太田述正コラム#6142(2013.4.12)
<迫害を捏造したキリスト教(その1)>(2013.7.28公開)

1 始めに

 先の大戦において、日本軍が、客観的に見ても、また当時の将校や兵士の主観においても、道徳的高みに立っていた、という私の指摘は、日本軍の主敵であった米軍の将校や兵士達の大部分が抱いていた人種主義の道徳的低劣さと対比することで裏付けられている、と(少なくとも)私は考えている(コラム#6140)わけですが、既に私が示唆したように、米軍人らの人種主義は、これまた彼らの大部分が抱懐していたキリスト教、就中その半数くらいが抱懐していた原理主義的キリスト教、と密接な関係があった、とも私は考えているわけです。
 原理主義的キリスト教における選民意識や終末論思想については、これまで何度か取り上げたことがありますが、本シリーズでは、敵味方峻別意識と裏腹の関係にあるところの、原理主義的キリスト教における被迫害者意識について取り上げたいと思います。
 手掛かりにするのは、上梓されたばかりの、キャンディダ・モス(Candida Moss)の『迫害の神話(The Myth of Persecution)』です。

A:http://www.thedailybeast.com/articles/2013/03/31/the-death-of-jesus-and-the-rise-of-the-christian-persecution-myth.html
(4月1日アクセス(以下同じ)。書評(以下同じ))
B:http://www.patheos.com/blogs/exploringourmatrix/2013/03/moss-myth-of-persecution.html
C:http://www.salon.com/2013/02/24/the_myth_of_persecution_early_christians_werent_persecuted/
D:http://tektonticker.blogspot.jp/2013/03/book-snap-candida-moss-myth-of.html
E:http://earliestchristianity.wordpress.com/2013/03/12/review-the-myth-of-persecution-candida-moss/
F:http://brucegerencser.net/2013/03/the-myth-of-persecution-a-book-review/
(この本からの引用)
G:http://www.huffingtonpost.com/candida-moss/the-myth-of-christian-persecution_b_2901880.html
(本人による解説)

 なお、モスは、米国のカトリック系の大学である、ノートルダム(ノーターデイム)大学
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%A0%E5%A4%A7%E5%AD%A6
の新約聖書と初期キリスト教の教授であり、オックスフォード大卒でエール大学で博士号を取得している、超美人の女性です。(F)
 (Fに掲げられている彼女の写真を見ると目がつぶれるかも・・。)

2 迫害を捏造したキリスト教

 (1)モス自身による解題

 「あらゆる教派のキリスト教徒は、初期教会は広範に迫害されたと宣明する。
 <すなわち、>かの救世主の死後の最初の数世紀間、キリスト教徒は、キリストに追従するだけのことで、狩り出され、拷問を受け、殺された、と宣明する。
 この迫害は、使徒の一人であるステファノス(Stephen)<(注1)>の死から始まったと信じられている。
 それからというもの、キリスト教徒は、ローマの代々の残酷で執念深い諸皇帝によって長きにわたって迫害を受けた、と。・・・

 (注1)聖ステファノス。エルサレムの助祭(deacon)で、種々のシナゴーグのメンバー達によって涜神の廉で裁判にかけられ、石打の刑を宣告され、処刑された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Stephen

 <しかし、>1世紀の古における迫害に係る典拠の大部分は2世紀以降に書かれたものだ。
 例えば、使徒達の死の物語群は、古代の恋愛小説群という、非現実的なジャンルに範を取って、ものによっては何百年も経ってから書かれたものだ。
 最も初期における、最も表向きは信頼に足る殉教諸物語でさえ、編集され改変されてきた。
 これらの話の著者達は、古代の神話を借り、殉教者達がイエスのように見えるようにするために、かつまた、ローマの<キリスト教>敵対者達をより一層毒々しくするために、諸出来事の細部を変えた。・・・
 諸物語の中心には真実の核が存在することは疑いないものの、迫害の証拠は存在しないのだ。
 ローマ<による迫害の>の証拠もまたはっきりしない。
 紀元64年のローマの大火<(注2)>の後に<皇帝>ネロ(Nero)がキリスト教徒を標的にしたとするならば・・彼がそうしなかったと考えるべき様々な根拠があるが・・、彼によるキリスト教徒の取り扱いは、彼らに危害を及ぼそうとしたというより、彼に対する非難を逸らす必要があったことによる。・・・

 (注2)その規模について諸説がある。ネロが放火したとのうわさがあったが、出火当時彼はローマにいなかったとの説もある。キリスト教徒が迫害されたのかどうかも、また迫害されたとしても、その理由が放火の疑いなのかその他の理由なのかについても、諸説がある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Great_Fire_of_Rome

 考古学上の証拠が示すところによれば、キリスト教徒が大量に殺された場合、それは<そのための法ではなく、>ローマ帝国を守り強化することを意図した一般法によってなされた。
 3世紀の後半になるまで、ローマ帝国法がキリスト教徒について直接言及することはなく、しかも、皇帝ディオクレティアヌス(Diocletian)の治世のうちの303〜305年が、一般にイメージされているところの、暴虐的迫害に類似したようなものが出現した最初だった<(注3)>のだ。

 (注3)後に彼の後継皇帝となる、ガレリウス(Galerius)の献策により、実施された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Diocletian_Persecution

 キリスト教徒が殺されたことは事実だ。
 そして、キリスト教徒が時々迫害されたことも事実だけれど、ディオクレティアヌスによる2年間の迫害が2000年近くにわたるキリスト教徒迫害なる固定観念(comples)をもたらした、とでも言うのだろうか。

 キリスト教は迫害されるが故に内外からの攻撃から守られる必要があるとの観念は、4世紀及び5世紀、並びにそれ以降の、勝利者となった教会が作ったものだ。
 この物語は、苦しむ者、病の者、そして抑圧された者に慰安をもたらしたけれど、それは、拡大され、誇張され、そしてでっちあげられさえし、異端者をのけ者にするために用いられた。
 それは、大きな暴力を<用いることを>正当化し、公民的な(civil)議論を妨げ続けている。
 そして、まさにこの、膨らまされた迫害の神話が現代の政治や公論に及ぼしてきた影響こそ、我々が<迫害に関する>事実を的確に把握することを至上命題としているのだ。
 不同意と異議が迫害と合成されると、対話、協力(collaboration)、或いはまた同情(compassion)さえも、が不可能となる。
 自分の迫害者と理性的に話をする(reason)ことはできないのであって、闘わなければならない<、というわけだ>。
 仮に迫害されることが名誉のしるし(badge)となり道徳的優位の標識(sign)となるとすれば、議論でもって他者を説得しようと試みることに何の理(reason)があるだろうか。
 迫害されたという神話が組み立てられると、我々は対話が不可能になるだけではない。
 対話は望ましくない(undesirable)、ということになってしまうのだ。」(G)

(続く)