太田述正コラム#5924(2012.12.24)
<米墨戦争と米国の人種主義(その5)>(2013.4.10公開)

  イ 悪しき反戦(人種主義マークII)

 「・・・しかし、米国における最初の全国的(national)反戦運動をより詳細に検証すると、人種主義の民主党員達に対するに共感的な(empathetic)ホイッグ達、という物語以外の物語が見えて来る。
 メキシコ人を悪魔視したのは拡大主義者たる民主党員達だけではなかったのだ。
 今ならプロト反移民感情とでも言うべきものもまた反戦運動の動員にあずかっていたのだ。
 多くの米国人が、この戦争について、それが非道徳的であると信じたため、或いは、米兵によるメキシコの一般住民に対する残虐行為についての報道に嫌気がさしたため、或いはまた、この戦争が奴隷制の拡大へのドアを開くであろうことを心配したため、終わらせようと声をあげたけれど、それより多くのとまでは言わないけれど、同じくらい多くの米国人が、メキシコ人が米国にいるのを見ることを面白く思わないがゆえにメキシコからの撤兵を要求したのだ。
 イリノイ州においてエイブラハム・リンカーンの主要政敵であった、ジョン・J・ハーディン(John J. Hardin)<(注12)>陸軍大尉は、メキシコとの戦争を願った熱狂的な志願兵だった。

 (注12)1810〜47年。イリノイ州のトライイシルヴェニア大で法律を学び弁護士となる。イリノイ州民兵となり、最終的には少将にまで昇任した。また、ホイッグ党の下院議員となった。米墨戦争には大佐として参加し、戦死した。(大尉というのは書評子のミスか。)
http://en.wikipedia.org/wiki/John_J._Hardin

 彼は、一時、イリノイ州の志願兵達をリオ・グランデ川の南<(向う側)>で率いたが、やがて、この戦争にも明白な使命にも懐疑的になった。
 彼は、ある友人に対し、「こちらにやって来るまでは、メキシコのこの部分の全てを米国に併合するのを是としていたけれど、今では、それにそんな価値があるのか疑いを持っている。…メキシコ・・・の人々はメキシコという国に見合った存在であり、およそ市民たりうる者は200人に1人おれば御の字だ」と。
 1847年の秋に、米軍部隊がメキシコシティを占領し、拡大主義者達が戦争の戦利品としてメキシコ全土を併合せよと叫んだ時に、戦争反対者達の中で反メキシコ人感情が強く表明されるようになった。
 東部から中西部全体において、この戦争に反対する大衆集会における、広く報道された演説の中で、ホイッグの指導者たるヘンリー・クレイは、メキシコから一切領域をとらない、即時の米部隊撤退と和平を求めた。
 クレイは、聴衆に対し、「思慮深い人で、これほど、人種的にも言語的にも宗教的にも法律的にも不整合な(incongruous)二つのものが一緒に混ざり合って一つの調和のとれた集団(mass)たりうると思う者がいるだろうか」と問いかけた。
 <また、>南カロライナ州の上院議員のジョン・C・カルフーン(John C. Calhoun)<(注13)>はこのもう一人の活発な戦争反対者だったが、「こんな人々を取り込むこと(incorporation)に対して抗議し、我が国は白人の政府だ」と宣明した。

 (注13)ジョン・コールドウェル・カルフーン(John Caldwell Calhoun。1782〜1850年)。エール大学と某ロー・スクールで学ぶ。民主共和党の政治家。「サウスカロライナ州選出上院、下院議員、国務長官、陸軍長官、そして第7代副大統領を務めた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%B3 ←恐らく英語ウィキペディアの直訳で日本語がこなれていない。

 ニコラス・トリストがトリストの案で平和条約についてメキシコと手を打つことを奨励したウィンフィールド・スコット(Winfield Scott)<(注14)>将軍ですら、なぜそうしたかについて後に記しているところによれば、それは、「自国の愛国者として、私はあの人種と我々自身の人種とを混淆させることに反対だった」からだったのだ。・・・

 (注14)1786〜1866年。ウィリアム&メアリー単科大学で学ぶ。ヴァージニア州民兵から始まったところの、63年間にわたる軍人生活(うち47年間は将官)を送り、米英戦争、米墨戦争、南北戦争等を名指揮官として戦った。
http://en.wikipedia.org/wiki/Winfield_Scott

 それ以来の1世紀半の間、無数の政治家達が、同じような反移民を訴えてその職にありついてきた。・・・
 もとより、19世紀中ごろに始まったところの、政治家達が反ラティノ感情を政治的論争点として用いて勝つことに依存できた時代が、最近、ついに終焉を迎え始めた可能性はある。
 しかし、古よりの諸問題は、容易に打開できないことが少なくないのだ。」(F)

(続く)