太田述正コラム#5672(2012.8.20)
<フォーリン・アフェアーズ抄(続)(その1)>(2012.12.5公開)

1 始めに

 TAさんから、たまたま本日、今度は、過去のフォーリン・アフェアーズ・レポート上の論考の邦訳の抜粋が届いたので、引き続き表記のシリーズを、但し、「続」として、お送りします。

2 紹介

・バートン・J・バーンスタイン「原爆投下は何を問いかける?」(1995年2月号より)

 「Barton J. Bernstein<は、>スタンフォード大学歴史学教授」

 「・・・ルーズベルトとチャーチル首相は、一九四四年九月のハイドパーク会談での秘密メモランダムにおいて、原爆の攻撃目標をドイツから日本へと変更することに合意している。とはいえ、この文書の表現から判断するかぎり、彼らは実際に原子爆弾を使用することに関して少しばかり懸念していたのかもしれない。実際彼らが合意したメモには、「(原爆は)、慎重な考慮を行なったのちに、おそらく、日本人に対して使用されるかもしれない」(It might perhapes, after mature consideration, be used against the Japanese)と書かれている。
 ハイドパーク会談の四日後、ルーズベルトは彼の科学担当主席顧問であるバネバー・ブッシュ、そしてある英国人の外交官とともに、原爆の取り扱いを検討していたが、その際、大統領は、原子爆弾を実際に投下すべきなのか、それとも、日本側の視察団を招き、米国内での原子爆弾の実験に立ち会わせ、それを恫喝策としても用いるべきなのかについて思いをめぐらした。だが、おそらく、大統領のこの発言は、このときの会議の本筋から見ればまったく重要性を欠いていたのであろう、また、この方策が、(開発の曉には敵国に対して現実に使用するという)マンハッタン計画のかねてよりの前提とまったく相反するものだったせいかもあるかもしれないが、ブッシュは、会議のメモをまとめる際に、このルーズベルトの発言を記載するのを忘れてしまっている。実際、翌日になって大統領の発言を思い出したブッシュは、異なるメモランダムにルーズベルトの発言を手短にをつけ加えている。・・・

→随分昔の論考ですが、後のハセガワの論調につながる部分があるので、ご紹介することにしました。
 さて、このくだりを読むと、ローズベルトとチャーチルは、恐らく、互いに化かし合いつつも自分達が共同正犯的に不当な言いがかりをつけて日本を先の大戦に引きずり込んだ、という罪の意識を共有していたこともあってか、日本に対する原爆使用には慎重であった様子が見てとれます。(太田)

 原子爆弾を日本に対して使用するという前提はきわめて支配的なもので、ドイツ降伏後の段階で、この前提に疑問を発した高官は、陸軍次官のロバート・パターソン<(注1)>ただ一人だった。彼自身は、一九四五年の五月八日のドイツ降伏によって、日本への原爆投下計画にも変更が生じるかもしれないと考えたが、現実にはそうした変更がなされることはなかった。・・・

 (注1)Robert Porter Patterson(1891〜1952年)。ハーバード・ロー・スクール卒。連邦控訴裁判官を経て、1940年に陸軍次官補、同年12月に陸軍次官に昇任、1945年9月、陸軍長官に昇任。国防省の創設を提案して実現させたが初代の国防長官になるのを辞退し、退任した。また、米軍における人種差別廃止に関与した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

 約二十億ドルもの費用をつぎ込んだマンハッタン計画だったが、これに関して議会はほとんど言っていいほど知らされていなかった。信頼できる共和党員と目されていたヘンリー・スチムソン陸軍長官、そして、スチムソン同様に尊敬されていたジョージ・マーシャル陸軍参謀総長は、ごく一部の議員に計画の存在を話した。そして彼らは、主要な歳出委員会のほとんどのメンバーを含む、他の議員たちに計画の存在を悟られることなく、必要とされるコストを軍の予算に流し込んだのである。大統領府と立法府におけるほんの一握りの人々によって合意された国益をめぐる共通認識をもとに、彼らは、暗黙のうちに、通常の歳出プロセスを無視した行動をとったわけである。

→この時の米国は戦時だったわけですが、戦後の日本は、憲法第9条の不条理な政府解釈があったため、それに違背する自衛隊予算は、予算書の随所に埋め込まれる形でカムフラージュされ、国会の審議に供されることはありません。(核兵器じゃありませんからね。念のため。)
 日本における先般の政権交代のおかげで、このカラクリを民主党の自民党系以外の議員達等・・首相・官房長官・外相・財務相・防衛相ら・・が相当程度周知するところとなりました。
 それにしても、その他の党の議員達の中からトルーマン(下出)のような者がこれまで現れていないのは、彼らがいかに不勉強であるかを示すものです。(太田)

 一九四四年三月、当時、議会の特別調査員会の委員長職にあったある民主党の上院議員が、大統領府が膨大なコストを要するプロジェクトに従事していることを暴き出そうと試みるが、この際、スチムソン長官は、その人物のことを日記に、「厄介でまったく信用できない人物。 ・・・きわめてスムースな口調で語るくせに、その行動は下品だ」とこき下ろしている。この人物とは、誰あろう、ハリー・トルーマン上院議員のことである。マーシャルは、この計画に関する調査を止めるようにトルーマンを説得し、結局彼は、一九四五年の四月十二日に突然大統領に就任するまでは、この計画が何らかの新型爆弾に関するものであるということ以上の事実は知らなかったのである。・・・
 米国は科学者をそもそも信用しないお国柄であり、それが、原子爆弾の使用という形で劇的に誇示されなかったとすれば、マンハッタン計画は膨大な無駄とみなされていたであろう。
 マンハッタン計画を引き継ぎ、マーシャルとスチムソンを信頼していた(新大統領の)トルーマンは、そうした政治的プレッシャーにさらに弱い立場にあった。・・・
 敵国の市民であれば大量殺戮さえもむしろ好ましいとさえ考えるような、新たな道徳(倫理的)価値観のもと、投下目標選定委員会は、原子爆弾の投下目標として、「直径三マイル以内に人口密集地帯がある大都市部」を選ぶことに合意した・・・

→原爆投下は一貫して日本の一般市民の大量虐殺を目的とするものだった、ということです。(太田)

 米国のB−29爆撃機は、手のつけようない大火災を起こそうと、東京の人口密集地帯に焼夷弾を投下したのである。たしかに、(市民を巻き込んだ形での)このような新たな戦争形態をとるのは、ヨーロッパにおいてよりも日本においてのほうが心理的にやりやすかったかもしれない。なぜなら、米国市民とその指導者の多くにとって、日本人は「黄色い人間以下の存在」(yellow subhumans)のように思えたからである。・・・

→大空襲も原爆投下も、米国が人種主義(的帝国主義)国だったからこそやったのだ、ということです。(太田)

 膨大な人的犠牲と破壊を前にすれば、日本人は恐怖心を抱くだけでなく、降伏を求めるようになると予想されるし、さらに「ボーナス」(おまけ)として他の諸国、とくにソビエトを威圧することにもなる。つまり、(原爆の投下は)、戦争の終結を早めるとともにに、戦後世界の構築をも助けると考えられていたのである。・・・

→ソ連(赤露)抑止を至上命題としてきた日本を叩き伏せるために原爆投下をして、その行為をもってソ連抑止を行おうとした米国は、狂った巨人、としか形容のしようがありません。(太田)

 一九四五年五月二十八日、原爆政策をめぐって最近設立された暫定委員会に対してアドバイスを行なう科学部会のメンバーでノーベル物理学賞の受賞者でもあるアーサー・コンプトンは、原子爆弾をいかに使用するかについての道徳、政治上の問題提起を行なった。「原子爆弾の使用は、歴史上先例のない(瞬時にしての)大量殺戮という問題を引き起こすことになる。また、人体に有害な放射能を投下地点の上空にまき散らす可能性もある。本質的に、新型爆弾の・・・使用は、単なる毒ガスの使用をはるかに上回る深刻な問題を引き起こすことになる」と。
 コンプトンの懸念に(多くの人は関心を示さなかったが)、マーシャルはこれを真剣に受けとめ、翌日の五月二十九日に、スチムソン長官に対して、米国はこの兵器を最初から民間人を標的として投下するのではなく、まず最初に軍事施設(おそらくは海軍基地)に対して使用し、その後、市民が十分な時間的余裕をもって避難できるような事前警告を行なった後に、大規模な工業地帯に対して使用すべきかもしれないと語った。マーシャルは、「新型兵器の用い方を誤れば、(米国は)汚名を被ることになる」と懸念したのである。・・・

→後に国務長官(1947〜49年)になるマーシャルの下で、米国が米帝国主義マークII・・日本帝国主義の模倣・・へと様変わりした対外政策を展開
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BBC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB
するようになる伏線として、このエピソードを記憶しておいてよいかもしれませんね。
 ただし、マーシャルが国務長官時代に「中華人民共和国の建国に貢献した」(ウィキペディア上掲)のはいただけませんが・・。(太田)

 旧来の道徳的価値と新型兵器をもつ利益を確保したいという考えの間で揺れ動きながらも、スチムソンは、これと比べれば小さな問題、つまり、・・・爆撃リストから京都をはずすことに関しては毅然たる態度をとった。・・・
 スチムソンは七月二十四日の日記に次のように記している。「そうした野蛮な行為の結果(日本人が米国に対して抱く)敵意は、戦後において日本人が米国人と和解するのを長期的に不可能とし、むしろ、日本人はソビエトと和解してしまうかもしれない。つまり、(京都の文化財を攻撃目標とすることは)、ロシアが満州に侵攻した際に、日本を米国よりにするといるわれわれの政策が要求する環境を不可能にしてしまう」と。・・・
 「獣(のような人間)に対処するときは、彼らを獣として扱わなければならない」とトルーマンは日記に記している。・・・

→京都が原爆投下を免れたのも、ソ連抑止のためだった、というのですから呆れるばかりです。(太田)

 おそらくは広島への原爆投下という事態を受けてのことだろうが、ソビエトはスケジュールを繰り上げて八日には参戦してきた。こうしたソビエトの動きが、八月十四日という早い段階での日本側の降伏の受け入れに大きな影響を与えたのは間違いない。たとえ原子爆弾を投下していなくても、ソビエトの参戦によって、十一月前には日本は降伏していたかもしれない。(訳注:この論文における日付はすべて、米国の東部標準時間によるものである)。・・・

→この点をハセガワは完璧に「証明」することになるわけです。(コラム#省略)(太田)

 (九州への)上陸作戦<で>・・・二万五千人・・・<、>関東平野への第二次上陸作戦(コロネット作戦)<で>さらに一万五千の米兵が犠牲になると考え<ていたというのに、>・・・(戦後においてまことしやかな虚偽の主張が行なわれたが)、米国の指導者のなかで、一九四五年の春から夏の段階で、五十万の米国人(将兵)の命を救うために原爆を使用すべきだと考えていた者など一人としていなかったのである。・・・

→この点を始めとする米国の戦後プロパガンダを、少なくとも米国民の大部分がいまだに信じ込んでいるのは、まことに困ったことです。(太田)

 一発めの原爆投下の必要性をどのように考えるかはともかく、八月九日に長崎に落とされた二発めの原爆は、ほぼ間違いなく不必要なものだった。・・・

→そのとおり!(太田)

 ・・・ドイツや日本の軍国主義者であれば、間違いなく敵国の都市に原爆を投下していたはずである。当時の米国の道徳観が特異的に(退廃していた)わけではない。原爆を唯一開発できたという点で、米国が技術的にみれ、例外的に進んだ状況にあっただけである。・・・

→筆者は、(他の箇所での使用例から間違いないが、)「ドイツ」と「日本の軍国主義者」と、日本はドイツと違って、全国民に戦争責任を負わせていません。
 しかし、これは有難迷惑というものです。
 なぜなら、戦前・戦中の日本は軍国主義ではなかったし、何よりも、日本は、日支戦争・太平洋戦争を、民主主義日本における国民のほとんど総意に基づいて遂行したからです。
 なお、(本来、典拠に基づいて主張すべきですが、)仮に原爆開発に成功していたとしても、ドイツはともかく、日本が一般市民の大量虐殺目的で原爆を使用したかどうか、筆者のように断定はできないと思います。(太田)

・レオナルド・モーゲリ「原油価格高騰の真相」(2006年4月号より)

 「Leonardo Maugeri<は、>ENI企業戦略企画担当上席副社長」

 「・・・一般的に石油の専門家は、供給を過小評価し、需要を過大評価する傾向がある。彼らは、石油に代わる資源はなく、需要は何の制約も受けずに、永久に拡大し続けると思い込んでいる。長年にわたって彼らは、石油の消費傾向は変わらず、仮に価格が変動しても消費に影響はでないと考えてきた。だが、このような認識が間違いであることにやっと彼らも気づき始めた。・・・」

→その後のピーク・オイル論議(コラム#4253)を見るにつけ、こんなヌルい予想をしていた人物がいただなんて、信じられない思いです。(太田)

(続く)