太田述正コラム#6016(2013.2.8)
<エリザベス1世の時代(その4)>(2013.5.26公開)

 (4)イギリス側の対抗工作(各論)

 「エリザベス期のスパイ達は、その場限りで雇われ、成果払いだったが、この方法では、恐ろしく誇張された怖い諸話が不可避的に生み出された。
 <とはいえ、>若干の工作員達は高度に熟達した人物だった。
 例えば、トーマス・フェリップス(Thomas Phelippes)<(注8)>は、練達の語学者にして数学者にして暗号専門家だった。

 (注8)1556〜1625年。エリザベスに対する策謀家達の暗号解読に活躍。スコットランド「女王」メアリーからアンソニー・バビントン(前出)宛ての手紙に、エリザベス暗殺計画に関与している者の名前を教えて欲しい旨の追伸を書き入れた(後出)のも彼。
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Phelippes

 <また、>若干の者は、「転向して」自分達の主人達の所に二重工作員として送り返されたカトリックの僧侶達だった。・・・
 スパイ達のうちの何人かは他の文脈の中から立ち現われた。
 アンソニー・マンデー(Anthony Munday)<(注9)>は、ローマの<イエズス会の>イギリス単科学校の生活の目撃談の著者であり、後にシェークスピアと共同作業をした。

 (注9)1560?〜1633年。イギリスの劇作家。ウィキペディアには、スパイの話は出てこない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Munday

 女王の「特別事項(special affairs)」のために26回も派遣されたロバート・ポレイ(Robert Poley)<(注10)>は、クリストファー・マーロウ(Christopher Marlowe)<(コラム#479、916、3844、5266)>の殺害に居合わせた者の一人だった。

 (注10)1568〜1602年。(もともとイギリス大学はキリスト教教育・研究の場でもあったところ、)ケンブリッジ大学であえて学位を取得せずにカトリック教徒であるかのように装った。(後に学位取得。)二重スパイ、政府使者、挑発目的の手先。 バビントン策謀の摘発に中心的役割を果たした。マーロウを殺害した下手人は正当防衛であったと証言したが、ポレイ自身のこの殺害への関与が疑われている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Poley

 多くの工作員達は、その職歴を牢獄で始めるか終えた破産者だった。
 ウォルシンガムに犬(stool pigeon)として仕えることとした彼らは、外国に派遣され、そこで、しばしばとらえられ、敵のためのスパイとして送り返され、再び逮捕されて送り戻された。
 近代の諜報工作員達の若干と同様、自分達自身にとってさえ、恒常的に立場を入れ替えた者として忠誠心がどちらを向いているのか、しばしば定かではなかった。」(B)

 「我々は、ウォルシンガムの右腕のフェリップスに出会う。 
 彼は、暗号専門家であり、「顔中天然痘の跡だらけだった」が、彼の職歴は、全ての主要なエリザベス期の策謀の縁辺をかすめ、牢獄にて、忘れ去られ絶望のうちに終わった。
 悲愴なる人物であるウィリアム・パリー(William Parry)<(注11)>もいた。

 (注11)〜1585年。ウェールズ出身の廷臣にしてスパイ。生涯若い頃背負った借金に苦しむ、エリザベスに覚えが目出度く、年金を与えられ、下院議員にもしてもらうが、エリザベス暗殺を計画した廉で逮捕され、処刑された。
http://en.wikipedia.org/wiki/William_Parry_(spy)

 彼は、自分が、カトリックのフランスにおける<イギリス>政府の最も貴重な情報提供者であると大変な確信を抱いた結果、どちらの側にも自分がやろうとしていることを告げずに二重スパイになるという自殺的計画に乗り出した。
 更に、バーレイの息子のロバート・セシル(Robert Cecil)<(注12)>がいる。
 彼は、ウォルシンガムの跡を継いで女王の諜報主幹になった。
 彼の同僚の一人は、「秘密の信託(trust)の経験と諜報の保全(sescurity)だけが彼を安心させる」と書き残している。」(D)

 (注12)1563〜1613年。初代ソールズベリー伯。「エリザベス1世の<首席国務秘書>を務め、後継者ジェームズ1世の下でも<筆頭大臣>(chief minister)として仕えた。・・・エリザベス1世の<首席国務秘書>だった<バーレイ>男爵ウィリアム・セシルの次男<(父の2番目の妻の長男)で>・・・ケンブリッジ大学<卒>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%83%AB_(%E5%88%9D%E4%BB%A3%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E4%BC%AF)

 「監視者達のうちの一人にアンソニー・マンデーがいる。
 彼は、野心ある著述家であり、自己宣伝家であって、ローマ訪問中に機会が訪れた時にスパイになった。
 チャールズ・スレッド(Charles Sledd)<(注13)>は静かなる科学捜査的観察者で、鋭くかつずる賢く、後にロンドンでの最も凶暴なる<潜伏カトリック>僧侶発見者になった。

 (注13)ローマのイギリス単科大学に(自ら?)潜入し、イギリス人たるカトリック亡命者達の名簿を編纂した。
http://www.timeout.com/london/things-to-do/elizabethan-spies-1

 ウィリアム・パリーは、そのスパイとしての職歴への取り組みは、惑わされた虚栄心によって火に油をくべられていた。
 この雑多な同心達のうち最も印象的なのはトーマス・フェリップスであり、彼は思慮深く、無口(reserved)で素晴らしい男であって、彼の暗号専門家としてのこの上なき才能は、彼の主人であるウォルシンガムにとってかけがえのないものだった。
 これらの「諜報者達(intelligencers)」は、種々だったけれど、<基本的に>みんな志願者達だった。
 <もっとも、>罠にかけられてこの業務に就かされた者もいた。・・・
 この秘密の世界における闇の首席顧問(eminence noire)<(注14)>であったウォルシンガムが1590年に死んだ時・・それは、スコットランド女王の処刑のわずか3年後であり、スペインの無敵艦隊の侵攻企図のわずか2年後だった・・、彼の諜報網も彼と共に死んだ。

 (注14)影の首席顧問(eminence grise=grey eminence)という言葉がある。国家を影から操る者を指し、オルダス・ハックスレーが17世紀フランスのトロンブレーを評した時にこの言葉を使った(コラム#129で)わけだが、闇の首席顧問(eminence noire=dark eminence)とは、国家の非合法/機密諸部門、すなわち、闇の諸部門を一手に掌握する者、例えば20世紀のキッシンジャーのような人物を指すようだ。
http://www.consortiumnews.com/2008/122808.html

 スパイ達については、個人的なひきで募集され、運営されたことが判明している。
 中には全くカネをもらわなかった者もいる。
 しかし、カネがかかる者もいたので、諜報主幹達は破産の脅威に晒されていた。
 女王の統治の最後の数年において、恐るべき(、かつ恐るべき金持ちの)ロバート・セシルが筆頭大臣になることで、ようやく再び、エリザベスは、ウォルシンガムのものに匹敵する秘密機関によって守られるようになった。」(E)

→イギリスは、島国で、軍備、就中陸上軍備に余りカネをかける必要がなかったので税金が安く、国家機構も簡素だったが、16世紀において、諜報経費は主幹大臣が私費で支弁していた、というわけであり、興味深いものがあります。(太田)

 「ウォルシンガムによる、ビールの樽群の中に隠されたメアリーの書簡の盗読、及び彼によるこの書簡の一つへの偽の追伸の追加のおかげで、<彼は、>このスコットランドの女王と彼女の仲間樽陰謀家達を塀の中にぶち込むことに成功した<のは、監視者達の最大の業績であると言えよう>。」(C)

(続く)