太田述正コラム#6096(2013.3.20)
<映画評論37:ゼロ・ダーク・サーティ(その6)>(2013.7.5公開)

 (2)フェミニズム

 ビグローが2010年にアカデミー監督賞を授与された時に、英オブザーバー紙に女性コラムニストが次のように書きました。

 「アカデミー賞の監督賞が<ビグローという>女性に与えられたのが1974年に起こっていたならば、祝うべき価値のある瞬間だったろう。
 しかし、これは2010年だ。
 それは、アカデミー賞創設82周年だ。
 なんて恥ずかしいことだろう。・・・
 (やりきれないのは、他の分野において、既に一人の女性国務長官と黒人との混血の大統領が出現していたというのに、)ハリウッドが全く変わっていなかったことだ。」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/mar/14/kathryn-bigelow-hollywood-film

 当然、事態はその3年後の現在でも変わっていないようです。
 下掲は、今年のアカデミー賞の候補作が発表された直後の記事です。

 「<書いた脚本がいくつも映画化されているブレット・イーストン・エリス(Bret Easton Ellis)は、次のように書いた。>・・・
 2012年<に、>・・・映画という媒体それ自体が、思うに、男性の視線(gaze)を必要とする何物かがある。
 我々<男性>は鑑賞し、見ることによって刺激されるが、その造りがゆえに、女性は映画に対してかかる反応をするとは、私には思えない。・・・
 映画の事業としての側面はさておき、女のヒッチコックも女のスコセッシも女のスピルバーグもいないのには理由があるのだろうか?
 私には分からない。
 <ただ、>私は、映画は、本当に、男性の視線と男性の感受性(sensibility)が要求される(built for)媒体だと思う。
 つまり、最良の芸術(art)は、女性の監督達にとっては罠になりうるところの、感情主義(emotionalism)の類に対する無関心ならぬ中立性の下で作られる、と思うのだ。
 しかし、私は、皆さんに倣って、この考えを克服しなければいけないのだろう。
 というのも、今年に関して言えば、私の好みの映画のうち2本・・・は女性によって作られたからだ。
 だから、考え直し始めなければならないのだが、私がどうしても言いたいのは、昨年見た、女性が監督をした大映画会社の映画の多くは、男性が監督をした、くそったれの大予算のスタジオ映画群よりもはるかに出来が悪かったということだ。・・・
 <この>エリスが、『ゼロ・ダーク・サーティ』の監督のキャスリン・ビルゴーを一連のツイッターでもってやっつけた(zipped)。
 エリスは、「キャスリン・ビグローは、彼女が男性であったならば、並に(mildly)面白い映画制作者とみなされていただろうが、彼女が極めて魅力的な(hot)女性なので、彼女は本当に過大評価されている」とツイートした。
 彼は、こうもツイートした。
 「『ゼロ・ダーク・サーティ』は、評論家賞をとるかもしれないが、『世界に一つのプレイブック(Silver Linings Playbook)』が作品賞をとるだろう。
 <評論家賞にも値しないと自分は思うが、>こういうことはままあることだ。
 『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日(Strange Days)』、『K-19(K-19: The Widowmaker)』、『ブルースチール(Blue Steel)』、『ハート・ロッカー(The Hurt Locker)』<という彼女が監督をした作品群。>
 我々は、先見性のある映画制作か、ぎりぎりセーフのゴミについて語っているのか?」と。
 彼の言っていることには一理がある。
 ビグローは『ハート・ロッカー』を監督したことに対してオスカーをとったところ、この映画はプロフェッショナルな仕上がりだが、要するに、同じ場面が何度も何度も繰り返された代物だ。」
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:Y_usQuM2WB8J:www.nothingbuttruth.com/breitbart/5177-bret-easton-ellis-calls-kathryn-bigelow-overrated-because-she-s-hot+&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

 このコラムニストのようにエリスを擁護した人は圧倒的少数であり、エリスのツイッターは批判の嵐に晒されます。
 やむなくエリスは次のような弁明をする羽目になります。

 「<エリス>は、「膣洗浄器の域を超えて(beyond douchiness)大事な部分に入り込み過ぎた」と主張してビグローに謝罪した。・・・
 非難への言い訳として、エリスは、「白人、男性、異性愛者でない映画制作者に対し、また、自分がどうすることもできないことで外様のように感じている人に対し、そしてまた、まさにこういったことのためにいじめられてきた人に対して、私はもっと配慮すべきだった」と記した。
 更に、<エリス>は、自分がしばしば、「ウィスキーやワインを何杯かひっかけてから」ツイートするものだから、「偶然性と若気の至りとアルコールが一つ一つのツィートに反映される<ことがある>」とも。」
http://www.aceshowbiz.com/news/view/00056466.html

 アカデミー賞の結果はご承知の通りであり、『ゼロ・ダーク・サーティ』は、(監督賞候補にこそ指名されなかったものの、)作品賞、主演女優賞等5賞の候補に指名されたけれど、サウンドトラック賞受賞だけに終わりました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Zero_Dark_Thirty
 その理由についての、米国の女性知識人の間の最大公約数的なものは、まだ受賞作品決定前の、しかも監督賞候補に指名されなかった理由に係るコラムですが、下掲の通りです。
 なお、このコラムは、大統領候補として、最初にオバマと一戦を交えて敗北した、マケイン米上院議員(共和党)の娘さんが書いたものです。

 「<『ゼロ・ダーク・サーティ』が監督賞に指名されなかったことについて、>私が個人的に抱いた疑い・・これは私だけではない・・は、この映画のビグローによる拷問の描写が指名を妨げたというものだ。
 封切り後、『ゼロ・ダーク・サーティ』はオサマ・ビンラディンの発見へと導いたのが拷問であったことを示唆していると若干の人が信じる、議論を巻き起こした拷問の諸場面が批判を受けた。
 他の人々は、彼女が女性だからだと信じている。・・・
 どちらにせよ、このこの特定のシナリオは、我々が政治において見ているところのものと整合性がある。
 すなわち、<アカデミー賞の審査員たる>白人の男達は、彼らの保守的な諸見解を脅かす何物をも考慮することを拒否するけれど、女性達を貶める(marginalize)諸論点に関して<是と>一票を投じることは全く意に介しない、ということだ。」
http://mccainblogette.com/blog/post/kathryn-bigelow-zero-dark-thirty-oscars-2013
 私自身の見解は、『ハート・ロッカー』に関しては、おおむね、エリスや、エリスのツイッターを紹介した男性のコラムニストと同じです。
 そのこともあって、私は、TVで鑑賞した、この映画の評論を書かなかったのです。
 しかし、作品賞や監督賞、というか、一年間の米国映画中の最優秀作品には値しなくても、女性の監督に対して、逆差別であれ何であれ、とにかく、一定水準以上に達している作品に関して一度はこれらの賞を授与すべきだったのであり、遅きに失した以上、当時の審査員達が『ハート・ロッカー』に授賞したのは正解だったのです。
 だからこそ、今度は、批判的精神の欠如した『アルゴ』に授賞するくらいなら、同じく、米国政府の職員の活躍を描きつつも、批判的精神が横溢したところの、文字通り最優秀作品の名に恥じない作品である『ゼロ・ダーク・サーティ』・・3年前に最優秀賞を受賞したことがビグローを一回り大きく成長させた証(あかし)たる作品・・に授賞すべきだったのです。

 批判的精神の横溢とは何か?
 一つは、米国政府が、対テロ戦争中に直接的間接的に行ってきた拷問への批判であり、もう一つは、米国における(自らに対するものを含めた)女性に対する差別への批判です。

 この映画の主演女優のチャスティンは、「戦場でサングラスをかけて男たちを指揮するマヤは、この映画を作ったビグロー監督に似てませんか?」という問いに対して、「そう、二人は共通する部分が多いと思うわ。男ばかりの職場で女性であることと無関係に才能を発揮しているところがね。」(この映画のパンフレット)と答えていますが、この答えに関しては、まさしくその通りです。
 ビグローは、あえて女性を主人公に据えることで、米国においても依然として強く残っているところの、女性差別に抗議するとともに、そのような環境下にある女性達に勇気を与えようとしているのです。

3 終わりに代えて

 「CIAでは、・・・高校や大学で優れた成績をあげた生徒や学生に奨学金などを給付。卒業後、CIAに就職させて実際のアナライズの現場に身を置かせ、さらに才能に磨きをかけさせる、いわゆる「青田買い」と「内部教育」という方法がある。ただし高校で才能を見出された生徒は、原則として大学や専門教育機関で学んでからCIA局員に迎えられるが、マヤはまさにこのコースを歩んできたと思われる。」と白石光が書いています。(この映画のパンフレット)

 高卒のCIA工作員が、具体的にどのような「大学や専門教育機関」で何を学ぶのか、私は、大変興味を覚えたのですが、深入りしないことにしました。

(完)