太田述正コラム#5933(2012.12.29)
<皆さんとディスカッション(続x1764)>

<太田>(ツイッターより)

 ガーディアンによる世界サッカー選手(モチ男子)100選が出てる。日本人では香川真司のみがランクイン(94位)。
http://www.guardian.co.uk/football/datablog/2012/dec/24/world-best-footballers-top-100-list
 女子の方なら何人ランクインするだろう?

 パク・クネ(日本側)とは私のことかとパク・クンヘ(韓国側)言い…。
 こんなところでも日韓対立かい?
 何とかしてくれー。
http://www.asahi.com/culture/intro/TKY201212080432.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/12/29/2012122900294.html

<tEzg9Ybv0>(「たった一人の反乱」より)

≫「純化」を「ボクのかねてよりのヨミ」の一環とみなすことを認めてもらえるのでは?≪(コラム#5931)

 認められませんね。
 自分発の考えであることと他人発の考えであることを意識的に峻別することができない(自分のヨミであるとまで言ってしまう)のでは、創造的投稿や知恵を絞る投稿は集まらなくなりますよ。

<mVDGODnS0>(同上)

 剽窃疑惑?ハハw。
 「政治評論家の浅川博忠氏は「12月中旬解散、1月投開票が現実的」と指摘。「首相がTPP参加を明言すれば、20人程度が離党に踏み切るとみられるが、年内解散を主導している官邸サイドでは、“純化路線で考え方が違う人が党を出て行ったほうが、衆院選後の党の立て直しがスムーズにいく”という声も出ている」と説明した。」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/11/10/kiji/K20121110004521200.html

 「その背景を、小沢鋭仁元環境相は、11月12日昼のTBS「ひるおび!」の中で、「総理は元々TPPは推進ですから、ある意味で言うと、これを堂々と訴えることによって、そういう意味では『純化路線』ですよね」と解説。TPP反対派が大量離党した方が、総選挙でTPP賛成の旗印を掲げることができ、逆に戦いやすくなるとみているようだ。」
http://www.j-cast.com/2012/11/12153591.html?p=all

<太田>

 「純化」はどうやら1Qc8XNou0クンのオリジナルではなく、当時、既に世間に出回っていた発想のようだね。
 百歩譲って同クンのオリジナルだったとしても、ノーベル賞員会が発想を出した人だけじゃなく、その発想を具体化したり裏付けたりした人にも賞を与えていることからも、その後の他の読者とのやりとりに1Qc8XNou0として一度も参加しなかった同君に対するものと同等、或いはそれ以上の評価をボクに与えてしかるべきじゃないかい?
 いずれにせよ、その際、ボクがいちいち1Qc8XNou0という「名前」を引用しなかったっていうが、ハンドルネームを引用したってしょうがないじゃん。

<kPybg/L30>(「たった一人の反乱」より)

 「純化」なんてどうでもええやん。
 少数政党なら純化することもあるだろうが、政権を取る政党になれば、考え方も違う人間も増えるのだからさ。

<ねこ魔人>

 --不文憲法の有効性の限界--

 太田さんは、日本は最終的にはイギリスのように、成文憲法を持たない不文憲法の国にすることを提案されています。
 それを拡張して、全ての国や地域においても、法の支配を確立しさえすれば、そこに住む人々は自由な状態を保てるのでしょうか?

 憲法とは、「憲法学概説」『第1章 憲法とは何か(1)規範國體と文化國體』によると、皇室を中心とし、その周りに歴史的に積み上げられ、先祖から継承してきた道徳、慣習、伝統、文化などの総体である「国体」から見出される規範のことを指すそうです。
 つまり、憲法とは規範国体であるということです。また、この規範国体は、成文化されずとも存在するものであるので、本来の姿は不文であるそうです。

 そして、『同章(2)立憲主義の支配』は、このような憲法を守る意義を説明しています。
 それは、「立法に当たって、為政者の恣意によるのではなく、先祖から継承してきた道徳や慣習、伝統に従うべし、ということが守られてきた」という箇所であり、より分かりやすくいうと、「立法において、先祖から継承してきた道徳や慣習、伝統の遵守を尊重することで、為政者の恣意を防ぐこと」であると思います。
 また、これは法の支配(または立憲主義)と言い換えることができます。

 そうだとすれば、この法の支配を守るためには、法の頂点とは先祖から継承してきた道徳や慣習、伝統でなければならないので、大陸法系のように、成文憲法を法体系の頂点とすることは避けなければなりません。
 というのも、成文憲法と規範国体が抵触し合った場合、成文憲法が規範国体に優先し、法の支配は損なわれてしまい、ひいては為政者の恣意による政治が実現してしまう恐れがあるからです。

 翻って、近代以降の「憲法学」では、法体系を大陸法に借り、成文憲法をその頂点としています。
 だから、近代以降の「憲法学」は、我が国古来の先祖から継承した道徳や慣習、伝統などを顧慮した立法の在り方に反しています。
 したがって、我が国の現在の憲法学おいては、憲法とは、我が国古来の先祖から継承した道徳や慣習、伝統を尊重し、法の支配を実現することが求めれています。

 ここまでは、我が国について、憲法学概説を引用して述べていきました。
 しかし、これは他の国では通用するのでしょうか?

 シナではどうでしょうか?
 シナでは目まぐるしく王朝や民族が栄華盛衰を繰り返し、道徳や慣習、伝統はその度に断絶し、これが継承されることがありませんでした。
 ・・・シナでは、かろうじて、易姓革命思想という慣習が存在することが触れられているだけです。
 したがって、シナにおいては、規範国体が微弱であり、もしこれがある時期において発展した場合でも、易姓革命思想以外が存続する期間は極めて短期間であるので、シナにおいて規範国体が継続して守られ、ひいては法の支配が普及するのを望むことは不可能です。

 中東アラブ世界ではどうでしょうか?
 太田さんの、「中東アラブ世界」中では、太田さんは、千夜一夜物語の原典に出てくる人々は、「色欲と物欲とが激しくぶつかりあい、せめぎあいます」と述べています。
 つまり、アラブ世界の人々の中では、ホッブズ的な慣習が居座り続けているといえます。
 この慣習から逃れるために、イスラム教が発達し、クルアーンが彼らの活動の規範となります。
 メッカ時代のクルアーンの教義は、人々に寛容さを認めるものの、メディナ時代のクルアーンは、人々の自由を制限し、それに反する人々を抑圧します。
 こうした苛烈さを持つイスラム教の総体が国体を構成し、この規範性のある部分が規範国体となります。
 そして、この規範国体を遵守すれば法の支配は達成されます。
 しかし、その達成された法の支配下で人々が得る利益とは、ホッブズ的な慣習がいくらか減退することのみです。
 一方で、規範国体を受け入れることで失われる利益とは、イスラムの厳格な戒律を強制され、自由が極端に制限されることです。
 イスラム教の支配する世界で、法の支配が確立されたところで、人々に幸せが訪れる予感はなく、かといってこれを放棄した所で、万人の闘争状態が出現するだけになると推測されます。

 このように、中国や中東イスラム世界においては、不文憲法はそもぞもほとんど存在せず、存在したとしてもその順守によって実現される法の支配とは苛烈なものであるので、やはり不文憲法は日本とアングロサクソン諸国でしか通用しないという考えは、正しいと言えるのでしょうか?

 すいません典拠を忘れていました。

コラム#87「中東世界」
(http://www.ohtan.net/archieves/50955746.html)

大日本帝國憲法入門
「憲法学概説」
『〜第一章 憲法とは何か(1)規範國體と文化國體〜』
『〜第一章 憲法とは何か(2)立憲主義(法の支配)〜』
http://ameblo.jp/sangreal333/entry-11408830798.html
http://ameblo.jp/sangreal333/entry-11409115762.html

 なお、「大日本帝國憲法入門」というサイトは、新憲法有効説とも、またこれまでの無効説とも違う、新無効説なるものを唱えています。憲法について考える上でとても有効になると思われるので、ぜひ目を通してみてください。

<太田>

 上に掲げられたものだけは目を通しました。
 「新無効説」については、それ以外の所に出てくるんでしょうね。

 さて、「(1)規範國體と文化國體」には、以下のようにあります。

 「國體の中心たる天皇の皇位継承は、一度の例外もなく、悉く男系男子を以て為されてきたことは、歴史的に明々白々たる事実である。・・・
 また、天皇は祭祀とともに、統治すれども親裁せず、の規範の下、我が國を代々統治されてこられたのである」

 確かに、前段の「悉く男系男子」については、異説もなくはないけれど、一応事実と言っていいでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%B3%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87
 しかし、後段の「統治すれども親裁せず」については、このサイトが典拠として挙げている南出喜久治自身が、「あくまでもこれは原則であつて、國家の変局時には例外的に「天皇親政(天皇親裁)」に復帰する」と言っているだけでなく、
http://kokutaigoji.com/suggest/sg_saishi_h220326.html
そもそも、天皇の中には「國家の変局時」(定義?)では必ずしもないにもかかわらず、「親裁」していた事例がゴロゴロしている(注)ことから、それをもって「一度の例外もな」いところの「規範國体」とは到底言えそうもありません。

(注)天智天皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87
やその弟の天武天皇・・「<誰に>も掣肘されず、専制君主として君臨した。」・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87
がすぐに頭に浮かぶ。

 結局、何をもって「規範國体」にあたるかどうかは、価値判断をもとに決めざるをえない、ということであり、一義的に答えが出るものではなさそうです。

 私は、何をもって「規範國体」とみなすべきかは、時代に応じて変わっていくものである、換言すれば、「規範國体」は各時代において再規定されていくものである、と考えており、各時代において再規定を適切に行うことができ、現に行ってきたところの、イギリスや日本では、書かれたものであれ、不文であれ、憲法など必要がない、と考えているのです。

 以上でもって、間接的に、支那や中東アラブ世界に係るご主張へのお答えにもなっているのではないでしょうか。

 なお、蛇足ながら、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87(前掲)の典拠として中川八洋が出てきたのは懐かしかったですね。


 それでは、その他の記事の紹介です。

 それ言うなら、なおのこと、無条件の集団的自衛権解禁をやらなくっちゃね、安倍サン。↓

 「日米印豪で安保協力…安倍首相、対中改善へ布石・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121228-OYT1T01509.htm?from=ylist