太田述正コラム#5852(2012.11.18)
<ユダヤ人はなぜ優秀なのか(その1)>(2013.3.5公開)

1 始めに

 完結していないシリーズが何本かあるところ、つなぎの意味で、単一のコラム
http://www.slate.com/articles/life/faithbased/2012/11/the_myth_of_jewish_literacy_maristella_botticini_and_zvi_eckstein_explain.single.html
(11月13日アクセス)をもとに、表記のシリーズをお送りすることにしました。

2 ユダヤ人はなぜ優秀なのか

 「・・・世界人口の中で最も小さい割合でしかなく、また、米国と欧州の総人口の1%前後しか占めていないユダヤ人が、ノーベル賞の20%を超える受賞者を輩出してきたのはどうしてなのか?・・・
 <しかも、>米国のユダヤ人は・・・平均的米国人より2倍近く学士号を持ち、4倍を超える修士号/博士号を持っている。
 これは、顕著なる経済的優位へと変換される。
 米国のユダヤ人は、高い地位の仕事の範疇において雇用される度合いが<平均的米国人より>約33%高いし、ユダヤ人の家計は米国の平均的家計よりも25%前後高い収入が報告されている。・・・
 <これがなぜなのかをを説明しようとする際の>核心的な理論は、ユダヤ人の歴史において目立つ二つの主題を組み合わせることによって通常抽き出される。
 <すなわち、>・・・教育と迫害される傾向<、という二つ>が強調されるのだ。
 前者に関しては、タルムード(Talmud)<(注1)>と<タルムードが出来上がった>後のラビ達が、普通初等教育の熱烈なる擁護者であって、その最も良く知られた事例として、ユダヤ人少年がユダヤ人の大人たる彼の到達点を示すために、バルミツバー(bar mitzvah)<(注2)>においてトーラー(Torah)<(注3)>を公衆の面前で読むことが挙げられる。

 (注1)「ユダヤ教の伝承によれば、神はモーセに対し、書かれたトーラー<(下出)>とは異なる、口伝で語り継ぐべき律法をも与えたとされる。これが口伝律法(口伝のトーラー)である。時代が下って2世紀末ごろ、当時のイスラエルにおけるユダヤ人共同体の長であったユダ・ハナシー(ハナシーは称号)が、複数のラビたちを召集し、口伝律法を書物として体系的に記述する作業に着手した。その結果出来上がった文書群が「ミシュナ」である。本来、口伝で語り継ぐべき口伝律法があえて書物として編纂された理由は、一説には、第一次・第二次ユダヤ戦争を経験するに至り、ユダヤ教の存続に危機感を抱いたためであるともされる。このミシュナに対して詳細な解説が付されるようになると、その過程において、現在それぞれ、エルサレム・タルムード(またはパレスチナ・タルムート)、バビロニア・タルムードと呼ばれる、内容の全く異なる2種類のタルムードが存在するようになる。現代においてタルムードとして認識されているものは後者のバビロニア・タルムードのことで、6世紀ごろには現在の形になったと考えられている。当初、タルムードと呼ばれていたのはミシュナに付け加えられた膨大な解説文のことであったが、この解説部分は後に「ゲマラ」と呼ばれるようになり、やがてタルムードという言葉はミシュナとゲマラを併せた全体のことを指す言葉として使用されるようになった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%89
 (注2)「ユダヤ教徒の子供は、13歳になった男児がバル・ミツワーと、12歳になった女児がバト・ミツワー・・・と呼ばれるようになる。意味はともに「戒律の子」である。・・・ユダヤ教徒が現在のように子供が成人に達したことを祝う習慣は聖書の時代には存在しなかった。この儀式はキリスト教徒のなかで多くのユダヤ教徒が暮らすようになった中世以降に、キリスト教の堅信の影響を受けて発達したと考えられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%BC
 (注3)「旧約聖書の最初の5つの書<(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)>である。モーゼの五書、律法・・・とも呼ばれる。これらはモーセが書いたという伝承があったのでモーセ五書と言われるが、近代以降の文書仮説では異なる時代の合成文書であるという仮説を立て、モーセが直接書いたという説を否定する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB%E4%BA%94%E6%9B%B8

 <また、後者の>迫害に関しては、共通観念は、ユダヤ人は、その亡命の歴史の多くの間、土地を所有することが許されなかったため、いかなる地においても価値を持ちうる人的資本の形に投資することを強いられた、というものだ。・・・
 ・・・<ところが、>文字のなかった前近代的農業世界からの<ユダヤ人の>立ち去りが実際に始まったのは<これまで考えられていた頃より>1000年も前の、ユダヤ人がおおむね自由に自分が選択した職業を追求することができた時から<既に始まっていたの>だった。
 また、かくも多くの人々が、ユダヤ人の識字率の高さ(universal literacy)を当然視しているけれど、ユダヤ人の過半はユダヤ人としての教育に投資することを欲していなかったことを経済<史>学者達は発見した。
 衝撃的なことに、その結果、ユダヤ人コミュニティ<、つまりはユダヤ人人口>の3分の2超が最初の1千年紀の末までに消滅したというのだ。・・・
 ・・・儀式的犠牲と農業経済を伴った、エルサレムの神殿の重視がその頃までは標準であったところ、・・・<それに対して、>パリサイ派(Pharisees)<(注4)>は、トーラーの読書、祈祷、そしてシナゴーグを強調しようとした。

 (注4)「ファリサイ派・・・は古代イスラエルの第二神殿時代(紀元前536年〜紀元70年)後期<(紀元前2世紀)>に存在したユダヤ教内グループ。本来、ユダヤ教は神殿祭儀の宗教であるが、ユダヤ戦争によるエルサレム神殿の崩壊後<、>ユダヤ教の主流派<は>、ラビを中心においた、律法の解釈を学ぶというユダヤ教を形作っていくことになる。現代のユダヤ教の諸派もほとんどがファリサイ派に由来しているという点においても、歴史的に非常な重要なグループであったと言える。ファリサイ人、パリサイ派、パリサイ人(びと)などと表記されることもある・・・。なお、ファリサイの意味は「分離した者」で、律法を守らぬ人間と自らを分離するという意味合いがあると考えられている。現在ではファリサイ派という名称は使われず、「ラビ的ユダヤ教」、あるいは「ユダヤ教正統派」と呼ばれている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%82%A4%E6%B4%BE

 <エルサレムの>神殿を強調したユダヤ教内グループ<たる>・・・サドカイ派(Sadducees)<(注5)>は、イエスの頃の少し後で、ローマによってほぼ全滅させられ<たのに対し、もう一方の>パリサイ派の指導者達は、タルムードの諸賢人という形で、自分たちのイメージに沿ったユダヤ教を再形成するために大抵の場合無償で土地を与えられたのだった。

 (注5)「第二神殿時代の後期・・・に現れ、ユダヤ戦争に伴うエルサレム神殿の崩壊と共に姿を消したユダヤ教の一派・・・<であり、>霊魂の不滅や死者の復活、天使の存在を否定して<いた。>・・・神殿の権威をかさに権勢を誇ったサドカイ派であったが、ローマ軍によるエルサレム神殿の破壊(70年)と共に、よるべき場所を失い、消滅した。このため、ライバルであったファリサイ派がユダヤ教の主流となっていくことになった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%89%E3%82%AB%E3%82%A4%E6%B4%BE

 それに続く数百年間、彼らと彼らのイデオロギー的後継者達は、タルムードを法典化し、彼ら自身がそうしながら、普通ユダヤ人教育の必要性を宣言した。・・・

(続く)