黄の議論ある主張は、中共は1980年代において、1990年代におけるよりも、もっと資本主義的にして企業家的だった、というものだ。
 仮にこの主張が、1980年代においては私的企業家精神(entrepreneurship)が国家に抗して優位にあった(prevailed)という趣旨であれば、それは、我々の「限界諸革命」の物語と完全に整合性がある。
 しかし、仮にそれが、中共が改革の第二の10年に自由市場経済から遠ざかったことを示唆するものであれば、それは1990年代における経済の根本的変化・・地域的競争が機能する前提条件たる単一国家市場の出現・・を見過ごしている。」(G)

 (4)都市の自営業者

 「1980年代初には、「自営の理髪屋が国営病院の外科医よりも高収入を得るようになった。街頭行商人…は核科学者よりも稼ぎが良くなった。仲買人や小店舗主や飲食店主…は中共で最高の所得グループに仲間入りした。」と著者達は記す。
 そして、「自営家族事業(self-employed household businesses)と個人事業者(single proprietorships)の数は、1978年の140,000から1981年には260万に増えた。・・・
 中共の諸都市における最初の私営事業(private business)は、国家部門で職を持っていなかった人々によって立ち上げられた。
 大部分は、<下放されていた>田舎から戻ったばかりの年の青年達だった。
 毛沢東の時代には、都市での(15歳から18歳にかけての)2,000万人の中卒者が、<タテマエ論はともかくとして、>一つには、政府が充分な職を創り出すことができなかったために田舎に送り込まれた。
 毛沢東が亡くなると、彼らは戻ってきたが、国家部門に職を見つけることができなかった。
 若い、仕事のない、そしてじっとしていられない彼らは、街に繰り出し、鉄道を止めたりさえした。
 この、どんどん募る圧力に直面して、政府は自営への入り口を開けることを余儀なくされた。
 <こうして、>私営店群が中共の諸都市に出現し始め、これが都市経済に係る国家独占を速やかに終わらせることとなったのだ。」(G)

→都市の自営業者については、著者達が言う4つの限界諸革命の他の3つに比べて、書評類を通じて言及されている分量が少ないため、余り具体的なイメージが湧きません。(太田)

(続く)