太田述正コラム#5972(2013.1.17)
<狩猟採集社会(その4)>(2013.5.4公開)

 --老人の扱い--

 「ほとんどの伝統的諸社会では、我々の場合に比べて、年老いた各々方に、はるかに満足の行く生存を与え、その最後の年数をその子供達、親戚達と孫達に囲まれて生き抜く」とダイアモンドは言う。
 「これら諸社会は本を持っていないので知識の源泉として、老人達は役に立つ。
 サイクロン<(インド洋における台風)>から生き残ろうとするのなら、老人の過去の諸経験は当該集団が生きるか死ぬかを決めるかもしれない。
 また、彼らは。しばしば、道具や壺や網籠や武器の最良の製作者でもあった。
 今日の欧米では、我々が若さフェチ(cult of youth)であることもあって、老人達から価値あるものを得る方法を忘れ去ってしまったように見える」と。

→日本においては、古代法制(下出)からも窺えるように、かかる敬老の伝統があるようです。
 私見では、そもそも、老人を疎んじるアングロサクソン文明の個人主義(や、この個人主義を模倣した欧州文明)こそ、こういった点では、世界の例外なのです。(太田)

 例外もある。
 遊牧的諸部族、とりわけ、北極圏や砂漠のそれらは、不十分な食糧に直面するとしばしば老人達を殺したり放棄したり、或いは彼らに自殺するよう促したりする。
 これは、カウロン族のみならず、太平洋のバンクス(Banks)諸島の人々によってもとられている、極端なぞっとする政策だ。
 彼らの老人ないし病人は、その友人達に自分の苦しみを終わらせるために生きたまま埋めるように乞う。
 また、アジアの北東の辺境に住むチュクチ族(Chukchi)<(注19)>は、年老いた各々方に、彼らがあの世で優先的取扱いを受けるであろうとの約束の下、自分で自分を縊死させる。

 (注19)「ロシアのシベリア北東の端のチュクチ半島(ツンドラ地帯)に住む民族。・・・主に・・・トナカイの遊牧を営<む。>・・・海岸に定住して漁労やアザラシなどの海獣猟を行なう<者もいる。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%83%81

 確かにこれはぞっとさせる話だが、それは残酷な(cruel)論理をもっていることをダイアモンドは認める。
 すなわち、食糧供給が限られていて、諸資源が枯渇してしまった場合、他にやれることがあるというのか。子供達を餓死させろというのか、という論理が・・。」(B)

→日本列島のように、食料が枯渇するようなことが、とりわけ狩猟採集時代には稀であった地域では、古来より棄老は行われなかったようですね。
 「日本各地(世界各地にも)には様々な棄老の風習が民話や伝説の形で残っており、『今昔物語集』にも棄老にまつわる話がある。しかし棄老伝説は古代インド(紀元前200年頃)の仏教経典『雑宝蔵経』の説話に原点があると柳田国男の著書『村と学童』の「親棄山」に指摘されている。7世紀に始まる日本の古代法制度下では20歳以下の若年者、60歳以上の老齢者や障害者には税の軽減など保護がされていて、法制にも棄老はない。このため、個人的な犯罪行為ということになるが、村落という狭い共同体における掟であったのか歴史研究家によって見解が分かれる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A8%E6%8D%A8%E5%B1%B1

 --よそ者の扱い--

 「我々の<人類なる>種の歴史の大部分において、全人類は子供の時から知っていた人々に囲まれて生きた。
 よそ者に会うことは稀で興奮させる(exciting)ことだった。
 その地の諸慣習によって、新参者達は食事と休憩に招待されるかもしれないし、さもなくば、ただちに殺されるかもしれない。
 しかし、彼らは、決して決して、単に無視されるようなことはなかった。
 世界中の諸都市において、現在正常なことは、実際には、我々の本性に深く反することなのだ。」(C)

→狩猟採集社会一般がこのようなタコツボ的自給自足社会であったかどうかは詳らかにしませんが、日本の縄文社会のような人間主義的な社会ないし、やはり日本の縄文社会のような交易社会(注20)においては、こんな極端な二択しかなかったはずがありません。
 いずれにせよ、こんな極端な二択を行うのが「我々の本姓」であるとは私には思えないのですが・・。

 (注20)「縄文人<は>広い範囲でお互いに交易をしていたと考えられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3

 --内部紛争--

 「欧米では、ある人物が盗まれたり攻撃されて傷つけられたりした場合、(警察という形態で)国家が、犯人を捜索して処罰する責任を負う。
 伝統的諸社会では、極めて異なったアプローチをとる。
 軽微な犯罪は、通常、賠償金の支払い・・ニューギニア島の場合、豚が伝統的な通貨だ・・によって、或いは、友好的関係の再構築の兆表として宴会が催されて決着がつけられる。
 殺人等のより重大な犯罪の場合は、<被害者の属する>家族が他の諸家族と手を組んで自分達の親戚の殺人者を捜索して殺す。
 そうすると、普通、同様の対応を、殺害された殺人者の家族に惹き起し、このプロセスが繰り返されていく。
 欧米の非人格化された(depersonalised)司法制度は、この見地からははるかに良さそうに見える。」(B)

→「古くは、社会構造については記録なども残されておらず、具体的な様相なども不明である。部族・民族ごとにさまざまな紛争解決方式が取られており、一律に理解することもできない。主として、「集団の中で権力を持つ者の裁定」や「神権裁判」などが行われた可能性が指摘されている。裁定を行う権力者や神託を告げる者などが裁判官の役割を果たした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98
ということからすれば、「非人格化された司法制度」は欧米独特のものでは全くないのですから、このような表現は、(ダイアモンドのものか書評子のものかは定かではありませんが、)不適切だと思います。
 ところで、日本の縄文社会の内部紛争解決方法が、「集団の中で権力を持つ者の裁定」ないし「神権裁判」方式であったのかどうかは詳らかにしませんが、アイヌは縄文人であるとの前提に立てば、「アイヌ民族では「ちゃらんけ」と呼ばれたが、徹底した討論によって問題解決を目指すという文化を持つ集団もあり、この場合は、「仲裁者」という役割は存在しなかった。」(ウィキペディア上掲)ということなので、縄文社会の中には、「ちゃらんけ」方式の内部紛争解決方法もあったのかもしれません。
 他方、「『日本書紀』巻十四雄略紀には、456年(安康天皇3年)に起きた「眉輪王の変」の記事があり、これが史料に残る最古の敵討事件とされる。・・・
 その後仇討ちは武士階級の台頭以来広く見られるようになるが、江戸幕府によって法制化されるに至ってその形式が完成された。範囲は父母や兄等尊属の親族が殺害された場合に限られ、卑属(妻子や弟・妹を含む)に対するものは基本的に認められない。又中世の血族意識から起こった風俗であるので、主君のように血縁関係のない者について行われることは少なかった。
 武士身分の場合は主君の免状を受け、他国へわたる場合には奉行所への届出が必要で、町奉行所の敵討帳に記載され、謄本を受け取る。無許可の敵討の例もあったが、現地の役人が調査し、敵討であると認められなければ殺人として罰せられた。また、敵討をした相手に対して復讐をする重敵討は禁止されていた。
 敵討の許可が行われたのは基本的に武士階級についてのみであったが、それ以外の身分でも敵討を行う者はまま見られ、上記のような手続きを踏まなかった武士階級の敵討同様、孝子の所業として大目に見られ、場合によっては賞賛されることが多かった。又武家の当主が殺害された場合、その嫡子が相手を敵討ちしなければ、家名の継承が許されないとする慣習も広く見られた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E8%A8%8E
というのですから、弥生人は仇討(敵討)方式・・ニューギニアでの方式の変形・・であったと見てよいのではないでしょうか。
 なお、江戸時代の民事裁判のことなので、以上と直接関係はないのですが、読んで大変面白かったので、リンクを貼っておきます。
http://www.shiranuhi-law.com/kaiketsu/column_01-04.htm (太田)

 「パプアニューギニアの路上で、マロ(Malo)という名前の男によって運転されていた車が過失により若い生徒のビリー(Billy)にぶつかって殺してしまった。・・・
 <これは、軽微な犯罪であったところ、>一定の額(約300ドル)の「謝罪金(sorry money)」について合意が行われ、賠償儀式の際に手交されることになった。
 これには、ビリーの家族全員とマロ及び彼の同僚達全員が出席した。
 主宰者達は、死んだ少年について、また、どれほど彼らが彼との別れを悲しんでいるか、語った。
 他方、訪問者達は、どんなに彼らがすまないと思っているか、そして、遺族の嘆きがいかほどのものか想像しようとしていること、を語った。
 次いで、彼らは、簡素な食事を共にとり、握手をし、互いに迷惑をかけないことに同意した。・・・
 これは、大部分の欧米の諸国における、捜索して誰が悪かったかを決定し、応報(retribution)を強いるところの、国家が組織した手順<たる裁判>とは著しく対蹠的なものだ。
 このような諸裁判でも、関係者が再び会うことが決してない場合には十分かもしれないが、家族や隣人達が関わる諸紛争に関しては、我々は、このような伝統的諸調停(mediation)<方式>から学ぶことができる、とダイアモンドは主張する。」(C)

(続く)