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太田述正コラム#6112(2013.3.28)
<第一次世界大戦の起源(その1)>(2013.7.13公開)

1 始めに

 二つのシリーズが走っている時に、更に三番目のシリーズを立ち上げるなんて、とお叱りを受けそうですが、クリストファー・クラーク(Christopher Clark)の『夢遊病者達:欧州はどのように1914年に戦争に突入したのか(The Sleepwalkers--How Europe went to War in 1914)』のさわりを書評をもとにご紹介し、私のコメントを付そうと思い立ちました。

A:http://online.wsj.com/article/SB10001424127887324532004578358561485339922.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
(3月23日アクセス。書評(以下同じ))
B:http://www.dailymail.co.uk/home/books/article-2231691/The-Sleepwalkers-Christopher-Clark-book-review-History-again.html
(3月25日アクセス(以下同じ))
C:http://www.timeshighereducation.co.uk/421230.article
D:http://www.historytoday.com/blog/2012/11/sleepwalkers-how-europe-went-war-1914
E:http://blogs.spectator.co.uk/books/2012/09/lets-not-be-beastly-to-the-germans/
F:http://bostonglobe.com/arts/books/2013/03/23/book-review-the-sleepwalkers-christopher-clark/x5kYHsIUqcQ3sMAMty7q4I/story.html
G:http://www.irishtimes.com/culture/books/the-path-to-catastrophe-1.555467
H:http://www.foreignaffairs.com/articles/138922/christopher-clark/the-sleepwalkers
I:http://www.publishersweekly.com/978-0-06-114665-7
J:http://www.forumeerstewereldoorlog.nl/viewtopic.php?p=384594&sid=e44a12247afdd81899522be6a433dfbd-how-europe-went-to-war-in-1914

 ここで、例によって、書評も無料公開していない、サンデータイムス紙
http://www.thesundaytimes.co.uk/sto/culture/books/non_fiction/article1123826.ece
に対し、遺憾の意を表しておきます。
 なお、クラークは、豪州生まれの歴史家であり、シドニーとベルリンで学んだ後、ケンブリッジ大学で博士号を取り、現在同大学の近代欧州史の教授をしています。(C)
 彼がこれまで書いた本の中には、プロイセンの歴史を扱った『鉄の王国(Iron Kingdom)』があります。(A)

 ネタバレながら、読まされる皆さんにとっての交通整理の意味で申し上げておきますが、同時並行的に走ることになったこの3本のシリーズは、立ち上がった順序で行くと、それぞれ、米国社会の利己主義性と日本社会の人間主義性(をそれぞれ担保しているところの映画等の米日のメディア)、第二次世界大戦に見る米国の後進性・野蛮性、そして、第一次世界大戦に見る英国の矮小化、であり、私の頭の中では、互いに密接に関連しあっています。

2 第一次世界大戦の起源

 (1)第一次世界大戦の起源に関するこれまでの議論のまとめ

 「・・・<第一次世界大戦に>勝利した連合諸国は、中央諸大国(Central Powers)、とりわけドイツが<戦争>責任を認めなければならないと執拗に求め、爾来、ドイツの罪という前提は拭われることなく歴史的叙述の中に織り込まれてきた。
 これは、果たして公正であると言えるのだろうか。
 クリストファー・クラークは、そうは考えず、第一次世界大戦の諸原因についてのまことに見事な説明を紡ぎ出すのだが、それは極めて説得力があるので、これまでの歴史学上の<上記の>コンセンサスは間違いなくゴミ箱入りになることだろう。・・・
 <ちなみに、>英国の歴史家のA.J.P. テイラー(Taylor)<(注1)>は、その後少し経ってからバーバラ・タックマン(Barbara Tuchman)<(注2)>によって支持されるのだが、第一次世界大戦は、硬直化したところの、諸計画、鉄道運行表、そして条約上の諸約束、の結果であって、要は、それは一旦動き出したら基本的に止めることができない事象の連鎖の終着点だった、と主張したものだ。

 (注1)1906〜90年。英国の歴史家。オックスフォード大卒。マンチェスター大学講師を経てオックスフォード大教授。「1961年に公刊された『第二次世界大戦の起源』では、ナチス・ドイツの総統であったアドルフ・ヒトラーの評価を巡って大きな論争が持ち上がった。テイラーはこの著書において、ヒトラーは従来のドイツの指導者と同様に、自国の国力に見あう地位を手に入れようと行動しただけであり、第二次世界大戦の原因は西側諸国の拙劣な外交の失敗が主因であると説いている。またニュルンベルク裁判などにおいて取り上げられたドイツによる周辺諸国侵略の計画性についても、<英国>が自身の失敗を覆い隠すために誇大に取り上げたにすぎないとしている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E3%83%BBJ%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC
 (注2)1912〜89年。ラドクリフ単科大学卒。米国の歴史家・著述家。二度ピュリッツァー賞受賞。プレ第一次世界大戦期と同大戦勃発後の一か月間を描いた1962年公刊の『The Guns of August 』(後に『August 1914』に改題)で有名。
http://en.wikipedia.org/wiki/Barbara_W._Tuchman

 <ところが、>1960年代に、ドイツの歴史家のフリッツ・フィッシャー(Fritz Fischer)<(注3)>は、ドイツ人達が脅威であると感じていたところの包囲網から抜け出すために、ドイツは、1914年6月に起こったオーストリアのフランツ・フェルディナンド大公の暗殺及びそれに続いて起こったバルカン危機という機会に飛びついてこの戦争に参戦した、と主張し、<再び、>ドイツに的を絞った告発を行った。

 (注3)1908〜99年。ドイツの歴史家。ベルリン大学等に学び、ベルリン大学で神学修士。「1939年にナチ党に入党したが、1942年に離党している。・・・フィッシャーは、ルター派教会があまりにも長い間、神が承認した無謬の体制として国家を讃美してきたことが、国家社会主義への道を整えたのだと主張した。フィッシャーは、当時のドイツで広く行われていた、ナチス・ドイツをヴェルサイユ条約の帰結であるとする議論を一蹴し、ナチス・ドイツの起源は1914年よりさらに遡るものであり、ドイツの権力エリートの長年にわたる野望の結果である、と論じた。・・・<そして、第一次世界大戦についても、>、ドイツ帝国は、国内における民主化の要求の高まりから危機的状況となっており、国外への攻撃的な拡張主義政策によって民主化闘争から民心を離れさせることを<も目論みつつ、>・・・世界強国となることを目指して・・・意図的に引き起こしたのだと主張し・・・た。<こうして、>1914年夏のフランツ・フェルディナント大公暗殺によって生じた危機をドイツ帝国政府が意図的、意識的に利用し、既に策定されていた対仏・露戦争の計画を実施して、ドイツ支配下の「中央ヨーロッパ (Mitteleuropa)」、ドイツ支配下の「中央アフリカ (Mittelafrika)」を実現しようとしたのだ、と論じた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC_(%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E8%80%85)

 フィッシャーの見解では、ドイツ人達は、産業化のとば口に差し掛かっていて次第に強くなってきていたフランスとロシアの邪魔をするために短期間の戦争を追求し(、かつ挑発し)たのだ。
 他の歴史家達・・ドイツの学者達だけではない・・は、すぐにフィッシャーの見解に反論を加えた。
 フィッシャーの<歴史>解釈は、実のところ、<ドイツのナショナリズム>がナチズムの勃興を先取りしたところのその初期諸形態<であること>を暴露したいがために、このドイツのナショナリズムを悪魔視しようとする試みである、と彼らは考えたのだ。
 <そこに、ついに我らがクラークが登場した、というわけだ。>」(A)

(続く)

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