太田述正コラム#6044(2013.2.22)
<愛について(その2)>(2013.6.9公開)

 (2)欧米における「愛」の後半史

 「メイは、ヘブライ聖書の中の神と汝の隣人を愛せという命令、プラトンの美と善の至高の諸価値への経路としての愛の称揚、及び、キリスト教におけるこの二つのアプローチの総合、<についての記述>から<この本を>始める。
 次いで、宗教の漸次的没落、そして、神がかつて屹立していたところの空虚を埋めるための愛を求めて浪漫主義の勃興が始まり、と続くが、メイは、いかにしばしば、ショーペンハウエルやプルースト等の無神論者達が、彼らの世俗的な愛に罪の贖い(redemption)という疑似宗教的感覚を付与したかを、すぐに指摘する。」(E)

 「<この本>の中で、メイは、今日のような、愛を無私、無条件、かつ全てのものに対して開かれたものとする見解は、次第に世俗化する世界の中における何か聖なるものへの希求(need)の産物である、と主張する。
 それは、我々の道徳的価値の探求において一つの鍵となる役割を演じるのであって、「崩れつつあり、かつ精神的に不十分な集団的アイデンティティの只中において、真正なる(authentic)存在に我々一人一人がなることを可能にする」、と。」(D)

 「早くも1939年に、ドニ・ド・ルージュモン(Denis de Rougemont)<(注9)>は、彼の『愛と欧米世界(Love in the Western World)』の中で、全身全霊的(all-consuming)な人間の愛という近代的概念の起源は、彼らにとっての<愛を捧げる対象たる>(通常既婚の)ご婦人方を褒め称えたところの、12世紀のオクシタン<(注10)>の(Occitanian)の叙情詩人(トルバドゥール)達によって作られた抒情詩であるとした。

 (注9)1906〜85年。スイスの作家・哲学者。スイスのヌーシャテル大卒。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Denis_de_Rougemont

 (注10)「南フランスを中心とした一帯のうちオック語が話される地域の名称・・・12世紀から13世紀、トルバドゥール達が宮廷恋愛を詠うようになり、オック語はヨーロッパ全土に広まった。・・・1999年の統計によればオクシタニアの1400万から1500万人の人口のうちオック語を母語とするのは600万人とされる」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%A2

 叙情詩人達によるところの、愛した相手及び愛する情熱(amorous passion)の理想化それ自体が、数世紀後の浪漫主義的感受性を鼓吹するのに資した。」(F)

 「1327年4月6日の夜明け前、アヴィニョン(Avignon)のサン・クレール(St Clare)教会の中で、フランチェスコ・ペトラルカ(Francesco Petrarch)<(注11)>がラウラ(Laura)を初めて見たのかそうでなかったのかは定かではない。

 (注11)1304〜74年。「イタリアの詩人・学者・人文主義者。・・・イタリアのアレッツォ生まれ。フランチェスコの父・・・はダンテとも政治的に繋がりのある人物で、グェルフィ党(教皇党)白派に属したが、黒派との政争に敗れ、フィレンツェを追放された亡命者であった。一家は1309年に<フランスの>アヴィニョンに居を移したローマ教皇クレメンス5世に従い、1311年フランス・・・に移転。その後、モンペリエ大学・・・、ボローニャ大学・・・で法学を修めた。・・・1326年に・・・<彼は、>教皇庁のあるアヴィニョンへ戻<った。>・・・ペトラルカの作品で、もっとも知られる作品はラウラと呼ばれる女性へ捧げられた一連の恋愛抒情詩群である。これは『カンツォニエーレ』(Canzoniere, 歌の本)と題された詩集にまとめられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%82%AB

 彼女は、肌は「何年にもわたって太陽にあたっておらず、雪よりも白く冷たく」、黄金の髪と黒い瞳を持っていた。
 我々は、ラウラが本当に存在したのか確かなことは知らない。
 ペトラルカの同時代人の若干は、彼女が単に象徴で口実であると考えたが、彼のヴェルギリウスの蔵書の見返しには、彼女を初めて瞥見した日付だけでなく、その20年後に彼女がペストで死んだことを聞いたということも記されている。
 そしてふと口に出た一言的に、彼女は、結婚し、長年出産を重ねたことで疲れ果ててしまったのかもしれない、とも記されている。
 いずれにせよ、このアヴィニョンにおける邂逅の瞬間から、それが神話であれ実話であれ、リーメ・スパルセ(Rime Sparse(散韻文)=Canzoniere)への霊感が流れ出、ペトラルカのラウラへの寄る辺なき愛、彼の夢想と欲望、彼の興奮したり醒めたりする感覚、彼の自分の老化への狼狽とラウラの死に対する嘆息、そして、彼女への賛辞(tribute)をひねり出した(forged)ところの彼の詩作が、それに続く4分の1世紀、紡がれ続けることになった。
 これらの詩の中では、ラウラの夫や子供達への言及はない。
 愛している者と彼によって愛された者との間で実際には何も起こらない。
 彼が描写する何回かの<彼女との>逢瀬は、幻想の中、書き物それ自体の中、にだけ存在する。
 成就は、366番目にして最後の詩の終わり頃までとっておかれる。
 そこでは、処女のラウラという観念が処女たるマリアへの讃嘆と相交わる。」(G)

(続く)