太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#5796(2012.10.21)
<赤露の東欧支配(その2)>(2013.2.5公開)

 (3)ソフトな支配

 「・・・その30年前のボルシェヴィキ革命の時と同様、共産主義者達は青写真を持ち合わせていてことを始めたわけではなかった。
 彼らは青写真を、状況に対応しながらつくりあげていったのだ。
 つまり、最初から、野蛮な全般的政策が必要であると思っていたわけではなかったのだ。・・・
 ・・・共産主義者達は、自分達の統治を恐怖(terror)によって押し付ける必要があるとは思っていなかったのだ。
 適切に説明すれば、そして充分時間をかければ、大衆は共産主義に票を投じるだろうと。・・・
 欧米の同盟諸国の完全な同意の下で、かつまた、地域の多数の人々の支持があって、新しい統治者達は、民族浄化も行った。
 ドイツ人達は、巨大な数が、甚だ暴虐的に、故郷であるドイツへと送られた。
 (ソ連領となった)ポーランドの東部諸地域のポーランド人がドイツ人達のいた場所を占拠した。<(注1)>

 (注1)1917年にロシア革命が起こり、次いでロシア内戦/ロシア干渉戦争が起きると、第一次世界大戦の英国等の連合国は、ロシアと独立を宣言したポーランドの国境線案を推挙したところ、(ロシア干渉戦争が終わった時点では、この国境線案より約250km東方の線が国境になったけれど、)それがほぼ踏襲された形で第二次世界大戦後、国境線となった。この案の推挙は幾たびか行われたが、最も知られているのが、英国外相であったカーゾン卿(Lord Curzon of Kedleston)が署名入りでソ連当局に手交したものであることから、カーゾン線(Curzon Line)と呼ばれている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Curzon_Line ←地図も参照されたい。

 <その過程で、>何万人もの人が死んだ。
 <そして、>数えられないほどの人が強姦されたり盗まれたりした。
 <それに対して、>誰も言挙げする者はいなかった。
 敗北の混沌の中で、財産権などという結構なものに注意を払う者もまた、ほとんどいなかった。
 共産主義者達は、土地の再配分という人気のある政綱を実行し始めるとともに、労働者達によりよい諸条件を約束しつつ重工業を国有化した。
 これにより、共産主義者達は、人々が、彼方にある天国を説得力ある形で前もって味わうであろうことを期待した。
 しかし、1945年から始まった議会諸選挙は、異なったメッセージをもたらし、それは新しいご主人様達に大変な衝撃を与えた。
 <というのも、>軽蔑していた「ブルジョワ」諸政党が、体系的な妨害と無数の官僚的障害にもかかわらず、健闘し、しかも時が経つにつれてより健闘の度合いが高まって行った<からだ>。
 投票者達は、急進的諸改革、社会的正義、そして新しい出発を欲していたが、それはソ連型共産主義ではなかったのだ。・・・」(C)

 「・・・ポーランド人達は、共産主義者が背後にいた国民投票に決定的な多数がノーを突きつけた時、お仕置きをされることになった。<(注2)>

 (注2)この国民投票の実施時期を含め、詳細は明らかにできなかった。

 当惑した政府は、市民達が「一種の理解不能な抵抗精神と完全な無知」でもって行動したという結論を下さざるを得なくなり、その結果を改竄した。
 こうして人民民主主義が始まったのだ。・・・」(B)

 「・・・ハンガリーで1945年11月に行われた全国諸選挙において、共産主義者達は票の17%しかとれなかったし、1947年1月には、議会選挙で、亡命政府のウラディスラフ・シコルスキ(Wladyslaw Sikorski)将軍<(注3)>の亡命政府の元メンバーによって率いられたポーランド農民党(Polish Peasants’ Party)が完膚なき勝利を収めた<(注4)>ため、そのどちらの結果も、厚かましい方法で改竄された。・・・」(D)

 (注3)1881〜1943年。ポーランド独立に尽力し、第一次世界大戦中にはポーランド兵団(legion)、そしてソ連干渉戦争で独立ポーランドの軍隊で活躍し、戦間期に一度首相を務め、先の大戦中は亡命ポーランド政府首相兼軍最高司令官。1943年に航空機事故で亡くなる。
http://en.wikipedia.org/wiki/W%C5%82adys%C5%82aw_Sikorski
 (注4)共産党は、票の水増しをやったにもかかわらず、24%の票しかとれなかった。
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Hungary

(続く)

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/