太田述正コラム#5646(2012.8.7)
<欧米帝国主義論再考(その1)>(2012.11.22公開)

1 始めに

 当初は、これも、「米国と・・・」、「中共と・・・」、「ロシアと・・・」に引き続く、「英国とXX主義」というシリーズに仕立てようと思ったのですが、ややコジツケに過ぎる一方で、全く違ったテーマのコラムを書く準備も整っていなかったので、表記のタイトルのシリーズにさせていただくことにしました。
 取り上げるのは、パンカジ・ミシュラ(Pankaj Mishra)の 'From the Ruins of Empire: The Revolt Against the West and the Remaking of Asia' です。
 なお、ミシュラの言説は以前にも彼が書いた別の本がらみで(コラム#1388で)取り上げたことがあります。
 その折には、どちらかというと好意的に取り上げたのですが、今回は、それに比べてかなり辛口の取り上げ方になると思います。

A:http://www.guardian.co.uk/books/2012/jul/27/ruins-of-empire-pankaj-mishra
(書評(以下同じ)。7月28日アクセス)
B:http://www.ft.com/intl/cms/s/2/421c4c26-d4bd-11e1-9444-00144feabdc0.html#axzz21tQKPIrl
(7月29日アクセス)
C:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/from-the-ruins-of-empire-by-pankaj-mishra-7979314.html
(7月30日アクセス(以下同じ))
D:http://m.thetablet.co.uk/issue/1000318/booksandart
E:http://www.telegraph.co.uk/culture/books/historybookreviews/9432852/From-the-Ruins-of-Empire-by-Pankaj-Mishra-review.html
F:http://www.thejakartaglobe.com/opinion/dont-like-the-asian-venture-into-state-capitalism-blame-the-west/533099

2 欧米帝国主義論再考

 (1)序

 「どうして欧米の帝国主義は初期においてあれほど成功を収め、どうして次第に植民地の人々によって憤りの対象となり、どうして、そしてどのように、彼らが最終的に自分達の民族性(nationhood)を、今日では、彼らのうちの、例えば支那やインドのように、今や欧米を経済的に凌駕しつつあるように見えるほどまで、発展ないし回復させたのか、かつまた、どうして、そしてどのように、その他の地域では、再起したイスラム勢力が、明らかに欧米に対して文化的に脅威をあたえ挑戦するようになったのだろうか。・・・」(D)

 (2)日本海海戦

 「二つの世界大戦と比べると、1905年5月の対馬沖海戦(battle of Tsushima)は取り立てて血腥いものではなかった。
 しかし、その結果、すなわち、ロシア海軍の多くの部分の壊滅とこの日本との戦争におけるロシアの屈辱的敗北は、今日われわれが住んでいる世界を形作ったという点では、同等の重要性があると言えるかもしれない。
 小さな日本海軍の、当時欧州の大国とみなされていた帝国的な力(might)に対する勝利は、アジアの指導者達の当時の世代の全てに火をつけた。
 ジャワハルラル・ネール、モハンダス・ガンディー、孫文、毛沢東、若きケマル・アタチュルク、そしてエジプト、ベトナム、及びその他の諸国のナショナリスト達は、日露戦争の決定的帰結を恍惚たる熱情をもって祝った。・・・」(C)

 「・・・遠く離れたベンガル地方では、平和主義者たる詩人のラビンドラナート・タゴールが、彼の学生達の勝利のパレードの先頭に立った。
 もっと遠くのダマスカスでは、若きムスタファ・ケマル・・後にアタチュルク、すなわち近代トルコの建国者、として知られるところとなった・・は幸福感に酔いしれた。
 その時ロンドンにいた、支那のナショナリストの孫文ですら、わくわくした。
 それは、日本のロシアに対する戦争が、同じく朝鮮半島のコントロールを巡って戦われたところの、その前の日本の支那に対する戦争の続きであったことに鑑みれば、奇妙な反応だとあなたは思うかもしれない。・・・」(E)

 「・・・「こうして、彼らは日本の勝利から同じ教訓を抽出した」とパンカジ・ミシュラは記す。
 「世界の征服者達たる白人達は、もはや無敵ではない」と。
 この点は、帝国主義諸列強においても認識されるに至った。」
 インド副王のカーゾン卿は、「この勝利の振動は、雷鳴のように東方における囁き合う場を駆け巡った」と記した。
 その後に起こった二つの世界大戦は、アジア人の目から見れば、欧州から、なお残されていた権威の多くを奪った。
 「しかし、長期的視点から言えば、対馬沖海戦こそが、欧米の最初の後退和音(chords)を打ち鳴らしたのだ」とミシュラは結論付ける。・・・」(C)

(続く)