太田述正コラム#5724(2012.9.15)
<米帝国主義マークIIとその崩壊(その2)>(2012.12.31公開)

 ・・・1980年代には、日本政府がDRAMのようなコンピューターの部品の生産において支配的地位を占めようと動いたが、レーガン政権は、この産業能力を、台湾、韓国、そしてシンガポールといった第三国に移行させるべく、関税、割り当て、補助金、及び直接的圧力の組み合わせを用いた。
 その目標は、この枢要な能力を米国内に持ち帰ることではなく、また、米国における製造業の雇用を回復することでもなかった。
 それは、この国際的体制そのものを、より競争的に、より国際的に、そして、より安定的にするためだったのだ。・・・

→繰り返しになりますが、米国政府が、こんな類いの直截的な対外的産業政策を実施したとは、私には信じられません。事情通の読者の方の意見もお聞きしたいところです。(太田)

3 その崩壊

 1991年にソ連が崩壊した後、世界中の諸集団が国際的産業統合の次のフェーズという観念を推進し始めた。
 一つの鍵たる目標は、中共やインドのような国々を包含するために国際体制を拡大することだった。
 もう一つの鍵たる目標は、既に体制の中に入っている諸国間の統合を深化させることであると言えた。
 この「第二世代」の全球化への最初の主要な一歩は、1993年から始まったところの、中共に対する貿易諸規制の大部分の撤廃だった。
 これらよりもっと根本的なものは、世界貿易機構(the World Trade Organization)を設立したところの、関税と貿易に関する一般協定(GATT)の1994年のウルグアイ・ラウンドのような諸協定を通じて達成された、貿易規制の権限(power)の多くの国から会社(corporation)への移転だった。
 この時代には、また、「全球化」なるものは、政治的諸決定<によってもたらされたものである>というよりは、一種の形而上学的にしてしかるがゆえに押しとどめることのできない、恐らくはテクノロジーないしは市場それ自身によってエネルギーを供給された(powered)「力(force)」である、という新しい神話の確立が見られた。
 そして、この時代には、高等諸ルールの新しい一式の確立が見られた。
 そのうち、最も重要なものは、「そもそもこの体制を押し付けた国<(=米国)>さえ含め」、いかなる国も、この「全球化」に向けての「自然の」過程の様々な働きに干渉しようとしてはならない、というものだ。
 それ以来の20年間近くの間に、国際体制のこの再配管は、どのように国際的な産業活動が規制されるかに関し、真に革命的な変化をもたらすことになった。・・・
 <すなわち、>1990年代においては、<それまでとは>反対に、米国政府は、日本や他の重商主義的諸国家・・とりわけドイツ、韓国、台湾、そして中共・・が特定の産業諸活動の統制権を獲得するために類似の動きを見せても、ほとんど、或いは全く気に掛けなくなったのだ。
 台湾政府が台湾半導体製造公司(Taiwan Semiconductor Manufacturing Corporation)を使ってチップを作るビジネスで支配的地位を構築しようとした時、誰もこの動きに待ったを掛けようとする者はいなかった。
 韓国政府が、サムソンを使ってDRAMを作るビジネスで支配的地位を獲得しようとした時も、誰もそれを止める努力をした者はいなかった。
 或いはまた、中共当局が、大部分の電子製品の組み立てやビタミンCのような必須化学製品の製造において支配的地位を獲得しようと高度な総合調整的努力を行った時もそうだった。
 このような、産業の国際規制における変化は、米国とそれ以外の諸国における反独占執行(enforcement)の事実上の放棄、及び、産業諸会社が共同で彼らの部品供給者達の活動を利用することの選択の婉曲表現であるところの、産業的「アウトソーシング」によって、一層甚だしくなった。
 突然、何十年も注意深く競争を育んだ後、政府ないし民間部門におけるいかなる当局も統制の独占化と能力と力の集中を防止する役割を演じなくなったのだ。

(続く)