太田述正コラム#5688(2012.8.28)
<権威・権力・富の担い手と歴史(その1)>(2012.12.13公開)

1 始めに

 ディヴィッド・プリーストランド(David Priestland)の近刊の 'Merchant, Soldier, Sage: A New History of Power' の存在を知ったのは8月19日のFTの書評によってであり、その時は、本体部分は読み流し、周辺的な部分だけを取り上げて、コラム#5669で紹介しました。
 しかし、本日、この本がガーディアンの書評でも取り上げられており、それを読んだところ、この本の本体も紹介するに値する、と思うに至りました。
 (そもそも、FTとガーディアンで紹介されたらば、それだけで、その本は水準を抜いている、とみなしてほぼよろしいでしょう。)
 まだこの2紙のものしか書評が存在しないようなので、私には、必ずしも本体部分の中身がはっきり分かってはいないのですが、あしからず。
 
A:http://www.ft.com/intl/cms/s/2/16467386-e6c1-11e1-965b-00144feab49a.html#axzz23rvmip00
(8月19日アクセス)
B:http://www.guardian.co.uk/books/2012/aug/23/merchant-soldier-sage-priestland-review
(8月28日アクセス)

 なお、プリーストランドの経歴は詳らかではありませんが、これまで、'The Red Flag: A History of Communism'、'Stalinism and The Politics of Mobilization: Ideas, Power, and Terror in Inter-War Russia'、'The Red Flag: Communism and the Making of the Modern World' を上梓していることから、
http://www.amazon.co.jp/David-Priestland/e/B001H9S60E
共産主義史の専門家のようです。

2 権威・権力・富の担い手と歴史

 (1)総論

 「・・・プリーストランドは、歴史を、彼が「戦士(warriors)」、「賢人(sages)」、そして「商人(merchants)」であると同定するところの、各集団のカースト間闘争の連鎖として解釈する(read)。
 彼は、ハードな商人とソフトな商人を区別するし、更に、「イデオロギーを唱える人(ideologist)」たる賢人と「専門家(specialist)」たる賢人も区別する。
 各集団は、それぞれ、明確な職業(occupation)と価値志向(value orientation)を持っている。
 戦士は、肉体的勇気(physical valour)と文化的誇り(cultural pride)を強調する。
 商人は、効率、消費者による選択、そして、世界主義的世界観(cosmopolitan worldview)を尊ぶ。
 賢人も、効率を喧伝する(promote)が、それは、市場の下での効率ではなく国家の下での効率だ。
 賢人はまた、人間の諸事を形作るテクノロジーの力を信じる。・・・」(A)

 「・・・歴史の変化は、マルクスが信じたように、経済に立脚した階級間の紛争、ないしは、米国人たる学究のフランシス・フクヤマがみなしたようなイデオロギー間の衝突だけによって駆動されたわけではないし、主として駆動されたわけですらない。
 実際のところは、両者がそれぞれ<歴史の変化において>役割を演じたのだ。
 プリーストランドは、抽象的な力の相互作用ではなく、時代を超えた<存在であるところの、>社会の中の三つの主要集団・・ないしは彼が呼ぶところの、職業と社会的機能(social function)と密接なつながりがあるところのエートスに根差したアイデンティティと目的をそれぞれが持った「カースト」・・間の権力を巡っての具体的競争を見つめる方がより有意義である、と述べる。
 これらのうちの最初の<カースト>は商人カースト、ないしは現代用語で言えば、ビジネス競争と市場の諸価値を喧伝するところの、資本家だ。
 二番目の<カースト>は、封建的な中世の武士たる貴族に起源を持ち、ヒロイズム、攻撃(aggression)と規律を強調するところの、軍人カーストだ。
 三番めの<カースト>は、中世のキリスト教社会の僧侶の時代から始まり、今日において、官僚、テクノクラート、そして専門家として顕現していることが見出されるところの、賢人的ないし書記的な知識人カーストだ。
 何世紀にもわたって、この三つのカーストは、広汎な農民大衆、そして最近では勤労者に対する至上権を巡って闘争してきた。
 この闘争を、彼は、大胆にも「歴史の蒸気機関車であった」と宣言する。
 このカーストのうちのどれかの権勢が過度に強くなると(dominant)、通常危機が招来され別のカーストが取って代わった。
 戦士カーストによる独裁的にして階統的な統治は、野心的過ぎた軍事行動における敗北によって破壊される。
 賢人カーストによる偏狭(hidebound)で化石のような統治は、国家へのより幅広い参加を企図した革命的蜂起をもたらす。
 商人カーストによる遠慮会釈のない(unconstrained)権勢(dominance)は、経済不安定と不平等をもたらし、社会的紛争を掻き立て、革命を勃発させる。・・・」(B)

 (2)プリーストランド批判

 各論に移る前に、先回りしてプリーストランド批判を紹介しておきましょう。

 「・・・マルクスには失礼ながら、全ての歴史はカースト間の闘争ではない。
 プリーストランドは、カーストを超えた(trans-caste)ところの、ナショナリズムや宗教といったイデオロギーが20世紀を形作る上で果たした深甚なる役割を過小評価している。
 また、21世紀には、歴史的変化を決定するものとして、株式市場や纏まった(mass)軍隊よりも、(この本にはほとんど出てこない)生態(ecology)や(全く出てこない)人口の方がより枢要であることが証明されるかもしれない。
 最後だが、過去に関する<プリーストランド流の>構造的(structural)社会学では、かくもしばしば人類の歴史に決定的影響を与えたところの、個人の恣意的で自発的にしてかつしばしば非論理的な行為によって引き起こされた偶然や突発的出来事<に目を向ける>余地がなくなってしまう<、という点も指摘しておきたい。>」(A)

 「プリーストランドは、明白に民主主義を信奉しているけれど、歴史をエリート間の闘争として描くことで、彼は民主主義を絵柄の中から捨象してしまい、人々のうちの大多数を、彼らの上位者達の至上性をめぐり続けられる戦いの受動的対象物へと貶めてしまっている。
 これは、徹底的な上からの歴史である<、と言わざるを得ない>。・・・」(B)

(続く)