太田述正コラム#6208(2013.5.15)
<米孤立主義とリンドバーグ(その3)>(2013.8.30公開)

 今度は、介入主義者達です。

 「これに敵対していたのが介入主義者達だった。
 彼らは、米国は英国を支援してドイツを敗北させる必要があると信じていた。
 主唱者達は、さまざまに、チャーチルの英国に武器を供与し、徴兵を復活し、或いは米軍部隊を直接戦闘に送り込むことを擁護した。
 介入主義者達にとっての、米国第一の対応物は、同盟諸国を支援して米国を防衛する委員会(Committee to Defend America by Aiding the Allies)だった。
 この委員会を率いたのが、編集者のウィリアム・アレン・ホワイト(William Allen White)(注14)であり、この市民集団が雇ったのが、作家のロバート・シャーウッド(Robert Sherwood)(注15)と弁護士のアドレー・スティーブンソン(Adlai Stevenson)(注16)だった。」(B)

 (注14)1868〜1944年。カンサス大卒。新聞編集者。1896年から死まで進歩主義運動(Progressive movement[=漸進的社会的政治的経済的改革を擁護])の指導者にして、中産階級(middle america)のスポークスマン的存在。
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Allen_White
http://en.wikipedia.org/wiki/Progressive_movement ([]内)
 (注15)1896〜1955年。戯作者・編集者・映画脚本家。ハーヴァード大卒。
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_E._Sherwood
 (注16)1900〜65年。政治家。プリンストン大、ノースウェスタン・ロースクール卒。「シカゴで弁護士業を始め<、>1931年に連邦政府入りし、ニューディール政策を担当し<、>第二次世界大戦中は海軍省次官としてワシントンで働く。・・・イリノイ州知事<を経て>・・・2度大統領選で敗北した(1952年と1956年)。ケネディ政権下では国連大使を務めた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3

 「極めて活発な介入主義集団はいくつかあった。
 センチュリー集団(Century Group)は、その中の一種の過激派集団だった。
 どうしてそれがセンチュリー集団と呼ばれたかと言うと、その会員の大部分がニューヨークのセンチュリー・クラブ<(注17)>の会員だったからだ。

 (注17)正式名称はCentury Association。1847年設立。1891年に現住所に移転。現在の会員数約800人。
http://en.wikipedia.org/wiki/Century_Association

 これは、男性・・当時、会員は全員男性だけだった・・の最上等の私的クラブの一つだった。
 そして、この集団の会員の多くは著名人であり、メディア界の指導者達もいて、その中には、タイム誌、ライフ誌、そしてフォーチュン誌を創刊した、ヘンリー・ルース(Henry Luce)<(注18)(コラム#2934、3074、4092、4112、4150、4266)>もいた。

 (注18)1898〜1967年。雑誌発行人。エール大卒、オックスフォード大に1年留学。
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Luce

 CBS<(注19)>のコメンテーター達も、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン<(注20)>を含む、ニューヨークの諸新聞の最上位の編集者達もいた。

 (注19)「CBS放送(CBS Broadcasting, Inc.)は、<米>国最大のテレビ・ラジオ・ネットワークを有する放送局。NBC、ABCと並ぶ3大ネットワーク(Big Three Television Network)のひとつ。最も早くラジオネットワークを築き上げたパイオニアでもある。1927年創立。本社はニューヨーク」
http://ja.wikipedia.org/wiki/CBS
 (注20)「1924年に・・・『ニューヨーク・ヘラルド』紙・・・が『ニューヨーク・トリビューン』により買収され、題字に「トリビューン」が加わり『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』・・・となった」が、「58年J.H.ホイットニーが500万ドルで買収し、66年《ジャーナル》《ワールド》との合併を画策したが成功せず、消滅した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%B3 (最初の「」内)
http://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%80%8B (2番目の「」内)

 彼らがとてつもない影響力を持ったのは、我々が戦争に赴かなければならないとの観念を普及させるために、彼らが自分達のメディア、とりわけ、ルースとタイム誌とライフ誌を使ったからだ。
 ・・・1940年6月には、彼らは、既に、我々はドイツに対して宣戦を布告すべきだ、と言っていた。
 彼らは、それが恐らくすぐには実現しないことを知っていたが、彼らはそのために戦っていたのだ。」(E)

→当時の非介入主義者の本拠はコネチカット州ニューヘイブン(注21)、介入主義者の本拠はニューヨーク州ニューヨーク、という感じですね。(太田)

 (注21)エール大学は、「米国コネチカット州ニューヘイブン市に本部を置く・・・
 1701年創立で、<米>国に現存する大学としては、ハーバード大学、ウィリアム・アンド・メアリー大学に次いで3番目に長い歴史を持つ。・・・ 
 <英領北米>植民地で最初に清教徒会衆派によって創設されたハーバード大学が堕落してしまった(つまり、「リベラル」になってしまった)と考えてハーバード当局に反旗を翻した会衆派の人々により創設された(ちなみに、後に<エ>ールも堕落してしまったと考えた人たちがプリンストン大学を創立する。プリンストン大学総長は初代から第3代まで<エ>ール出身である)。
 <ちなみに、>これら3校はBIG3と呼ばれ、また頭文字を創立年順に並べてHYPと略記されることもある(西海岸の名門スタンフォード大学を加えたBIG4、HYPSという略称も用いられることがある)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6

(続く)