太田述正コラム#5718(2012.9.12)
<ウェデマイヤー(その2)>(2012.12.28公開)

3 戦後

 「・・・1947年7月にアルバート・C・ウェデマイヤー将軍はトルーマン政権によって、支那に赴いて支那と朝鮮の状況を評価すべく選ばれた。
 ウェデマイヤーは、彼に課された仕事を2か月半で完了し、9月に報告書を提出した。・・・
 この報告書の最初の頁は、共産主義一般に対する広範な告発であり、次いで、いかに支那における発展に係る諸努力が、第二次世界大戦へと導いたところの欧州とアジアで活動した勢力<(=ナチスドイツと日本)>、と同じくらい邪悪な勢力<(=共産主義)>によって妨害され「邪魔され」てきたかに焦点をあてている。
 そのやり口はお馴染みのものであり、政府と指導者達…への公衆の信頼を掘り崩すため[に企画されたところ]の、破壊活動工作員達の活用、浸透諸戦術、混乱と[意図的]混沌だ、と。
 彼は直截的にソ連がこれに関わっているとし、彼らをナチズムよりも潜在的にはもっと危険であると最強の言葉でもって非難し、こんなことになったのは、[ロシアが]「懐柔的な態度を採択するだろう」という希望の下に、「ソ連との…宥和を[連合国が]行ったという愚行…」のせいだとした。
 彼は、ロシアの文書に詳細が記述されているところの嫌疑について話を続ける。
 「共産党の指導者達によって繰り返し確認されてきたことだが、[文書が]示すところによれば、ナチズムのそれをはるかに超える<勢力>拡張への明確な計画がある」と。
 <そして、>共産主義が支那で勝利を収めつつあるのは、その人気ある諸政策、農業諸改革、そして国民党政府に対する支那の人々の過半(bulk)の憎しみのおかげであるという、一般的に抱かれている虚構に異議を唱える。
 事実はその反対であるとして、ウェデマイヤーは、支那における[その通りであるところの]腐敗…にもかかわらず…、人々の過半が共産党の…体制(structure)を是としていない(not disposed to)ことは確実だ」と言う。
 ロシアに満州への侵入を許し、後には国民党政府への援助を差し控えたことが、支那における現在の諸問題に火に油を注いだ、と彼は言う。
 彼は、第二次世界大戦を我々が戦った諸目的が達成されておらず、「…ナチの軍国主義者達と日本の盲目的愛国主義者達よりも世界平和にとって大きな危険を与えているとさえ言える勢力がこの世界に残っている」と言う。
 彼は、米国が、1947年に、共産党が乗っ取らないように[、つまり米国政府が共産主義の脅威を自覚していることが分かるわけだが]、相当な援助をギリシャとトルコに与えつつ、同じ敵の脅威に直面していて、その結果はもっと深刻であるところの、支那には同様の支援を行うことを拒否していることのこれ以上はない皮肉を強調する。
 結果的には、この報告書は無視され、その内容は、共産党が<支那を>乗っ取り、もはや何をするにも遅すぎた1949年まで闇に葬られることになった。
 ウェデマイヤーが無視されたことについては、トルーマン政府に対して内外から強い諸力が働きかけられたせいのように思われる。
 この力の一つの例示を、ウェデマイヤーがこの任務にでかける一か月前に出た書評に見いだすことができる。
 この本は、イスラエル・エプスタイン(Israel Epstein)<(注2)>の『支那の未完の革命(The Unfinished Revolution in China)』であり、選ばれた書評子はオーウェン・ラティモア(Owen Lattimore)<(注3)>であり、掲載されたのはニューヨークタイムスの書評欄だった。
 
 (注2)1915〜2005年。帝政ロシア領ポーランドのワルシャワで生まれ、戦火と反ユダヤ主義を逃れた両親と共に支那の天津に移る。1944年に英国を経て米国へ。1951年に支那に戻り、1957年に中共国籍をとり、1964年に中国共産党の党員となる。文化大革命中の1968年から73年まで、周恩来への陰謀を企てた咎で投獄される。
http://en.wikipedia.org/wiki/Israel_Epstein
 (注3)1900〜89年。[米国の中央アジア、就中モンゴル学者。1938年から63年までジョンズ・ホプキンス大学で教鞭をとる。米国で生まれたが12歳まで両親と共に天津で過ごす。]「第二次世界大戦前には太平洋問題調査会(IPR)の中心的スタッフを長くつとめ、また戦時期には蒋介石の私的顧問となるなど<米国>の対中政策の形成に関与していたため、戦後はマッカーシズムの標的の一人とな<る。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%A2
http://en.wikipedia.org/wiki/Owen_Lattimore ([]内)

 以下、その書評・・・を掲げる。

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 ・・・
 イスラエル・エプスタイン・・・は、支那の内戦の趨勢は、一つのイデオロギーの勝利、または特定の将軍達や政治家達による独裁的権力の獲得の方向ではないことを私に納得させた。
 勝利を収めつつあるのは、人々・・何百万人もの人々・・であるように見える。
 何世紀にもわたって、大部分の支那人は、歴史の犠牲者に過ぎなかったところ、<現在のように、>自分達の運命の形成者がかくも大勢であったことはかつてないことだ。
 この新世代の孵卵器になったのは、解放された地域、及び日本軍の戦線の背後のゲリラ地域、であり、そこでは、男性達が組織化されて自分達の家と家族を守った。
 そこから、中身のある数百万人の運動が支那領域の巨大な塊群において成長した。
 私は、地主達がこれらの農民達の手綱を再びとるようなことは決してないと思う。
 そして、彼らは教義的マルキシズムに噛みつかれることを拒絶するであろうかのようにも見える。
 この本を読んで私はわくわくした。
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 このウエブサイトの読者達は、ラティモアのことを知っているだろう。
 彼は、トルーマン政権の強力な顧問であり、その数年後には、支那が共産党の下に落ちてから、もう一つのニューヨークの新聞である、ザ・デイリー・コンパス(The Daily Compass)に、朝鮮において、アカに降伏するよう呼びかけた。
 彼は、以下のように締めくくった。
 「従って、やるべきことは、南朝鮮を北の手に落ちさせることだ・・ただし、我々がそう仕向けたと見られないように・・。
 その上で、1億5,000万ドルを<朝鮮に>供与すべきだ」と。・・・
 間違いなく、ニューヨークタイムスの上層部は、彼らが書評子としてラティモアを選んだ時、エプスタインの共産党寄りの長ったらしい文章が、どんなに大げさな絶賛を受けるであろうかを知っていた。
 ラティモアは、彼ら同様、ソ連の長期にわたる擁護者だった。
 実に、<彼は、>ソ連政府による、悪名高い見せしめ裁判すら擁護したときているのだから・・。
 ここで・・・ラティモア自身の言葉を紹介しておこう。

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 ・・・「常習的矯正(Habitual rectification)」・・と、彼は一連の殺人を無造作に形容したわけだが・・は、「普通の市民達に、彼らが、将来、自分が「党の誰か」または「政府の誰か」によって迫害される立場に立った時に、声高らかに抗議する勇気をもっと持つことを妨げるものでは全くない。
 私には、<ソ連の現状>は何だか民主主義のように思える。・・・
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(続く)