太田述正コラム#5812(2012.10.29)
<赤露の東欧支配(続x2)>(2013.2.13公開)

1 始めに

 昨日、アップルバウムの新著の書評
http://www.guardian.co.uk/books/2012/oct/26/iron-curtain-anne-applebaum-review
(10月28日アクセス)をまた見つけたので、やはり、その紹介をしてきましょう。
 書評子は、ロンドン大学キングスカレッジの戦争研究学科教授のアナトール・リーヴェン(Anatol Lieven)(コラム#2272)です。

2 2 赤露による東欧支配が可能であったのはなぜか・・再論

 「・・・アップルバウムは、1939年より前の諸政治的秩序の破産という広範に受け入れられていた信条・・それがいかなるものかは、例えば、ポーランドの作家のチェスワフ・ミウォシュ(Czesław Miłosz)<(注1)>やタデウシュ・コンヴィツキ(Tadeusz Konwicki)<(注2)>の諸著作から明確に浮かび上がってくる・・に全くもって十分な重要性を付与していないのではないか。・・・

 (注1)1911〜2004年。「リトアニア系ポーランド人の詩人、作家、エッセイスト、翻訳家。」
http://ejje.weblio.jp/content/Czes%C5%82aw+Mi%C5%82osz
 (注2)1926年〜。ポーランドの作家、映画脚本家、映画監督。映画『尼僧ヨアンナ』(1960年)の脚本も彼が手がけた。
http://www.britannica.com/EBchecked/topic/321946/Tadeusz-Konwicki
http://www.weblio.jp/content/Tadeusz+Konwicki

 ところが、ノヴァ・フタ(Nowa Huta)<(注3)>のような町々での生活のぞっとするような(grim)諸現実を描写しつつ、彼女は、世界一般の、初期の産業化、或いはまさにポスト産業主義の文脈の中にこれを置こうとしていない。

 (注3)直訳すれば「新しい製鉄所(The New Steel Mill))」。ポーランド<最南端の>クラカウ(Krakow)の最東部地区で、人口20万人で、同市のもっとも人口の多い地域の一つ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Nowa_Huta

 イデオロギーを横に置けば、都会の砂漠の只中におけるアル中、暴力、そして売春についての彼女の描写は、過去と現在における資本主義世界の夥しい場所におけるそれと顕著に異なるものではない。・・・
 ・・・<また、>彼女がやったような形で<特定の>地域と時期を選ぶことによって、アップルバウムによる政治的説明は極めて容易となった<、ということも指摘しておきたい>。
 仮に彼女がその研究を東欧における共産主義統治の全期間を網羅するところまで拡大していたとすれば、ポーランドとハンガリーの共産主義統治が専制的であり続けたものの全体主義的であることは止めたのはどうしてか、そして、欧米の右翼達の予測に反して、何よりも、ソ連それ自体における諸変化の故に、共産主義が最終的に瞠目すべきほど平和的に崩壊したのはどうしてか、を検証しなければならなくなったはずだ。
 更に言えば、1989年の時点では、東欧における最も野蛮な全体主義的な大共産主義国家であるルーマニアが、もはやソ連の地政学的支配の下にはなく、胸が悪くなるようなチャウシェスク(Ceaucescu)<(注4)>体制が、彼らの反ソ連戦略の一部として欧米諸国から求婚されていた<ことも忘れてはなるまい>。・・・

 (注4)ニコラエ・チャウシェスク(Nicolae Ceausescu。1918〜89年)。ルーマニアの事実上の最高権力者:1965〜89年。「ルーマニア・・・は、西<独>が承認した最初の共産主義国であり、IMF・・・にも加盟し、・・・1971年、GATT・・・に加盟。ルーマニアとユーゴスラビアは、東ヨーロッパでは共産主義ブロック崩壊前の<EU>で貿易協定を結ぶ唯一の国でもあった。・・・。ルーマニアは、イスラエルとPLO・・・の両方と正常な外交関係を維持した唯一の国であった。また、西側諸国によるモスクワオリンピックの大規模なボイコットの報復として、東側諸国が軒並みボイコットした1984年のロサンゼルスオリンピックにおいても、ルーマニアは他の東側諸国と足並みをそろえず参加<した>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%AF

 ・・・<人々が共産主義から離反するには、>通常の人々が欧米の民主主義的資本主義が、彼らにとって、実際により良く機能することを目視しなければならなかったのだけれど、このことは、1945年には必ずしも明白ではなかった。

 それが、1950年代央には、<このことについて、>議論の余地がなくなるに至った。・・・
 ・・・<ただし、>1950年代央に、それが共産主義より優れていることを示したのは、我々に2008年の恐慌(crash)をもたらしたところの、ワシントン・コンセンサス(Washington Consensus<(注5)>の「ターボチャージャー付きの」自由市場資本主義ではなかった。

 (注5)「1989年のベルリンの壁崩壊後、社会主義の敗北が明らかになって以降、IMF, 世銀および米国財務省の間で広く合意された米国流の新古典派対外経済戦略で、「小さな政府」「規制緩和」「市場原理」「民営化」を世界中に広く輸出し、米国主導の資本主義を押し広げようとする動き」(伊藤忠商事会長(当時)丹羽宇一郎)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%B9

 それは、確かに、自由市場民主主義的資本主義ではあったけれど、それは同時に、何よりも、冷戦における競争の最前線に位置していた西独の社会的市場(social-market)資本主義でもあったのだ。
 何百万人もの東独人が西独へと逃亡したのは、この類の体制に参加するためであり、その逆ではなかったのだ。
 ひとたび、彼らが社会的市場資本主義の諸便益を自覚するに至るや、何百万人ものロシア人達は、最終的に、共産主義統治を終わらせることを決定したのだ。
 問題は、1990年代において、ロシア人達が、この類の社会的市場体制を手に入れたわけではなく、<手に入れたものは、>疑似民主主義を新しい選良達が国家の略奪を行うための隠れ蓑としたところの、共産主義者のプロバガンダに言う獣的な(feral)資本主義に、ある意味、極めて近いものであったことだ。・・・」

3 終わりに

 20世紀前半の戦間において、世界的に資本主義が全般的危機に直面していたのは事実です。
 それをもたらした原因は、原理主義的資本主義に内在する非人間性であり、資本主義列強の経済エゴイズムでした。
 ここから、最初に社会的資本主義を(江戸時代に淵源を持つ)日本型政治経済体制の形で構築するのに成功したのが日本であり、米国の社会的資本主義のニューディールは失敗に終わり、先の大戦後の英国の社会的資本主義、基幹産業国有化体制も失敗に終わり、日本に次いで成功したのは西独の(カトリシズム由来の)コーポラティズム的資本主義であったわけです。
 米国が先の大戦中から戦後にかけて、原理主義的資本主義のままで、あたかもそれまでの全般的危機を脱したかのように見えたのは、一国だけ戦災を蒙ることなく戦争に伴う有効需要の激増によって裨益したからであり、戦後は無傷の唯一の世界の工場として、米国自身が反省の上に立って、IMF、GATT等、経済エゴイズムを克服した全球的環境整備を推進したおかげもあって、(共産圏を除く)全世界に、比較優位性を持って米国の財・サービスを売ることができたからに過ぎません。
 ところが、米国の指導層は、整備された全球的環境の下では原理主義的資本主義は非人間性を克服できる、と勘違いしてしまい、それがイデオロギー化して、その後のレーガノミックスやサッチャリズムの狂騒をもたらし、そのことが、結果として新生ロシアの再生の機会を奪い、そして、今また、資本主義は、かつてほどではないとはいえ、再び全般的危機を迎えるに至っている、ということです。
 いずれにせよ、戦間期の資本主義の全般的危機の記憶があったことが、東欧(や東アジア)における共産主義体制の確立を助けた最大の要因であったことは間違いないでしょう。
 さすがはガーディアンであり、アップルバウムの新著の書評の中締めにふさわしい書評である、と褒めておきたいと思います。