太田述正コラム#5600(2012.7.15)
<戦前の衆議院(その5)/練馬のマンション・開梱・物置・その他>(2012.10.30公開)

<濱田國松議員(続)>

 「・・・現内閣の所謂憲政の確立、議会政治の尊重と云う意識の中には、政党の地位を如何に認められるか、換言すれば政党を基礎として政治を行わんとするものなりや否やと云う、之をお尋ねしたい。是は重要なる事である。・・・近時我が国政界に於ける所の政治の動向に、民衆尊重の意義と、独裁主義の思想の衝突のあることは、今更申し上げる迄もないことである。政治も、経済も、社会問題も、国内の動揺は皆此の思想の衝突に主に起こって居る。固より何れの議論に致しても一君万民の我が国体でありますから、憲法の許す範囲内に於ての動向であることは申す迄もないことである。独裁政治を主張する者、換言すれば政党を否認せんと欲する者は、当に斯様なことを申す。我が帝国憲法には政党と云う文字はない。隋って政党なるものは憲政の基礎でもなければ議会政治の要素でもない。是が独裁政治家の主張する所、官僚政治家の「モットー」とする所である。此の思想からして定めて参りませぬと、廣田内閣が如何に議会尊重、憲政確立と仰せられても、茲に主張の矛盾と衝突とが起こる。事実のことである。斯かるが故に此の事を御尋ねを申し上ぐる。・・・憲法第二十九条<に言う>・・・結社の自由・・・<の>結社の中で政治結社は即ち政党である。・・・<すなわち、>精神に於いて、実質に於いて、政党を憲法が認めて居るのであります。・・・」(三0〜三一頁)

→要するに、濱田は、日本が有事であるにもかかわらず、(陸海相はともかくとして、それ以外の大部分の)閣僚を政党人たる政治家・・しかも、原則として多数党の政党人たる政治家・・が占めるところの、かつての憲政の常道に戻せ、と主張しているわけです。
 あえて勘繰れば、政務次官までしか勤めていない濱田は、直前まで衆院議長であったというのに、それに飽き足らず、閣僚になりたかったということでしょう。
 しかし、当時の「民衆」(世論)の大勢は、挙国一致内閣・・濱田が言うところの「独裁主義」・・を求めていたのであり、濱田の論理は破綻しています。(太田)

<寺内陸相>(同上)

 「・・・<国体明徴宣言が>第一に自由主義を排しましたことは、・・・全体主義に則って政治経済等庶政の一新を要望したものであります。第二に現状維持を否認致しましたような言葉がございましたのは、決して破壊を意味したのではございませぬ。積極進歩を意味したのでございます。尚・・・二・二六事件<の>・・・蹶起部隊の趣意書、又彼等の唱うる所は私共全然斯の如きものに同意をして居る訳ではございませぬ。一味の言の誤りなることは申す迄もないことと存じます。・・・」(四九頁)

→戦前の日本の人々の言葉遣いを、現在の我々の語感で受け取ってはいけないのであって、ここで、「自由主義」とは、「憲政の常道/裸の資本主義」を指し、「全体主義」とは、「挙国一致内閣/日本型政治経済体制」を指しているのです。
 寺内の「積極進歩」とは、後者の実現を期した発言なのです。
 (現在の我々の語感での「全体主義」を、当時の日本の人々は「矯激」な思想(寺内の前出の表現)と呼んでいたわけであり、二・二六事件の蹶起部隊の「矯激」な(=非民主主義的な)思想は、「誤りなることは申す迄もな」かったわけです。)
 同じ時期の英国が、世界恐慌という経済有事の下、「憲政の常道」については1931年に中断し、また、「裸の資本主義」については、1924年の労働党主体の自由党との連立政権の成立、1929年の労働党単独政権の成立が象徴しているように排斥するとともに、「挙国一致内閣」を1931年に成立させるに至っていた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%85%9A_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9)
、ことを想起すれば、寺内の答弁は、まことにもって常識的かつ論理的なものであった、と言えるでしょう。
 (なお、「日本型政治経済体制」の整備は日本独特ではないかという疑問を抱かれる方もおられるでしょうが、これは、日本の顔をした「総動員体制」の整備、とも受け止められるのであり、その限りにおいては、同じ時期の英国とそれほど隔たりがあったわけではありません。ただし、「総動員体制」の整備については、日本と違って軍事的有事に直面するのが遅れた英国は日本より遅れがちでした(典拠省略)。)(太田)

(続く)
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          --練馬のマンション・開梱・物置・其の他--

 練馬のマンションは、賃貸をするのなら100万円以上かけてリフォームをする必要がある、と三菱地所リアルエステートの関連賃貸会社の人が言ってきたので、賃料収入一年分を投下してまで賃貸を(売却と併せて)追求すべきかどうか、思案に暮れています。
 (それだけのカネをかけてリフォームしても、その分を売却価格に上乗せできるわけではありません。そもそも、買主は自分の好みに従ったリフォームをしたいものなのだそうです。)
 売却と賃貸の総合的なメリット・デメリットについて三菱地所グループが教えてくれるわけではありませんし、教えてくれるサイトもなさそうなので、賃貸を諦めるかどうかは、結局自分自身で判断しなければなりません。

 さて、先週の日曜日から、再び開梱作業を開始し、(一階のピアノを入れる予定の一番大きい部屋の開梱/本棚への本の分野別収納は既に終えていたところ、同じく)一階の二つ目の部屋の開梱/ラックへの本の分野別の収納が半分くらい終わりました。(まだもう一部屋残っています。)

 また、13日の金曜日に、ようやく、物置が設置されました。
 新居の裏に設置したのですが、新居の建設業者の意見を聞いて設置場所を決めたというのに、その場所では狭すぎて設置不可能であることが分かり、急遽、違う場所に設置することになりました。
 結果オーライではあったものの危ないところでした。
 こんな調子で、よくまあこの新居が建ったものだ、と苦笑した次第です。
 そう言えば、当日、物置設置業者がまずやってきて、その後、新居の建設業者から依頼を受けた女性・・新居のコンクリートを打った業者らしい・・が設置作業の状況を見にやってきてとんぼ帰りし、その後、物置設置業者も帰ってから、今度は新居の建設業者が物置の代金(労賃込み)を受け取りにやってきました。
 おお、一見恐ろしく無駄な人の使い方をしている。エージェンシー関係の重層構造からなる日本型政治経済体制、いまだ健在なり、とも思いましたね。
 いずれにせよ、専門業者が設置するのに丸2時間かかったので、やはりセルフで設置しなくてよかったと思いました。
 その日、さっそく、練馬のマンションでも開梱しなかった資料類の段ボールの全てと、その後たまった、当分使用しない資料類の段ボールの半分くらいをこの物置に移しました。
 まだ余積があるので、当分使用しない資料類は全部この物置に移せそうです。

 本日、ダイシン百貨店(コラム#5572)に自転車で初めて行ってきました。(どうもおかしいと思っていたのですが、元の場所から移転していたのですね。まだ正式オープン前でした。)
 とりあえず、散水ホースと移植ごてを買ってきて、汚れた玄関周りを水を流してきれいにし、引っ越し祝いでもらった鉢植えの植物を玄関脇に移植しました。
 新居の整備もおおむね目途が立った感じです。
 後は、ピアノがやってくるのを待つだけです。