太田述正コラム#6132(2013.4.7)
<太平洋戦争における米兵のPTSD(その6)>(2013.7.23公開)

 「彼の政治性(politics)は米国の力<の行使ぶり>に嫌疑がかけられている場所ならどこでも時宜に即していると言えるかもしれないが、歴史家としては彼は千鳥足で歩いていると言わざるをえない。
 著者は、軍事の階統構造(structures of military authority)を理解していないし、敵の動機やふるまいよりも米国の動機やふるまいの方に対し、より不信の目を向けている。・・・
 彼は、人を元気にする目撃証人達と若干の優れた記述とともに、極めて伏し目がちな(slouching)政治的お荷物(baggage)をも提供するところの、人を苛立たせる乱雑な本を生み出した。・・・
 彼の父親のトラウマについて責めを負うべき誰かを探した挙句、彼は米太平洋艦隊司令官兼太平洋方面最高司令官のチェスター・ニミッツと彼の「手下」のアーネスト・キング(Ernest King)海軍元帥<(注3)>が人命を尊重しなかった、と宣言する。

 (注3)1878〜1956年。米海兵卒。「第二次世界大戦中は海軍制服軍人のトップである合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長として戦略指導を行い、太平洋艦隊司令・・・官チェスター・ニミッツの直属上官だった。・・・<少尉候補生当時の1901年、訪問した日本でスリにあい、後払いで汽車に乗ろうとして駅員に拒否されたことを根に持ち、後に、>「・・・私に日本人の二つの特性を教えてくれた。ひとつは、財布をうばうのに暴力よりはスキをねらう技術を重視するということであり、もうひとつは、駅員の態度が象徴している如く、相手の不利に容赦しないということだ。この二つの特性が軍事面に発揮されれば、日本の戦争のやり方が、奇襲とあらゆる方向への前進基地推進を基本にすることは、容易に想像できるはずだ」<と日本によるフィリピンやハワイ奇襲攻撃を予想している。なお、彼は英国にも好印象を持っていなかった。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

 アーネスト・キングは人命を軽視した。
 <他方、>ダグラス・マッカーサー大将と彼の部隊は、異なった諸戦術を用いることによって死傷者をより少なくしか出さなかった、と著者は信じている。
 <しかし、>実際には、マッカーサーによる太平洋での死傷者数は、米海兵隊によるものに匹敵しているのだ。
 沖縄での肉ミンチ<的作戦>について責めを負わせるべき者がいたとするならば、それはニミッツではなく、陸上での諸作戦の指揮をとった米陸軍大将のサイモン・ボリバー・バックナー・ジュニア(Simon Bolivar Buckner Jr.)<(注4)>であり、海軍及び海兵隊の司令官達は、損害を顧みずに前進したことについて彼を非難したものだ。
 マハリッジは、日本陸軍のニヒリズムを直視することについても拒否している。

 (注4)1886〜45年6月18日。米陸士卒。「沖縄戦において・・・陸軍と海兵隊の混成部隊<指揮中>・・・戦死。<米>軍において、これは第二次世界大戦で最高位の階級(中将)で戦死した軍人であり、また現在においても唯一の存在である。<死後大将に昇任。>・・・バックナーは日本陸軍に識別されており、・・・帝国陸軍野戦重砲兵第1連隊第2大隊の九六式十五糎榴弾砲が放った砲弾がバックナーの居た観測所の真上で炸裂し、えぐられた岩片が胸部に当たり10分後に絶命<した。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BBB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2

 驚くべきことに、彼は、帝国日本の兵士達が死ぬまで戦ったというのは「米軍部によって広められた神話」である、と主張する。
 このナンセンスの塊に、それまでずっと怪物的であるとされてきたところの、日本兵の狂信は、彼が言うところの、米軍の司令官達が<日本兵の>捕虜をとらないことし、それによって東京に至るまで戦い抜く口実を米国に与えたことによって生じた、という彼の観念が加わる。
 著者は<また>、「仮にその目的に向けて真剣な努力が払われていたならば」日本は降伏を受け入れていたはずである、と推測する米国政府の社会科学者達と同じ意見だ。
 <しかし、>沖縄を取ったところの、彼の父親とその他の海兵隊達、及び兵士達は、かかる<日本に対する>説得の極めて真剣な試みの一環としてそれを行ったことに彼は気付いていないように見える。
 彼より優れた著作家であるところの、マックス・ヘースティングス(Max Hastings)<(コラム#590、1533、2127、3334、3509、4872、5288)>や故W・G・ゼーバルト(W.G. Sebald)<(注5)>等は、枢軸諸大国に対する連合国の行いは、ヒットラーと東条の軍要員に係る死の礼賛(cult)に基づく諸活動によって形成されたという考えを抱いてきた。
 このことを明らかにマハリッジ氏は見逃している。

 (注5)1944〜2001年。フライブルグ大卒。「ドイツ出身の小説家。写真やイラストなどを組み合わせた、小説とも随筆とも言えるような独特の散文作品で知られる。若くして<英国>に移住したが、創作は一貫して19世紀の古典を意識したドイツ語で行った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/W%E3%83%BBG%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
 彼が中心的テーマとしたのは、「第二次世界大戦のトラウマとそれがドイツ国民に与えた影響」だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/W._G._Sebald

→ヘースティングスについては、恐らく日本に対する偏見に基づき、事実の選択や解釈が恣意的な太平洋戦史を書いてきた、というのが随所で指摘したところの、私の見解であり、少なくともその限りにおいては、マハリッジ「より優れた著作家」であるとは到底言えそうもありません。
 いずれにせよ、この書評子の言っていることは、対ドイツ軍と対日本軍とで、米軍の捕虜対策が対照的であった・・前者についてはきちんと捕虜をとった・・ことに照らし、ナンセンスです。(太田)

 <とにかく、>著者は、戦争を、要するに、どちら側が正誤ということのない、環境的大災厄であると考えているのだ。」(A)

→前にも記したように、日本を一方的に悪者視してきたこれまでの米国でのコンセンサスに反逆し、ここまで踏み込んだ結論を下しただけでも、我々としては、マハリッジを高く評価すべきでしょう。(太田)

(続く)