太田述正コラム#5606(2012.7.18)
<戦前の衆議院(その8)>(2012.11.2公開)

<笠井重治(注11)議員>(同上)

 (注11)かさいじゅうじ。1886〜1985年。「17歳で渡米。ブロードウェーハイスクール・シカゴ大学・ハーバード大学院を卒業し1918・・・帰国。 米国の排日運動緩和、日米対戦の回避のため、米国基地を講演・交渉する。 戦後<を含め、>長き生涯を日米親善のために尽力した。 他に、東京市会議員、衆議院議員。サンフランシスコ名誉市民賞を受け日米文化振興会を創立し会長を歴任した。」
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kasai_s.html
 笠井は、この時、初当選、初登壇だった。
http://www3.town.minobu.lg.jp/lib/shiryou/hito/senjin/kasai_juuji.html

 「・・・廣田前外相<(=現首相)>が「ソ」連の大使として「ソビエト」露西亜に駐任をせられて居ったから、私共は日「ソ」関係は廣田外相が外務大臣に就任せあれた時には、対蘇外交政策が一新されると期待して居った。然るに三年間の廣田外相の時代に於ける日「ソ」関係は、親善にもならなかった。昨日有田外相が此の席上から言われたように、今や我が国民は露西亜の南下の重圧を感じて居る。であるならば此の際に於いて、せめては「ソ」連の南方発展を阻止し、少なくとも日本の威力を示して、彼等が真に我が国と戦わんとして居るのであるか、或いは我が国の斯々なる意思を持って居ることを徹底的に示して貰いたいのである。・・・」(一0六頁)

→笠井が、対ソ安全保障に腰の定まらぬ外務省に対する憤懣をぶちまけた、と受け止めるべきでしょう。(太田)

<有田外相>(同上)

 「・・・今日日本の各方面に於いて外務省に在る程度の不満は、あるのであると考えて居ります。併ながら此の不満を去ると云うことは、最も必要なことでありますので、漸次そう云う風な実行致して行きたいと思って居るのであります。・・・」(一一一〜一一二頁)

→外務省に対する憤懣が、帝国陸軍≒世論の間に鬱積していることを認めたかのような口吻ですね。(太田)

<寺内陸相>(同上)

 「・・・願わくは官民文武一途相倚り、真に挙国一致して時艱の克服に邁進せんことを念願するものであります。」(一一二頁)

→「文武」の「文」は主として(腰の定まらぬ)外務省へのあてこすりである、と推察されます。(太田)

<兒玉右二(注12)議員>(同上)

 (注12)児玉。1873〜1940年。東大卒。「東京朝日新聞記者、東京日日通信主筆などをつとめる。日露貿易に従事し、二六新報や大陸新聞通信の社長も歴任した。<1917>年衆議院議員(当選6回)。」
http://kotobank.jp/word/%E5%85%90%E7%8E%89%E5%8F%B3%E4%BA%8C

 「・・・現在欧羅巴に於いても、亜米利加に於いても、勿論東洋に於いても、武力ある後援の外交が勝利を占めて居る。勿論外交は人道の上に立った平和の国策でなければならぬから、経済外交などと云うことも勿論必要なことであります。さりながら現代の日本の国力の上から廣田氏、即ち外交に堪能なる人が総理大臣となられたと云う千載一遇の好機会に於いて、本当に日本帝国の国威発揚をすると云うことは、現代の国論から鑑みて戦争はあり得ないと、総理大臣が断言せられると云うことは、少し言い過ぎではなかろうかと私は思う。・・・
 私は露西亜と国交は、場合に依っては国体明徴の見地より言うならば、断絶すべきものではなかろうかと思うのであります。治安維持法が出来て、大勢の人が法に触れたのも、悉く露西亜の赤化宣伝が原因である。東洋の平和の上に、露西亜の赤化の勢力なるものは頗る驚くべきものであります。今度支那の山西省辺りにある露西亜赤化の勢力なるものは、遂に外蒙と露西亜との条約を結ぶと云うことにまでなって居る。勿論政府と主義とは違うと言うけれども、是はもう頭隠して尻隠さずのような問題でありまして、露西亜の現状から鑑み、露西亜の赤化の方針より鑑みて、日本国家の国体明徴と云うことを完全に断行する時に当たっては、露西亜との修好を断絶することが急務ではなかろうかと思う。私は決して露西亜と戦争をしろと云うようなことを言う者ではないけれども、国家に矛盾があっては国民の観念の上に頗る影響がある。露西亜の現状から鑑みて、露西亜の赤化の侵略より鑑みて、総理大臣であって、堪能なる外交家であらせられる廣田首相のご意見を伺いたいのであります。近頃現内閣は外交の一元化と云うことを言われる。至極結構であります。陸軍は大陸政策を以て「モットー」として居られる。外務省は万邦協和の主張を以て外交方針として居られることは勿論である。海軍省は南進の海洋政策を以て海軍省の主張として居られる。近頃或る海軍の大官より聴くと、陸軍は満州を生命線と言うが、吾々は南洋を培養線だと思って居ると云うことも聴いた。私は国策を本当に完全に樹立する時に於いて、是れ等の意見が区々であっては相成らぬと思う。外務省の意見を通すならば、追随外交となろうし、或いは陸軍、海軍の意見を強いて強調するならば、帝国主義或いは侵略主義ともなるであろう。之に対して総理大臣は此の調和の上には、どう云う国策樹立の方針を持って御居でになるか、国民の代表者に御答を願いたいと思います。・・・
 私は今回の<二・二六>事件などは国民の罪、大多数大衆国民が立憲政治に諒解を持って居らぬから起こった事では断じてないと思う。此の問題は若し端的に言うならば、吾々は国体明徴を叫ぶ其の口の下に、日本帝国にも共産主義が勃興して居ると云うことを認めない訳に行かぬのであります。是等の問題は先刻齋藤君からも御話があった。頗る傾聴したのでありまするが、陸軍に於ける青年将校などの純なる、極く単純なる其の観念の上に、或いは大川<周明>君とか、或いは北<一輝>君とか云うような人の説が此の頭に泌り込んで、そう云うような見地より、寧ろ吾々国民の尊崇する皇室は、共産主義の周囲に取り巻かれると云うような陰謀があったのではなかろうかと私は思う。此の件に付いては私は総理大臣のやはり御答弁を願いたい。此の問題が今まで其の真面目の憲政の問題や云々、運用宜しきを得なかったとすれば、今までの政党政治が悪かったと云うようにも聞こえる。私は全国の大衆国民は寧ろ立憲政治に共鳴して、此の立憲政治の所謂民衆政治に絶大の望みを嘱して居るものであって、今回の事件などには断然関係ないものであると私は断言する。・・・」(一一三〜一一五頁)

→意味不鮮明な箇所が散見されますが、兒玉は、要するに、ソ連ないし共産主義の脅威・・いわゆる赤露の脅威・・を叫び、二・二六事件の青年将校達も同様の脅威認識に立っていたものの、民主主義を蹂躙する行動をとったことを咎めつつ、国策の・・兒玉としては間違いなく陸軍の考えに則って・・統一をした上で、ソ連と、戦争も辞さない決意の下で国交断絶をすべきだと迫ったわけです。(太田)

(続く)