太田述正コラム#5582(2012.7.6)
<クラシック音楽徒然草--歌劇(その2)>(2012.10.21公開)

 (2)魔笛(The Magic Flute)

 次に、同じモーツアルトの『魔笛(Die Zauberflote)K. 620』(1791年)です。
 下掲を読んで、筋を頭に入れてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%AC%9B

 「・・・この歌劇・・・<の筋には>モーツアルト自身相当関与している<(Mozart・・・had a big hand in it)ところ、>・・・<それ>は、愛の、すなわち、パパゲーノ(Papageno)と[鳥刺し]パパゲーナ(Papagena)の粗野な(earthy)愛、タミーノ(Tamino)とパミーナ(Pamina)の高貴な(exalted)愛、[神官]ザラストロ(Sarastro)の全人類に対する神聖な(divine)愛の、譬え話なのだ。
 ([]内は、ウィキペディア上掲による。)
 私は、モーツアルトがこれらの登場人物達を全員かくも愛らしく描いたのは、彼が、好色な(randy)パパゲーノから神の如きザラストロに至る全員であるからだ、という結論を下した。
 パミーナは、モーツアルト<と関わりを持った>女性全員と同じく、強く、性的で、かつ忘れがたき人物だ。
 ずっと後になって、私は、最後にザラストロがこのカップルに最も位の高い冠を授けるのは、性的なものと精神的なものを包含するところの、彼らの愛が、この世で最も重要なものだからであることに気付いた。
 「真の愛において、お前達は智慧の起源を見出すだろう」とザラストロは彼の弟子達に語る。
 「だから、私は自分の力をパミーナとタミーノに譲り渡すのだ」と。
 『魔笛』をベートーベンはモーツアルトの歌劇の中で最も好んだ。
 彼は、その第九交響曲のフィナーレの「歓喜の歌(Ode to Joy)」の中でこだまさせた。
 すなわち、人と人の友愛(brotherhood)、及び、夫と妻の愛、は、この世を極楽(Elysium)にすることができるし、それら以外には極楽にすることはできないのだ、と。<(注4)>・・・
 
 (注4)「歓喜の歌(歓喜に寄せて=An die Freude)」の原作はシラーだが、「ベートーベンは、この詩から・・・半分弱を順序を入れ替えて採り、第九に用い<た。>」
http://www.kanzaki.com/music/lvb-sym9f.html
 この歌詞の全文(ドイツ語・英訳・邦訳)を上掲で見ることができる。

 モーツアルトと、[この歌劇の興行主であり、かつ歌手としてパパゲーノを演じた、エマヌエル・]シカネーダー(Schikaneder)<(注5)>は、どちらも熱心なフリーメーソンであり、[最初は善であった夜の女王を最終的には悪にすることによって、]彼らに、無頓着な現代の視聴者には感知できないところの、秘教的底流たる完全に異次元的なものを付け加える、フリーメーソン的寓諭を仕込む機会を与えた。
 ([]内は同上。)

 (注5)Emanuel Schikaneder。1751〜1821年。それぞれ、下男、女中をしていた両親の下、極貧の少年時代を送る。興行主、歌手等として成功を収め、ヨーゼフ2世の庇護を受ける。なお、英語ウィキペディアには、彼がフリーメーソンであったという話は出てこない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Emanuel_Schikaneder

 仮にザラストロが悪人のままであったならば、彼は精神的友愛団体の指導者たりえなかっただろう。
 他方、モーツアルトの夜の女王は、悪に作り替えられることによって、マリア・テレジア(Maria Theresa)<(注6)>女帝を表象する存在となったのだ。

 (注6)1717〜80年。「実際には皇帝に即位したことはない<が、>・・・ハプスブルク家の領国と家督を相続したのはマリア・テレジアであるため、彼女の肖像画には神聖ローマ皇帝の帝冠が添えられている場合が多く、当時も少なくとも領国内では「女帝」視されていた。正式には皇后でしかない彼女がこのように扱われ<たのは、>・・・当時の王族としては奇蹟にも近い恋愛結婚<で彼女と結ばれた>・・・夫である皇帝がフランス国境沿い(現フランス領)の小国ロレーヌ公国出身の養子的存在であり、ハプスブルク家領国内において実際の政治的権力をほとんど持たなかった<からだ>。・・・
 <父親の皇帝カール6世が>死ぬと周辺諸国は娘<による上記>相続を認めず、領土を分割しようと攻め込んできた。これがオーストリア継承戦争(1740年〜1748年)である。・・・
 <この戦争の結果、プロイセンにシュレージェンを奪われた彼女は、奪回しようとして仇敵のフランスと手を結ぶ(=外交革命)。その上で、プロイセンと7年戦争を戦うが結局、目的を達することはできなかった。
 彼女は、>他国に先駆け、全土に均一の小学校を新設。義務教育を確立させた。・・・<また、>一般徴兵制<を>採用<した。>・・・<しかし、>次第に保守化し<、>1765年に死去した夫フランツに代わって帝位についた息子ヨーゼフ2世の急進的な改革姿勢とはしばしば意見が対立し<た。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%A2

 マリア・テレジアは、オーストリアのフリーメーソンの館(lodge)群を弾圧した。
 夜の女王のまさにその名前は、彼女が暗黒をもたらし、啓蒙主義を弾圧することを暗示している。
 彼女は、フリーメーソンがこの世から抹消しようと欲していたところの、反動的専制と迷信の象徴(image)となったのだ。
 かくして、ザラストロの友愛団体は、フリーメーソンの館のミエミエの表象なのであり、愛人達の裁判は、死と智慧への再生を象徴するところの(symbolizing)、秘密入会儀式の鏡像(parallel)なのだ。
 (現実には、女性はフリーメーソンの館には入れてもらえないので、パミーナの入会<儀式>は、純正(echt)モーツアルト的な仕業(touch)だ。)
 『魔笛』とベートーベンの第九の中に出てくる「友(brother)」という言葉は、フリーメーソンにとっての友愛の中心的重要性と共鳴する。・・・
 浪漫主義の19世紀にあって、モーツアルト<の音楽>は、支那人形的であって、優雅で完全だが娯楽的である(not really serious)、と考えられてきた。
 この何十年に至って、ようやく我々は、彼の悪魔的な側面、彼の熱情、そして、彼の奇異さを再発見した。
 そして、『魔笛』におけるように、彼の音楽がこの世に密接に関連付けられている(intimately connected)という現実についても<再発見した>。
 モーツアルトの最良の歌劇群がふわふわした(fluffy)喜劇や狂った(loopy)妖精物語であるのは表面だけのことなのだ。
 とはいえ、彼の歌劇群には、同時に美しい旋律群と忘れがたき登場人物群があり、それらなくしてはその他のことなどどうでもよくなってしまう。
 その最も良い事例が、耳触りの音を発する、ばかげた、そしてまた比類なき『魔笛』なのだ。・・・」
http://www.slate.com/articles/arts/music_box/2012/04/mozart_s_die_zauberflote_how_i_learned_to_love_the_magic_flute_.single.html
(4月11日アクセス)

 モーツアアルトとシカネーダーの歌劇『魔笛』への取り組みは、現在の中共における姜文や張芸謀といった映画監督の映画への取り組みを彷彿とさせますね。
 体制を利用しつつ、体制の表現の自由への規制の下、反体制的メッセージを作品の中に巧妙に織り込む、という意味において・・。

 以上を読んで、皆さんがモーツアルトについてこれまで抱いておられたイメージが若干なりとも変わったのではないでしょうか。

 それでは、『ドン・ジョヴァンニ』の時と同様、『魔笛』のさわりをご鑑賞ください。

 序曲 指揮:レヴァイン ニューヨーク・メトロポリタン・オーケストラ
http://www.youtube.com/watch?v=h018rMnA0pM
 夜の女王のアリア 歌唱:Lucia popp フィルハーモニア・オーケストラ
http://www.youtube.com/watch?v=OP9SX7V14Z4
 パパゲーノとパパゲーナのかけあい 歌唱:Wolfgang Brendel&Gudrun Sieber 指揮:サヴァリッシュ(Bayerische Staatsoper)
http://www.youtube.com/watch?v=IvhHUSgsKsg&feature=related

(続く)