太田述正コラム#5720(2012.9.13)
<ウェデマイヤー(その3)>(2012.12.29公開)

 エプスタインは、中共に1951年に鞍替えし、英語の中国共産党情宣機関誌であるChina Reconstructs、後のChina Todayの編集長になった。
 彼はその職に1985年に引退年齢の70歳に達するまでとどまった。
 その間、1970年代央の文化大革命の時に5年間中断期があり、周恩来に対する陰謀を企てたとの嫌疑で投獄されている。
 エプスタインは、中共で2005年に90歳で亡くなった。
 彼は、ニューヨークタイムスによって、熱烈な弔文を捧げられたが、それはほとんど彼の1947年の本に対する書評・・弔文の中で、「好意的な(good)書評」がなされた、と書かれた・・にほとんど匹敵するかのようなものだった。・・・
 同紙のエプスタインの弔文には、米<上院>国内安全(=防諜)小委員会(Internal Security Subcommittee)<(注4)>で<共産主義からの>転向者のエリザベス・ベントりー(Elizabeth Bentley)<(注5)>が行った証言、「イスラエル・エプスタインは、支那において長年にわたってロシアの秘密警察の一員だった」にも言及していない。

 (注4)正式名称は、The Special Subcommittee to Investigate the Administration of the Internal Security Act and Other Internal Security Laws、略称SISS、通称 McCarran Committee であり、1951〜77年の間、存続した。これを、それ以前に設置されていた米下院の非米活動委員会(House Un-American Activities Committee=HUAC)の上院版と見る者もいる。ラティモアもこの小委員会でやり玉に挙げられた。
http://en.wikipedia.org/wiki/United_States_Senate_Subcommittee_on_Internal_Security
 (注5)1908〜63年。ヴァサール単科大学、コロンビア大修士(その間、イタリアのフィレンツェ大学に留学。一時ファシズムに惹かれる)。米国共産党員にしてソ連の諜報員となる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Bentley
 政治歴においても男性遍歴においても活動的だった女性という印象がある。

 ウェデマイヤー将軍による本である『ウェデマイヤーは報告する!(Wedemeyer Reports!)』が1958年に出版されている。
 この時、ニューヨークタイムスは、ボルティモア・サン紙(Baltimore Sun)の記者のマーク・S・ワトソン(Mark S. Watson)を書評執筆者として選んだ。
 ワトソンは、1944年における第二次世界大戦の記事でピュリッツァー賞を受賞しており、1947年のウェデマイヤーの支那、朝鮮派遣に同道していた。
 1958年11月16日に載ったこの書評は、ウェデマイヤーがとりわけ米国の蒋介石と毛沢東に対する政策について言いたかったことについて、あたかもウェデマイヤー自身が書いたかのようだった。
 ワトソンは、<この書評で、>毛沢東は単なる「農村(agrarian)改革者」であったことは一度もなく、常に教義的共産主義者であって米国を敵とみなすことは間違いなく、従って、米国は、徹底的に蒋介石を支援すべきだった、というウェデマイヤーの見解をそのまま(uncritically)繰り返した。
 しかし、1958年においては、もはや納屋の戸を閉めるのは遅すぎた。
 牛達は既に外に出ていたからだ。
 ニューヨークタイムスがイスラエル・エプスタインの本の書評をワトソンに書かせていたならば、どんなに異なった書評になったか、そしてその場合、米国の政策がどれだけ異なったものになっていたか、を想像してみて欲しい。」
 (以上、Cに拠る。)

4 終わりに

 外交官と軍人という違いこそあれ、久々にマクマレー程度にはまともな米国の政府関係者をもう一人「発見」した心地がします。
 バーンスタインが使った戦前の「日本の軍国主義者」(コラム#5672)という表現を、ウェデマイヤーは、ドイツに用いていた、というのは面白いですね。
 少なくとも、先の大戦直後のウェデマイヤーも、最近のバーンスタインも、ナチスドイツと日本帝国とは悪さの程度が全然違う、という認識では共通しているわけです。
 ただし、バーンスタインとは違って、ウェデマイヤーは、戦前の日本を「悪い」などとは全く思っておらず、それどころか、日本帝国の対外政策を、米国自身が戦前において採用すべきだったし、戦後においてももちろん採用すべきだとまで考えていたに違いない、と私は見ています。
 彼が、支那・朝鮮の報告書や彼の上梓した本の中では、政治的配慮から、さすがにそうは書けなかった、というだけのことだと思うのです。

 以下、本シリーズも踏まえた私の感想ですが、米下院非米活動委員会や米上院国内安全小委員会の活動、とりわけ前者の活動には行き過ぎがあったとされており、私も同感ですが、その一方、両委員会とも、肝心の非米活動者ないしソ連のスパイの超大物達を目こぼししたという点ではふがいない限りです。
 超大物達とは、(既に故人になっていた)ローズベルトであり、トルーマンであり、(戦後における日本の戦前の対外政策の採用がまだ不徹底であったというだけなのでちょっと可愛そうではあるけれど)マーシャルです。
 ところで、戦後、米国が蒋介石政権を徹底的に支援していたら、一体どうなっていたでしょうか。
 恐らく、支那の軍民に天文学的な死者を出し、支那の国土は全面的に完全に荒廃し、しかも、時間はかかったでしょうが、結局は中国共産党側が勝利を収めていたことでしょう。
 米地上軍を支那本土に投入することは米国民が許さなかったでしょうし、さりとて、今更占領下の日本に再軍備させて日支戦争を再開させることなどできるわけがなかったでしょうからね。
 しかし、それでもなおかつ、米国はそうすべきでした。
 そうしておれば、朝鮮戦争は起きなかったかもしれませんし、そもそも米国が、同じ論理でフランスをも積極的に支援しておればベトミンがフランスに勝利を収めることはできなかった可能性が高いでしょうし、仮に米国がフランスを積極的に支援しなかったとしても、ベトミンがフランスに勝利を収める時期も遅れ、その後北ベトナムが南ベトナムに本格的に介入するような成り行きにならなかった可能性を否定できない、と思うからです。 最後に、チャーチルについても一言。
 彼が、ウェデマイヤー案に反対して軍事的合理性を欠くアフリカ侵攻策に固執したために、東欧をソ連に席巻させてしまう羽目になったわけであり、日本帝国と大英帝国の瓦解といい、東欧のソ連による席巻といい、先の大戦という枢要な時期にあのような双極性障害病みの政治家不適格の老人を英国が首相に戴いていたことが、どれほどの不幸を世界の数えきれない人々にもたらしたか、改めて嘆息させられた次第です。

(完)