太田述正コラム#5588(2012.7.9)
<クラシック音楽徒然草--歌劇(その5)>(2012.10.24公開)

 白状しますが、「出所が確認できない東洋的旋律が2か所に出てくるという」と、「という」と書いたのは、『蝶々夫人』の全曲をパソコンで作業をし「ながら」聴いてみた↓
http://www.youtube.com/watch?v=f_lR9A3DWtI&feature=related (歌詞英訳テロップ付。以下同じ)
http://www.youtube.com/watch?v=6cJdqad-eJo&feature=fvwrel
 (何と言っても有名なのは、アリア「ある晴れた日に」です。おまけで、歌唱:マリア・カラス 指揮:カラヤン(ミラノ・スカラ座交響楽団)でどうぞ。↓
http://www.youtube.com/watch?v=WLaY2VcIEqo )

ものの、集中して視聴しなかったためでしょうが、私には、2か所ともつきとめられなかったからです。
 歌劇好きの読者の方に、これ↑・・幸い歌唱もオケも充実していて、(私は余り感心しませんでしたが、)演出も凝っています・・を視聴していただき、それぞれの旋律が「何分何秒頃」に奏でられるかを、ぜひご教示いただきたいものです。

 さて、上記NYタイムス掲載コラムから引用しましょう。

 「・・・学者達は、長らく、プッチーニが、支那の諸旋律を、彼の歌劇である、(支那を舞台にし、1924年のプッチーニの死で未完のまま残されたところの、)『トゥーランドット(Turandot)』の中で用いたことを知っていた。
 しかし、彼らは、・・・『蝶々夫人』の中の二つの「日本の」旋律の典拠(source)についてキツネにつままれた思いで今までいた。
 私が発見したのは、『蝶々夫人』の二つの主要なテーマ<音楽>の典拠は支那であることと、この『蝶々夫人』と<同じプッチーニ作曲の>『トゥーランドット』とは驚くべきつながりがあることだった。・・・
 我々は、彼が、1920年に、1900年の支那での義和団の乱と第一次世界大戦末における支那での軍事作戦の帰還軍人である・・・<イタリア人>男爵・・アマチュア作曲家で作曲した曲を出版したこともある・・の・・・自宅で、「支那の」オルゴール・・・リード(reed)・オルガンが装着されていて、シリンダーによって6つの支那の旋律を奏でることができる、1877年頃に製造されたハーモニフォン(harmoniphone)<(注10)>・・・を聴いたことを知っている。

 (注10)鍵盤付きの楽器で、テューブで風を送り込んで金属板を振動させてオーボエに似た音を奏でる。
http://www.encyclo.co.uk/define/harmoniphone

 この男爵は、恐らく、このオルゴールを、義和団を鎮圧した後に行われた、悪名高い「略奪品せり売り」の場で他の支那土産と一緒に取得したと思われる。・・・
 プッチーニは、『蝶々夫人』の中で「さくらさくら」や「宮さん宮さん」といった、日本の人気ある様々な旋律を用いたが、この<オルゴール>は、1901年前後に、明らかに、彼が彼自身の言葉によるところの「黄色人種」を代表するものとして支那の音楽も<日本の音楽と>同様に<この歌劇の中で>用いたいと思っていたことを露見させたわけだ。・・・
 芸者の『蝶々夫人』のための主要テーマは、旋律譜面に「シェ・パ・モー(She Pah Moh)」と名前が付されていた。
 私は、音楽探偵的に、・・・二人の漢語学者の助けを借りて、この旋律が「シバ・モ(Shiba Mo)」すなわち、「十八摸(The 18 Touches)」
< http://www.youtube.com/watch?v=bDyUqqYHb94&feature=relmfu
  http://www.youtube.com/watch?v=vAfjX7-bI4E >
であることを突き止めた。
 これは、支那で何度も発禁になったエロティックな歌だった。
 この俗謡はいくつかの支那京劇でも登場し、愛人たる男性の声で謡われ、露骨な詳細さでもって、女性の体の18の箇所を、頭の天辺から爪先まで愛撫しつつ愛でるという内容だ。・・・
 二番目の音楽的モティーフは、彼女の父親の死への言及がなされた時に最も顕著に奏でられる点で、蝶々さんと密接に関わっており、その日本の典拠を探し求める広範な営みを鼓吹していた。
 このモティーフは、<オルゴールに>収録された支那の旋律のうちの二つで登場する。
 『蝶々夫人』におけるこの二番目のミステリー的モティーフが、ほんのちょっと異なった形で『トゥーランドット』内で皇帝讃歌の一部に出現することが、これまで気付かれずに来たように見える。・・・
 ちょっとした解釈的な幻想遊びに耽っているところの、我々としては、1924年の『トゥーランドット』は1904年の『蝶々夫人』を念頭に置いているのではないか、と自問したくなる。
 というのも、<主人公の>トゥーランドットは、自分による求婚者達への情け容赦ない謎かけと<この謎かけに応えられなかった者達の>斬首を、遠い昔の、外国人男性によって身を滅ぼされた親戚の女性の話を語ることで正当化するからだ。・・・

(続く)