太田述正コラム#6030(2013.2.15)
<芸術と科学(その2)>(2013.6.2公開)

2 芸術と科学

 (1)序

 「何かただならぬことがウィーンで1890年から1918年の間に起きていた。
 我々が思っているよりもはるかに、欧米文化を形成することに預かった何かが・・。
 芸術家、作家、思想家、そして、生物学、医学、精神分析の科学者、が定期的に接触し、彼らの相互作用の過程の中で、現代の芸術と科学の<新しい>道が切り開かれたのだ。」(C)

 「ウィーン大学医学部は、真実は表面の奥に隠されて横たわっている、と気付いたことで、この道の先頭に立った。
 この原理が、1900年にウィーンの文化を浸し、ウィーンの他のパイオニア達に強く影響を与えた。
 ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)<(コラム#368、496、1122、2874、3318)>は、我々の日常的な無意識の攻撃的かつ性的な欲望が、いかに、抑圧され、シンボル、夢、そしてふるまいにおいて変装の下で立ち現われるかについての諸洞察でもって、世界に衝撃を与えた。
 <また、>アルトゥル・シュニッツラー(Arthur Schnitzler)<(注1)>は、小説群の中で、内的告白の革新的使用を通じて、女性の無意識的な性<欲望>を暴露した。

 (注1)1862〜1931年。ウィーン大学医学部卒。医学博士。「オーストリアの医者、小説家、劇作家。ユダヤ系(ただしキリスト教徒)。」映画化された作品に、『輪舞』(2度。原典 Reigen)、『アイズ ワイズ シャット』(原典 Traumnovelle)等がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%A9%E3%83%BC

 <更に、>グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)<(コラム#3318、3761、4670)>、オスカー・ココシュカ(Oscar Kokoschka)<注2)>、そしてエゴン・シーレ(Egon Schiele)<(注3)>は、無意識の性欲、欲望、不安、そして死への恐怖を表現したところの、驚くほど喚情的で率直な肖像画群を創造した。」(E)

 (注2)1886〜1990年。オーストリアの画家。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%AB
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%AB&hl=ja&tbo=u&tbm=isch&source=univ&sa=X&ei=fvodUbqeN6KhmQWlo4CADQ&ved=0CDgQsAQ&biw=1920&bih=955 ←作品
 (注3)1890〜1918年。オーストリアの画家。「グスタフ・クリムトと同じウィーン工芸学校・・・に学んだ。・・・クリムトがそのまま職工として開業したのに対し、・・・<彼は、>ウィーン美術アカデミーへ更に進学した・・・。因みに同年には一歳年上であったアドルフ・ヒトラーが不合格となっており、その後も試験に落ち続けた経験から退廃芸術展など美術界への復讐を行う事になる。ヒトラーにとっては一生の羨望となるウィーン美術アカデミーもシーレにとっては失望の場でしかな<く、>・・・シーレは・・・工芸学校時代の先輩であるグスタフ・クリムトに弟子入り<する>。・・・シーレの「二十代で早世した天才画家」というイメージは1980年にジェーン・バーキンが主演した映画『エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々・・・』で広く認知された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%AC

 (2)クリムト

 「欧州の多くの都市で特徴的なことは、ご婦人方・・それはしばしばユダヤ系のご婦人方だった・・が、サロンを運営し、芸術家、作家、科学者、実業家、政治家といったあらゆる分野の人々を一緒に集めて、お茶とケーキでもって集会を開いて互いに話をさせたことだ。・・・
 フロイトは、ご存知のように、明確にリーダーだったのであり、彼は精神についての一貫した理論を概成したが、これは、真に極めて興味深いものがあり、独自性があって、かつ魅惑的ではあったけれど、<彼は、>若干の事柄については取り扱っていなかった。
 彼は、女性の性的欲望については余り多くを知らなかったのだ。
 しかし、シュニッツラーとクリムトは<それについて>莫大なことを知っていた。・・・
 ・・・クリムトは、ツッカーカンドル(Zuckerkandl)のサロンに赴き、<主宰者たる>ベルタ(Berta)・ツッカーカンドルの夫のエーミール(Emil)・ツッカーカンドル<(注4)>を通じて、生物学に魅了された。

 (注4)1849〜1910年。「ハンガリー出身のオーストリアの解剖学者、医師。1882年からグラーツ大学、1888年からウィーン大学で解剖学の教授を務めた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%84%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB

 <こうして、>彼は、ダーウィンを読み始めた。
 彼の図書室にはダーウィンの本のコレクションがある。
 <また、>彼は、顕微鏡を覗いた。
 こうして、彼は精子と卵子の違いを<自分の目で>見た。
 彼は、展示や解剖<を見>に出かけた。
 そして、彼は、・・・これらの生物学上の諸テーマを彼の芸術作品に組み入れたのだ。・・・
 ・・・クリムト・・・は、絵の中で、女性が自慰しているところを描いた。
 男を必要とすることなく、彼女達は自分達自身の夢想に耽ることができるのだ。
 欧米の芸術作品における歴史上の裸体画は、通常、神話上の女性を取り上げてきた。
 ご存知のように、ヴィーナスとかその類が、鑑賞者を見つめているが、それはあたかも、見る者を満足させえてのみ自分達自身が満足できるかのようだ。
 しかも、彼女は、裸体ではあるが、性器を手で覆っており、これは慎ましやかなのか、それともオナニーをしているのか、鑑賞者には分からない。
 クリムトの<絵の>場合、何が行われているかについて、疑問の余地は皆無だ。
 ただし、それは、優雅な、非ポルノ的流儀で行われている。・・・
 クリムトは、一旦女性の性的欲望を解放したら、ある意味では、彼女達の攻撃性をも解放することになることを知っていた。
 また、この二つが融合しうることも・・。
 その彼には、ユディトとホロフェルネス<(注5)>についての素晴らしい絵がある。
 ユディトはユダヤ人の女性たる英雄であり、包囲するに至ったホロフェルネスから人々を救うため、彼を酔わせ、誘惑し、泥酔状態の彼の首を斬り落とす。

 (注5)「旧約聖書外典の1つである『ユディト記』に登場する<物語。>・・・アッシリアの王ネブカドネツァルはメディア王との戦いにおいて自分に協力しなかった諸民族を攻撃するため、司令官ホロフェルネスを派遣する。ホロフェルネスは軍勢をひきいてユダヤへやってくるとベトリアという町を囲んだ。水源をたたれたため町の指導者・・・は降伏を決意するが、ベトリアにすんでいた・・・寡婦・・・ユディトは・・・ホロフェルネスのもとへ向かう。エルサレム進軍の道案内を申し出た美しいユディトをホロフェルネスは喜んで迎えた。・・・四日目にホロフェルネスは酒宴にユディトを呼び出した。ホロフェルネスは泥酔し、やがて天幕のうちにユディトは眠るホロフェルネスと二人だけで残された。ユディトは眠っていたホロフェルネスの短剣をとって彼の首を切り落とした。ユディトは・・・首を携えてベトリアの町へ戻り、事の次第を報告した。やがて、司令官殺害は包囲軍の知るところになり、激しい動揺を引き起こす。ユダヤ人はこの機会を逃さず、出撃し、敗走するアッシリア軍を打ち破った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%88

 ご存知のように、この物語についてのそれまでのいくつもの絵画においては、ユディトという若き未亡人で、極めて慎ましやかな女性が、これを英雄的に(out of heroism)やってのけたことに対し、<画家が>怖れ慄いている<感じを受ける。>
 しかし、クリムトの絵では、<彼女は>乱痴気騒ぎが終わった段階(post-orgiastic phase)にある。
 彼女は、首を愛撫している。
 <そして、>彼女は、美しく優雅なガウンを身に纏っている。
 そこには、未亡人的なものも慎ましやかなものも全くないのだ。<(注6)>」(D)

 (注6)例えば、1598〜1599年頃のカラヴァッジョ(Caravaggio)の作品と、1901年のクリムトの作品
http://en.wikipedia.org/wiki/Judith_Beheading_Holofernes
とを比較してみよ。

(続く)