太田述正コラム#5878(2012.12.1)
<ジェファーソンの醜さ(続x2)>(2013.3.18公開)

1 始めに

 コラム#5850で、「NYタイムスとCSMは、ウィーンセックの方の本の書評を掲載していません。NYタイムスとCSMの正体見たり、という感があります。」と揶揄したところ、ミーチャムの本(コラム#5850)とウィーンセックの本を肴にして、ジェファーソンを月旦したコラム
http://www.nytimes.com/2012/12/01/opinion/the-real-thomas-jefferson.html?ref=opinion&_r=0
がNYタイムスに載りました。
 またか、と思われる方もおられるでしょうが、さっそく、そのさわりをご紹介したいと思います。
 なお、このコラムの執筆者は、オールバニー(Albany)・ロースクール(注)教授(現デューク・ロースクール法史客員教授)で、'Slavery and the Founders: Race and Liberty in the Age of Jefferson' の著者でもある、ポール・フィンケルマン(Paul Finkelman)です。 

 (注)ニューヨーク州の州都に位置する法科単科大学院。
http://en.wikipedia.org/wiki/Albany_Law_School
 米国のロースクールは200校ほどあるが、ランキングは、ハーヴァード、スタンフォード、エール、コロンビアから始まり、オールバニーはかろうじて100位に入る程度。
http://www.lawschool100.com/

2 ジェファーソンの月旦

 「・・・ジェファーソンの奴隷所有について殆んど無視するミーチャム氏も、また、ジェファーソンを一種の堕天使であって、それがどんなに利益を挙げられるかを発見した後においてのみ奴隷制を認めた(came to)とするウィーンセック氏も、醜い真実・・この第3代大統領は、身の毛のよだつ(creepy)、暴虐的な偽善者(brutal hypocrite)だった・・と対峙しようとしているようには見えない。
 ウィーンセック氏の描写とは反対に、ジェファーソンは、常に深く奴隷制にコミットしており、奴隷であれ解放された者(free)であれ、黒人達の福祉については、一層深く敵対的だった。
 彼の、奴隷制に与する諸見解は、カネと地位だけによって形成されたのではなく、彼が疑似科学でもって正当化しようとしたところの、深い人種主義的諸見解によっても形成されたものなのだ。・・・
 彼は、時々、奴隷達を、彼らの家族達や友人達から遠く離れた場所に売り飛ばすことで罰した。
 これは、当時にあっても、考えられないほど残酷な報復だった。
 白人達に対する人道的な刑法の主唱者であった彼は、奴隷達と解放された黒人達に対しては、過酷でほとんど野蛮と言ってよい処罰を擁護した。
 <米>市民権について拡大的諸見解を抱いていることで知られていたにもかかわらず、彼は、解放された(emancipated)黒人達を、彼らが生まれた地である米国で「無法者(outlaws)」とする法律を提案した。
 王族ないし貴族の血筋に反対しつつ、彼は、白人女性と黒人男性の子供達をヴァージニアから追放する提案を行った。・・・
 ジェファーソンは、彼の隣人のエドワード・コールズ<(コラム#5840)>に対し、解放された黒人達は「自分自身の面倒を見ることのできない子供達のように無能力(incapable)」な「社会の病原菌(ペスト)」なので、コールズの奴隷達を解放しないように伝えた。 
 また、彼はある友人に対し、自分は、処罰のため、或いは家族と一緒にさせるためにのみ奴隷達を売ると書いたというのに、ワイン、美術品その他の贅沢品を買うための現金を得るために、10年間に少なくとも85人の人間を売った。
 家族を破壊することはジェファーソンの心を煩わせることはなかった。
 なぜなら、彼は、黒人達は基本的な人間的諸感情を欠いていると信じていたからだ。
 「彼らの嘆き(griefs)は一過性のもの(transient)だ」し、彼らの愛は「情感(sentiment)と感覚(sensation)の優しい繊細な混淆物(tender delicate mixture)」を欠いている、と書いた。
 ジェファーソンは、黒人達の間で、「絵や彫刻」や詩「に係る初歩的特性(elementary trait)を見たことがない」とか、黒人達の「論理的思考(reason)」能力は白人達よりも「はるかに劣っている」とか、「想像力において、彼らは鈍く、無味乾燥であり、変則的(anomalous)だ」と主張した。
 彼は、黒人達が勇敢であることは認めたが、それは、「予見力(fore-thought)の欠如のためであり、それが、彼らが危険が発現するまでそれを見るのを妨げるからだ」とした。
 科学者たるジェファーソンは、肌の黒さは「血液の色から来ている」のかもしれないと思い巡らし、黒人達は、「身体と頭」として与えられているもの(endowments)において、「白人達より劣っている」と結論付けた。
 ジェファーソンは、奴隷制の将来を心配していたが、それは良心の咎めからではなかった。
 ハイチでの奴隷反乱について読んでから、ジェファーソンは、ある友達に対し、「もし何かがなされなければ、そしてすぐになされなければ、我々は自分達の子供達の殺害者になってしまうだろう」と書いた。
 しかし、彼は、その「何か」がなんであるべきかについて語ることは決してなかった。
 1820年に、ジェファーソンは、ミズーリ妥協(Missouri Compromise)<(注2)>に係る論議の間の奴隷制に関する激しい議論に衝撃を受けた。

 (注2)「1820年に<米>議会において、奴隷制擁護と反奴隷制の党派の間で成立した取り決めであり、主に西部領土における奴隷制の規制を含んでいた。北緯36度30分線の北にある元ルイジアナ準州では奴隷制を禁じたが、既に提案されていたミズーリ州の領域内を例外とした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%AA%E5%A6%A5%E5%8D%94

 彼は、西部への奴隷制の拡散に反対することで、革命の子供達は、「自分達自身に対する自殺的行為と世界の諸希望に対する反逆的行為」を「永続化」しようとしている、と信じていたのだ。・・・」

3 終わりに

 NYタイムスがウィーンセックの本の書評を載せなかったのは、どうやら、この本すら、ジェファーソンに対して甘すぎるからだ、と考えたゆえであったようですね。
 そんなNYタイムスが、太平洋戦争に関して、人種主義の米国がどれほどの大罪を日本、そしてアジア、ひいては世界に対して犯したかを正視しないのは、論理一貫性のないこと夥しいものがあります。
 それはさておき、フィンケルマンは、1949年生まれで、シラキュース大学卒で、シカゴ大学で米国史の修士号と博士号を取得しています。また、ハーヴァード・ロースクールで1年間法と人文フェロー(Law and Humanities fellow)をやっています。
 どちらもジェファーソンの研究をライフワークにしているというのに、このフィンケルマンをハーヴァード・ロースクールに招聘せず、(彼より9歳も若い)あのアネット・ゴードン=リード(コラム#5832、5862)を招聘したハーヴァード・ロースクール
http://en.wikipedia.org/wiki/Annette_Gordon-Reed
には、ただただ呆れるほかありません。