太田述正コラム#6146(2013.4.14)
<迫害を捏造したキリスト教(その3)>(2013.7.30公開)

 たとえ、ユスティノス(Justin Martyr)<(注6)>のようなキリスト教徒がキリストより前の一人のキリスト教徒としてソクラテス<(注7)>を尊敬したいと思っていたとしても、ギリシャとローマの男や女の英雄達を彼らの殉教者録の中に受け入れているキリスト教の現代教派は容易には見出しえない。
 
 (注6)100〜165?年。初期のキリスト教弁証者(apologist)にして聖人。現在のヨルダン川西岸地区に生まれ、皇帝マルクス・アウレリウスの時にローマで首をはねられて刑死した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Justin_Martyr
 (注7)ソクラテスの死(殉教死?)に言及した過去コラムは、実に、#48、271、908、935、1436、1660、3415、3417、4093、4810の多きに及ぶ。

 この違いは、一体何に由来しているのだろうか?
 このような区別は、証拠に立脚しているのではなく、人々がキリスト教徒とユダヤ教徒の関係について考える仕方に立脚しているのだ。
 キリスト教徒は、旧約聖書にはイエスとキリスト教会についての一連の予言が書かれている、と信じている。
 仮にキリスト教の殉教者達が旧約聖書や新約聖書の人物達のように見えるとすれば、それは、彼らの死が予言の成就だからなのだ。
 彼らは、一つの途切れることなき伝統の一部であって、真実の一つの証人であると見られているのだ。
 <ところが、>ギリシャやローマの事例に関しては、キリスト教徒の殉教者と異教徒の殉教者とのつながりは、より問題を孕んでいる。
 キリスト教とギリシャ・ローマの宗教・哲学の間には予言的ないし聖なる時間は横たわっていない。
 にもかかわらず、異教をキリスト教に翻案するとなると、それは、キリスト教だけが真実であるとする観念に脅威を与えるわけだ。・・・
キリスト教が複数神教的、或いは多神教的な宗教的伝統から<殉教者概念等を>借用してきたかもしれないということは、連綿として続いてきた特異な(unique)伝統の中に自分達があると考える者達にとっては、受け入れがたい(difficult)ことなのだ。
 この問題点は、ギリシャとローマの宗教的慣行がもはや存続していないことによって募っている。
 キリスト教が、道徳的に疑問符が付くところの、失敗した諸宗教から借用したとかこれら諸宗教に依存しているとかいう観念は、羽を逆立たせ(ruffle)、祈祷書群をくしゃくしゃにする(ruffle)のだ。
 本件についての真実はと言えば、キリスト教徒達は、古代ユダヤ教と異端の著述家達の双方から、殉教についての彼らの観念を、また、時には殉教者達自身についての物語群からさえ、翻案したのだ。
 これは、まことに皮肉なことだと言わざるをえない。
 キリスト教徒達は、キリストのために死ぬから特異(unique)であると考えられているけれど、彼らがその特異性を伝達するところの物語群が他の諸文化から借用されているわけだからだ。」(F)
 
 (3)パウロによる「キリスト教徒」の迫害?

 キリスト教徒に対する最初の迫害は、ユダヤ教徒によってなされたということになっており、しかも、この迫害には、回心前のパウロも関与していたとされています。
 この話に対するモスの批判も、この本の抜粋でもってご紹介しましょう。

 「パウロ<(Paul)(注8)>自身が、この習わし(practice)[すなわち、神の教会の迫害]に参加したことを認めたことは、迫害行為(Acts)の物語の信憑性を増しているけれど、それは、ユダヤ教徒達がキリスト教徒達を迫害したことを証明するものではない。

 (注8)パウロ(Paul)は、自分の回心以前に、ステファノス<(前出)>の殉教への関与を含め、神の教会を無制限に迫害した、と告白している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_the_Apostle
 ローマ市民たるユダヤ教徒であったパウロは、イエスの死後に、有名な「パウロの回心」によってキリスト教徒となったので、「最後の晩餐」に連なった十二使徒の中には数えられていないけれど、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD
新約聖書の27の書のうち13・・学者が一致しているのは7・・を著すとともに、キリスト教の布教に尽力し(英語ウィキペディア前掲)、カトリック教会において最初の法王とされるペテロ(Peter)、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD
及び、黙示録を著したヨハネ(John)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D_(%E4%BD%BF%E5%BE%92)
と並んで、教団としてのキリスト教の基礎をつくった人物だ(一連の典拠)。

 その主たる理由は、<その頃、>まだキリスト教徒は存在していなかったからだ。
 「キリスト教徒」という名称がまだ存在していなかっただけではなく、使徒達の生涯の間には、彼ら以外のユダヤ教徒達と区別されるところの、キリスト教徒達という集団は、まだ存在していなかったのだ。」(E)

(続く)