太田述正コラム#6126(2013.4.4)
<第一次世界大戦の起源(その7)>(2013.7.20公開)

 (5)オーストリア

 「クラークは、彼が民族横断的なEUの先駆形態と見ているところの、オーストリア・ハンガリーに対しては同情的だ。
 他方、セルビアはならず者国家なのであって、それに対してウィーンが自らを守ろうとしたのは正当化できる、と彼は考えている。
 彼は、ドイツについては多くを語らないが、ロシアとフランスについては、この両国がセルビアを守ったために力の均衡を崩したという枠組みの中にしっかりと位置付ける。」(G)
 
 「ひどい皮肉というものだが、サラエボにおける犠牲者となったフランツ・フェルディナンドは、クラークの言葉によれば、欧州の「平和の最善の希望」だった。
 彼は、取り立てて愛すべき人物でこそなかったけれど、明敏であり断固として戦争に反対していた。」(B)

 「サラエボ<事件>に係るセルビアの共犯性についてのオーストリアの主張は、(セルビアの無実性についての「ロシアによる対抗物語」によってなお彩られている歴史書群からはそうであると推測することは全くできないけれど、)その本質において正しいと指摘する。
 彼は、フランスとロシアが、最後通牒<がオーストリアによって発せられたこと>について知った時に「衝撃を受けた」という流言を退ける。
 両国とも、何日も前からそれが発せられることを知っていたのであり、だからこそ、この両国は対応を調整していたのだ。
 オーストリアの「峻厳であった(draconian)」と想像されるところの最後通牒は、1999年のコソボ戦争の前にNATOがベオグラードに対して与えた最後通牒に比してはるかに厳しく(harsh)ないことをクラークは示す。
 そして、セルビアの返答は全くもって懐柔的ではなく、(ロシアは既に戦争になった場合に支援すると約束していたところ、)フランスと英国に感銘を与えるべく企図されていたところの、「たっぷりと香水が振りかけられた拒絶」だったのだ。」(D)

 (6)ドイツ

 「<フランツ・フェルディナンド大公の>偉大なる友人であったドイツの皇帝ウィルヘルムは、通常<彼に対して>与えられてきたものよりも高い称賛が与えられる。
 彼は、欧州紛争を回避するために彼なりに最善を尽くしたように思われる、というのだ。」(B)

 「ほんのちょっと物思いに耽りつつ(wistfully)のように私は感じたが、クラークは、それが成功する可能性は皆無であったことを認めながら、ティルピッツ(Tirpitz)<(注21)>によるところの、ドイツの外洋艦隊の攻撃的拡大の肩さえ持つ。」(E)

 (注21)Alfred Peter Friedrich von Tirpitz(1849〜1930年)。キール海兵卒。海軍元帥。「1897年から1916年まで海軍大臣として、ドイツ海軍の拡張を推進した。・・・<この、いわゆる>ティルピッツ計画は、1898年、1900年、1908年および1912年の艦隊法として実現された。こうして第一次世界大戦の始まる1914年までにドイツ海軍はイギリス海軍の6割の戦力を有する世界第二位の海軍にまで成長した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%84

→そろそろ一言。
 ここまで、日本と米国への言及が全くなかったことにお気付きのことと思います。
 クラークは第一次世界大戦の「起源」について論じているので、この大戦に後から加わった日本と米国への言及がないのは当たり前だ、ということには必ずしもなりません。
 米国についてはともかくとして、後でまた触れたいと思いますが、(ロシアのバルカン半島への進出という側面のあった)バルカン諸戦争(1912〜13年)に言及しつつ、それに先行したところの、伊土戦争(1911〜12年)やセルビアでのクーデタ(1903年)などの(あえて言えば)枝葉末節的諸事件に言及しつつ、(ロシアの北東アジアへの進出を挫折させた)日露戦争(1904〜05年)への言及が全くないのはいかがなものか、ということです。
 換言すれば、その「起源」においても、第一次世界大戦は、「世界」大戦だったのであって、「欧州」大戦ではなかったのではないか、・・そもそも、ロシアは当時も今も欧州とアジアにまたがる帝国であり、英国もまた当時は世界帝国だったではないか・・それなのに、クラークには英国の首都の庭先までしか目に入らないようで困ったものだ、ということです。
 このクラークの「近眼」ぶりはかなり致命的なのであり、このことは、(書評の範囲では余り出てこない)ロシアのこの大戦への関わり方の評価に大きく影響するだけでなく、(これから出てきますが、)英国のこの大戦への関わり方の評価に、一層大きく影響することなのです。
 さて、以上は以上として、セルビア、ひいてはセルビアに与したロシア、フランス、英国に批判的で、オーストリア、ドイツに同情的なクラークの論調は斬新であり、啓蒙的である、と申し上げておきましょう。 

(続く)